第6話 エロイカと怪人

 再び三元帥は、真剣な眼差しを駐在武官に注ぐ。

「宣言によれば、マンシュタイン元少将が自由軍と重工社を中心とするグループ企業を立ち上げ、また、エローなる女性……正しくは少女? が平和戦線という全国市民とレジスタンスを連帯する組織を設立して、連名で我々占領軍に対して宣戦布告をしてきた。無論、これは――彼らがいかなる論法で否定しようとも――合法的に成立した終戦条約に基づく現在の体制に対する反乱であり、到底容認できるものではない。問題は、いつ、どのように、彼らを撲滅するかだ」

 連合王国軍占領軍総司令官が、眉間に皺を寄せる。

「それは、この場で議題にすべき問題だろうか? 先ほども言った通り、連合王国軍の占領地域には何ら暴動も発生していない。反動的な動きは、連合軍共通の課題ではなく、各国の占領地域における失策の表れだ。自国の失敗に他国を巻き込まないでいただきたい」

「むしろウルムで首を突っ込んできた癖に! さすがの二枚舌だな」

 ブレナム公が静かに息を吸って、水色の瞳で駐在武官の横顔を見すえる。彼の上官たる元帥は、よく回る舌をよく回して反撃する。

「ダッハウブルクに到着するより先に、少しでも疲弊させようと助力したつもりだったのだが……力及ばず残念だ」

 弁解しているように見えて、完全に相手の大失策を煽っているだけの“紳士”の言葉に、中将は思わず拳を握りしめるが、荒く息を吐き出し、一つ舌打ちを飛ばすに留めた。

 オロシーの元帥も何か言おうと口をもごもごさせるが、熊の脳内での翻訳が終わる前に、ガーリーの老元帥が初めて発言する。

「ガーリー軍としては、合衆国軍がこの場に議題を提出することに同意する……その上で提案するのじゃが、今朝方に設立が宣言された両組織は、形が整うまで、まだしばらくの時間を要するように見える。数が揃ってからでは面倒が大きくなるだけじゃ。ここは、市民が彼らの下に参集する前に、その核を除いてしまうべきじゃと考える」

 今宵最初と思える真面目な提案に、駐在武官は固唾を飲んで尋ねる。

「それは……具体的には、どういうことでしょう?」

「分からんかね? 嵐の中心、すなわち、マンシュタイン将軍の暗殺じゃよ」

 “暗殺”――あまり響きの良くない言葉に、各国代表たちが目を見合わせる。

 しかし、たしかに今の内に宣伝塔となっているマンシュタインを殺害すれば、解放戦争は指導者を失って失敗し、他の首謀者たちは容易に捕らえられ、反体制派として裁きを受けることになるだろう。老元帥は、そのことを直感し、あえて恥も外聞も捨てた提案をしていた。どうせ敗戦国同然のガーリーに、これ以上失うものはないのだ……。

 けれども、他の国には、まだ“プライド”というしこりがあった――たとえニメールとフレッドの戦略の根幹を直撃し得る提案であっても……。三人が困惑して目線を交錯させた後、合衆国軍中将が嘆息する。

「元帥。それは誇りある軍人の提案としては、いささか問題があるかと……」

「貴殿は若いな」

 老元帥が顔をしわくちゃにして、中将を見つめる。駐在武官は、は? とあらたまって問い返す。

「軍人が誇るべきは、祖国の勝利じゃ。その達成手段について、云々するのは青い。敵に百万人の流血を強いるなら、同数の同胞の犠牲が必要となるかもしれん。祖国の人と大地を誇るならば、同胞の犠牲も限りなく少なく抑えるのが、軍人の道理というものじゃろう」

 究極の合理的意見に、中将は言葉を詰まらせ、連合王国とオロシーの両元帥と目を合わせる。それから唐突に、ガーリーの老元帥の背後に控える機甲師団の若きエースへ声をかけた。

「ボナパルト少将はどう思う? 英雄エロイカと呼ばれるあなたの意見も、良ければ聞かせて欲しい」

 将軍は驚いて中将を見つめ返し、それから上官たる老元帥の横顔に目を向ける。しかし、相変わらず半分寝ているような表情をさらすだけだ。一つ咳払いすると、慎重に言葉を選ぶ。

「……私は……少将です。駐在武官閣下のように、元帥の名代というわけでもない。指名をいただいていながら申し訳ないですが、私は……この場で発言するべき立場にありません。あくまで議論を拝聴するため、同行しただけです」

「それなら、暗殺という提案に賛成か反対か、それだけでも教えてくれないか?」

「上官の発言について、軍人に同意も拒否もありません。命令への服従があるのみです」

 固い口調で言い切ると、唇を一文字に引き結ぶ。その様子に、中将は肩をすくめ、それ以上は問わなかった。

 連合王国軍の元帥が、隙を見て口を開く。

「私も暗殺案に賛成だ」

 中将が元帥を睨みつける。しかし、“紳士”に気にする様子はない。

「連合王国軍としては、“反体制派”撲滅に一人の兵士も、一発の銃弾も提供する理由はない。当事国のみで事態に対処するべきだ。しかし、下手に鎮圧に手間取られては、本来失策も落ち度もなく安定している我々の占領地域に、反動の気運が波及してくる恐れがある。地続きだからな。故に、責任ある国が、暗殺でもって可及的速やかに元凶を除き、一刻も早く事態を正常化するべきだ。それが、同じ連合軍の仲間に対する適切な責任の取り方であろう」

 合衆国軍中将は、また顔を赤らめ大声で反論する……。それに対し、オロシーの元帥が反対し、また中将が反駁し、ガーリーの老元帥は微動だにせず、連合王国元帥が皮肉をふっかける………。


 軍政官たちによる永久の輪廻のような議論に、生粋の軍人ボナパルト将軍は腕時計をちらと見やり、深々とため息をつく。

 ――無意味な一万の言葉など、一発の砲弾の前には無力だ。

 彼はただ時が過ぎゆくのを、感じるばかりであった。




 各国代表たちが唾を飛ばし終えたのは、月が変わって三時間が経過した後のことである。

 ボナパルト将軍が自身の師団長執務室に戻れたのは、会議の解散後、さらに一時間経った時であった。前線で命を懸けて戦っている時以上の精神的疲労感を覚えながら、扉を開ける。

 すると、わずかな灯りに照らされる室内に、不気味な白い仮面が浮かんでいた。

「おかえりなさいませ」

 顔の左半面を純白のマスクで覆った作戦参謀ルイ・ランヌ大尉が敬礼で迎える。ボナパルト将軍は驚いて立ち止まる。

「起きていたのか?」

「無論です。会議の決定内容に従い、マンシュタイン将軍討伐の作戦を、いち早く少将閣下や元帥閣下にご提案するためなら、寝食はいといません。方針はどのようになりましたか?」

 ボナパルトが、柔らかい茶色の前髪を右手で掴み、静かに掻きむしる。それから手を離すと、くたびれた様子で部屋へ入り、デスクの椅子へ腰かける。徹夜で待っていた大尉が、緊張した姿勢のまま、体の正面を将軍へ向ける。ボナパルトは一つあくびを漏らすと、小さい声で呟く。

「マンシュタイン将軍は……暗殺される予定だ」

 作戦参謀の右目が大きく見開かれる。少将は、怪人のような形相のランヌを真っ直ぐ見据えた。

「これは連合軍としての決定事項だ。合衆国軍の代表は最後まで反対していたが、他の三か国が暗殺を支持したために、最終的に折れる他なくなった」

「そのようなことをすれば、ますますプロイス市民の憎悪を買いますよ」

「承知の上ということだ。一時的に憎悪は増すだろうが、反抗運動は全て力づくでねじ伏せ、全市民を無理やり従わせる腹だ」

「現実的な方策とは言い難いですね。家畜でも鞭だけで従わせることはできません。まして相手は人間です。連合軍は自滅するつもりでしょうか?」

「他人事のように言うが、我々も当事者だ」

「……実に不愉快ですね」

 仮面の横の右目が細められる。そして、参謀は荒々しく嘆息した。

「それでは、私の徹夜は無駄でしたか」

 しかし、ボナパルト将軍は右手を挙げて制した。

「ならば、私が意味を与えよう。次の想定における作戦を考案して欲しい」

 途端に作戦参謀は背筋を正し、将軍を見つめる。

「連合軍側の参加戦力は、合衆国軍の第四二歩兵師団と、第一七機甲師団、ガーリー軍は第二機甲師団……それと一応、連合王国軍第七機甲師団。敵側は、一個装甲師団規模。以上の想定で、こちらの損害が最も少なく、かつ、敵に最大のダメージを与えられる作戦を、具体的に提案せよ。戦場の設定は任せる」

 ランヌ大尉は、素肌に埋まる右目と、白い仮面の奥の左目を、野獣のように輝かせた。

「すると、閣下は、暗殺は失敗するとお考えなのですね?」

「……念のためだ。それだけだ」

 ボナパルトが何かを堪えるようにそう吐き出すと、参謀の右目が再び細くなる。

「なるほど。暗殺の失敗を予見されたというより、願っているのですか」

 将軍は不快そうに舌打ちし、手の甲を振って部下を追いやる。

「課題は与えた。早く出て行け」

 作戦参謀は、怪人のような鋭い笑みを浮かべて敬礼し、足早に退出した。それから、ボナパルト将軍は手を組んで嘆息し、閉じられたドアを見つめる。

 ――あの怪人の闘志は危険すぎる。彼自身にとっても、私にとっても……。

 頭の切れる、しかしどこか危うさを感じる参謀の不気味なマスクを思い浮かべ、将軍は再びため息を吐いた。

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