第3話 恩義あるフラウ

 興味深い話に、マリーも前のめりになる。元大貴族は、Natürlichナトゥーリッヒ(無論だ)と言ってうなずいた。

「まずは、将兵を養成する機関の長についてだが、クレメンス・ヤーコプ・フォン・メッケル退役中将に話をしている。軍歴が非常に長く、第一次世界戦争ではプロイス帝国陸軍の前線司令官および参謀本部将校として活躍し、終戦後の著しい軍備制限下でも、新しい共和国陸軍に残留できたエリートだ。しかし、あの田舎者で、エリートと貴族が大嫌いなフューラーとはやはり反りが合わず、参謀本部から地方の師団長職に左遷され、それを機に自ら軍を辞した。そのため、第二次世界戦争の間は、専ら実家に隠居し、趣味の音楽に没頭していたそうだ。屋敷は戦争と占領、両方の被害を免れ、今も老夫婦で比較的平穏に暮らしているようだが、十年近い隠居生活の中で何か心境の変化があったのだろう。もし正式な打診があれば、喜んで協力すると言ってきている」

「なるほど。老練の人といった感じだが、特に養成の責任者に推す理由は何だ?」

「メッケル退役中将は、実戦経験に加え、外国での観戦武官の経験も豊富で、そうして得た知識に基づき士官学校で長く教鞭をとっていた。事実、優秀な将校たちが彼の指導下より多数輩出されている。軍事・教育いずれの素養も十分にある点が、推薦する根拠だ。ただ……」

 突然、言い淀んだので、フレッドは眉を寄せる。

「ただ……?」

「気になることもある」

「何だ?」

「年齢だ」

 カールが多少言いづらそうに髭の先を触る。

「生まれが1871年1月18日。かの鉄血宰相が暗躍し、プロイス帝国の建国が、ヴェルサイユは鏡の間で宣言された日に産声を上げたのだ」

「……ん? あー、つまり何歳だ?」

「七四歳でしょ」

 計算の遅い文系将軍の目の前で、技師が即答する。フレッドは、意外な高齢に驚いて頭を掻いた。

「それはなかなかだな……だが、今必要なのは即戦力だ。しかも、気概があるのなら拒む理由はない。と言うか、その年になってなお、隠居を止めて、危ない橋を進んで渡ろうというような老人は、簡単にはくたばるまい」

 評価しているのだろうが、あんまりな言い草にマリーが渋い表情を浮かべる。カールも苦笑いを浮かべつつ、首肯した。

「それでは、正式に打診をして良いか?」

 Bitteビッテ(頼む)と短く返し、足を組む。

「他の候補はどうだ?」

「次は……スコーピオン自由軍の参謀総長だ」

 平和戦線派軍にとって、元帥に次ぐ最重要ポジションの話に、フレッドはデスクへ乗り上げんばかりに上体を倒し、グレーの瞳を見つめ、耳を傾ける。

「私が今まで四七年の人生で出会った中で、最も優秀で、聡明で、人格的に優れ、それでいて謙虚の美徳を弁えている人物だ」

 マリーも固唾を飲んで、カールを見守る。

「だが、この人物を貴殿に推薦するのは少々躊躇いもある。その訳は、彼女の名前を聞けば分かると思うが……」

「彼女? 女性なのか。……まさか、俺の姉か?」

 え? とマリーの目線がフレッドへ向く。これほど絶賛されている対象に、身内を挙げるのか、という驚きより、もしかしてシスコンなの? という疑惑の視線に近い――よりにもよって彼女にだけは言われたくないが。一方でカールは困ったように髭をなでる。

「貴殿の姉君とは面識がないから何ともコメントはし難いが……もちろん淑女だ。その名は、エリーゼ・フォン・アイゼンシュタイン。ユデ系貴族で大銀行家のアイゼンシュタイン伯家の長女であり、女性でなければ将来の頭取と言われていたほどの才女だ。だが……」

「アイゼンシュタイン銀行は、プロイスにおける“邪悪な”ユデ系資本として全ての資産を国庫に没収され、強制的に解体された。……以下余談だが、それである行員が路頭に迷いそうになったところに、狙ったように国防軍から召集状が来て、それから約二年後、皮肉屋で、金に目がない若すぎる将軍アルフレッド・マンシュタインが東部戦線で生まれてしまったんだ。知ってるさ。フラウ・エリーゼは、俺の大上司だった。稀に見る才女で、常に刺激を与えてくれる本当に理想の上司だ」

 マリーが驚いて目をしばたたく。大公グロース・ヘルツォークが静かな声音で確認する。

「かつての上司を直属の部下にすることに抵抗はあるか? 私が懸念しているのはその点だ」

 フレッドは笑って首を横へ振った。

「フラウ・エリーゼを参謀総長に迎えられるなら、控えめに言っても百人力だ。俺に不合理な感情論はない。特段やり辛いとは思わないし、気にしないよ。唯一困るとすれば――俺の給料の十倍は払わないといけない点くらいだろう。むしろ先方が、出来損ないの新米行員のことを、覚えていないことを切に願うよ」

 カールが珍しく声を出して笑う。

「フラウは、出来損ない行員については何も知らない様子だったが、優秀な新米行員のことはよく覚えていた」

 どうだか、と元新米行員は苦笑して肩をすくめる。

「思えば――実際の次期頭取候補はフラウの弟で、アイゼンシュタイン伯の……たしか長男だったはずだが、彼も非常に優れた人間だった。仕事もできるし、皆から好かれていたよ。それでもフラウには及ばなかったが……そうだ、他のアイゼンシュタイン伯家の者にも、協力をお願いしたい。皆優秀で、刺激的な人たちばかりだからな。先方さえ良ければ、またぜひ一緒に仕事をしたい。他の役職の候補に入ってたりは?」

 フレッドが目を輝かせて問うと、カールは咳払いして目を背けた。

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