第4話 若社長
「あ、ああ、残念ながら……候補には入っていない」
「そうか……。まあ彼らも事業の再建があろうから、フラウだけでも協力していただけるなら喜ばしいことだ」
「――その、一応補足しておくが、アイゼンシュタイン伯家は
含みのある言い方にマリーは首を傾げる。フレッドも初めは怪訝に眉間に皺を寄せていたが、やがて理解し頭を抱えた。
「そうか、そういうことか……」
マリーも数拍遅れて、あっと声を漏らす。
「ユデ系ってことは、伯爵家全員、資産没収の上で強制収容所に送られて、それで――」
「今や、名門一族でフラウが唯一の生き残りだそうだ」
重い沈黙がおりる。
長い戦争の時代、ユデ教徒に対する“浄化政策”の目を覆いたくなるような実態は、市井のよく知れるところではなかったが、占領軍による現地視察と国際軍事法廷を通して次第に暴かれてゆき、すでに周知のこととなっていた。しかし、連合軍は、そうして人類史に刻まれる罪を弾劾する一方で、唾飛ばす口の下では、右手で女性の胸を掴み、左手で財布を盗み、右足で老婆を蹴飛ばし、左足で全ての市民を踏みつけにしているのだから、全く格好がつかない。事実、エリーゼも、収容所で六年以上虐げられ、ようやく解放されたと思ったら、今度は進駐してきたオロシー連邦軍に屋敷を不法に奪われ、抵抗して兵士に暴行されそうになり、命からがら逃げだして、数少なくなった信用できる人たちの間を渡り歩く生活を送っていた。
フレッドは唾を飲み下し、口を開く。碧眼が元大公のグレーの瞳を真っ直ぐ見つめる。
「スコーピオン・グループの理念は、
成り行きとは言えせっかく社長になったんだ、これくらいの我が儘は言ってもいいだろう、と唇の片端をねじ上げて笑う。最後に足された相変わらずな口調に、二人は苦笑した。
「分かった。エリーゼ女史には必ずそう伝え、正式に打診する」
フレッドは満足そうに一つうなずく。
マリーが頭の後ろで手を組み、いたずらな笑みを浮かべる。
「フレッドも意外と熱いところあるのね。本音を語ってる姿は、すごく頼もしいわ」
「企業には理念とそれに即した合理的行動が必要であり、経営者には信念とこれに基づく合理的選択が必要だ。別に個人の願望を吐露したわけじゃない。経営の一般理論に従っているだけだ」
「もう! 素直じゃないんだから。叶えたいものがあるなら、そうしたい! って一言でいいじゃない。ほんとフレッドって変に理屈っぽいわよね」
全く遠慮のない指摘に、カールがかすかに笑う。言われた当の本人はと言えば、頭を掻いていた。
「……まあ、そうは言うが、たとえば他人を説得するには感情より先に論理だ。感情は千差万別だが、論理は普遍だからな」
「そうかしら? 論理ももちろん大切だけど、頭と心の納得が合わさって、初めて人って動くものじゃない? その点、フレッドは、頭でっかち過ぎるわ」
カールが思わず感心して首を縦に振る。それからはっとして、社長の方に視線をやると、フレッドは両手をデスクの上に組み、深々と嘆息していた。
「なるほど……それは道理だな。人は頭での納得と、心の納得感を得られて、はじめて他者に進んで従う――その通りかもしれん。よほどお前さんが、経営者の座に就いた方が、うまくいくんではないか?」
普段通りの皮肉っぽい言葉のはずが、いつもとは違う弱々しい声音で囁かれる。マリーの指摘が、かなり刺さったらしい……。乾いた笑いを浮かべる繊細な青年の姿に、年上の女史は慌てて両手を振る。
「いやっ、そうは言っても、私、技師だし、経営とかはちょっと……」
「あ、ああ、すまない。余計な気を遣わせてしまって。冗談のつもりだったんだが……」
本人も自分の口から出た痛々しい声音に驚きつつ、頭を掻く。壮年の紳士のグレーの瞳は、静かに若社長を見守っていた。
フレッドは、頭にやった右手を、空間を切るように机の上へ下ろす。それから二人を見つめた。
「ああ……こちらからの話は以上だが、そちらからは?」
「私からは特にないわ」
「私も報告は以上だ」
社長は一つうなずくと、窓越しに夜空を見上げる。幾つか星が弱々しくまたたいているも、広大な夜闇はそれを飲み込まんばかりだ。フレッドは机の下で、神経質そうに両手を組む。
こけた頬はますます血色を悪くし、細い喉が上下した。
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