第5話 占領軍最高司令部の狂騒曲

 混乱というのは、起こした当人よりも、起こされた人間の方が、本来、動揺が大きいものである。

 その例に漏れず、ミュンヒェルンでマーリエンプラッツ宣言が発された後、相次いで非難声明を発した連合軍各国は、結局一日中右往左往するばかりで、プロイスの深夜を目前にして、とりあえず集まろうという段階にようやくなった。敗戦国の首都ベルーンに置かれる連合軍プロイス占領軍最高司令部で会議が始まったのは、8月31日が終わる三十分前であった。

 本来最大の盟主たる合衆国軍のみ、マンシュタイン将軍らによる攻撃の混乱が収まらないことから、アンダーソン元帥の代わりにベルーン駐在武官の中将が出席したものの、連合王国軍、ガーリー共和国軍、そして、オロシー社会主義連邦軍は、各軍の占領軍総司令官と、その忠臣たちが勢揃いしていた。中には、連合王国軍のブレナム公アーサー・ウェルズリー中将と、ガーリー軍のフィリップ・ルクレール・ボナパルト少将の姿もある。いずれも浮かない表情だが、それも仕方がない。それぞれウルムと、黒い森で、漆黒の怪物と戦い、敗走したのだから。

 合衆国軍の元帥名代が、まず簡単な挨拶とともに切り出す。

「各国総司令官並びに、諸将の皆さまには、夜分遅くの召集にも関わらず、参集いただき感謝申し上げる。幾つか相談したいことはあるが、初めに確認しておきたいのは、明日予定されていたプロイス新政府の解体についてだ。戦後処理のために設けられたこの政府については、諸々の戦後手続の終了後、明日9月1日をもって解散する手はずである。すでに必要な手続きは全て完了しているため、目下の状況に関わらず予定通り解散させ、明日より完全な分割占領統治へ移行したいと考えている。異議があれば、発言して欲しい」

 すると、連合王国軍の総司令官が眉根を寄せて口を開く。

「我が軍の占領地域については支障ないが、まさか合衆国軍が進んで新政府解体の断行を主張するとは思わなかった。貴国の占領地域は、ミュンヒェルンを中心にコントロールを失っているそうではないか。完全な分割占領統治とやらを、どう始めるつもりなのだ? 今晩に奇跡を起こす予定でもあるのか?」

 合衆国軍代表が不機嫌そうに咳払いする。

「これは平和戦線やら、スコーピオン・グループやらに対する示威行動だ。プロイス新政府の解体日については、すでに公表されている。この予定をずらせば、彼らの行動が有効であったことを認め、反動者どもに功績を与えて、ますます図に乗らせることになってしまう。現在、正当な占領統治が非合法的に害されている地域については、可能な限り早期に、総力をもって秩序の回復を行う。新政府解体の予定厳守は、その伏線だ」

 だが、紳士の眉間は未だ険しい。

「私は貴国の都合など心配はしていない。要するに、私が先ほど言いたかったのは、ミュンヒェルン一帯の無秩序さが、他の占領統治地域にまで波及してはかなわないということだ」

「だからこそ、早急に回復するつもりだ」

「違うちがう。そうではない。それは言うまでもなく、当然の義務だ。君たち合衆国人は本当に言葉面しか理解しないな。私が紳士として精一杯振る舞っているというのに、全く無教養で不作法だ。いいかね? 私が本当に言いたいことは、万一、貴国の占領地域における不首尾の結果が、我々連合王国の占領地にまで悪影響を及ぼした場合、どう責任を取るつもりかと聞いているのだ」

 連合王国元帥が、鼻を鳴らしながら“紳士流に”回りくどく責め立てる。と、合衆国軍中将は、不愉快さをストレートに顔全面に表した。

「言い方も、内容も、まったく無意味だ。それを私に答えさせて、何の利がある? そもそも私には決定権のない話だ」

 すかさずオロシー連邦の元帥が、葉巻を口から離し短く皮肉る。

「だろうな、中将だからな」

 それに対し、中将は顔を赤らめ、目を剥いて、ふてぶてしい北国の総司令官の鼻先に人差し指を突き立てる。

「高度に政治的な判断を伴うのだから、軍人である元帥にだって決定権はないだろう。それに、私はアンダーソン元帥の名代として出席している。この場において、あなたと立場は同じだ。根拠のない誹謗中傷はやめていただこう」

 しかし、葉巻をくわえた唇の片端をひねり上げ、気色悪い笑みをたたえるばかりで、謝罪も反省もない。

 ベルーン駐在武官が盛大に嘆息して、発言のない残り一人を見やる。ガーリー軍の老元帥は、開いているのか閉じているのかよく分からない目で、宙をぼんやりと見つめていた。中将が、再び大きなため息をつく。それから思い出したように、憎たらしいオロシー人を今一度睨みつけ、新しい話題を切り出す。

「かねてより気になっていたことがあるのだが、この際、皆さんの意見も聞いておきたい。8月15日のベルーンの黒い風事件に始まる各地の暴動――特にガーリー軍と我らが合衆国軍に甚大な被害をもたらした動乱の全ての元凶たる、退役軍人に対する年金支給停止の発表についてだ」

 他の三元帥が、同じ真剣な目をして中将に注目する。

「プロイスの新聞や民衆は、我々占領軍が新政府に圧力をかけて発表させたと信じ切っているが、少なくとも合衆国ではそのような事実は一切関知していない。おそらくガーリーもだろう。……元帥は、何かご存じなのでは?」

 熊のようなオロシーの元帥を真っ直ぐ見つめて問いただす。すると、大柄なオロシー人は慌てた様子で、訛りの酷い英語でしゃべり出す。

「んなにを、ゅ言うんだ! すぉもそも、連合王国だってぇ容疑者だろう!」

 すると、すかさず連合王国軍元帥が、清流のように美しいキングス・イングリッシュで反駁する。

「我々は紳士として、常に礼節を弁えている。戦いが終わったら、全ての敵意を忘れねばならないというのが、文明国たる連合王国軍の矜持だ。将兵が皆、この誇りを持って占領地にあるため、我々の占領地域には未だ市民の不満というものはない。おかげで容疑者のリストに載せてもらえないのだよ」

「でぁとしても! オロシーも、すぉおの件について、んなぁにも知らん! 侮辱はゅ許さん!」

 中将が眉をしかめて、首肯した。

「分かった。だからもう喋るな。耳が腐りそうな発音だ」

 一応合衆国流のジョークのつもりで言ったのだろうが、通じるのは西側の三か国だけだ。東側に取り残されたオロシーは、酷く憤慨して地団駄踏むが、何を言っているのかやはり全く分からない。


 しかし、西側諸国は熊が何を叫ぼうとも、オロシーが独断でプロイス新政府を脅迫し、唐突に退役軍人への年金支給停止を発表させたのだと確信していた。新政府と言っても、あくまで戦後手続のための窓口のような存在であって、実質的な政策決定も実行もできないのだ。つまり、突然の発表には、必然的に外圧があったということになるが、合衆国、連合王国、ガーリーはそのような要求をしていない。それはお互いに確認済みだ。だとすれば、消去法でオロシーが何かを企んでいると考えるのは当然のことである。――しかし、何が狙いなのかを掴みかねていた。

 できれば、それを白状させたかったが、仮に知っていたとしても、この元帥の語学力では難しかろう。三人は目を見合わせると、あきらめたように首を左右へ振った。


 マンシュタイン将軍でさえ誤った形で認識している本件については、また後日ということになり、三度合衆国軍中将が、議題を提供する。

「では、元凶に関する詮索ではなく、目下最大の問題に関して対応策を話し合おう。今朝、ミュンヒェルンで発されたマーリエンプラッツ宣言についてだ」

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