3章終話 宣戦布告

 8月31日、機は熟した。

 元ダッハウブルク駐屯地併設の兵器工廠も操業開始の目途が立ち、黒いパンツァージャケットを着たアルフレッド・マンシュタインと、宿屋の給仕姿のニメール・エローは、そろってミュンヒェルンへ入城した。街の中央広場へは、朝早いにも関わらず、大勢の市民が駆け付け、歓呼の声で英雄を出迎える。その熱狂ぶりをニメールが手配をお願いしたテレビ局や、ラジオ局、新聞社の記者が世紀の瞬間だと興奮した様子で記録する。

 ニメールとフレッドは、広場中央の柱像のモニュメントへと人垣を掻き分け近づいてゆく。その足元へ至ると、柱の頂上に立つ黄金のマリア像を見上げた。それから、慎重にその土台に登る。そこから、周りをぐるりと取り囲む群衆に、笑顔で大きく手を振った。すると、地鳴りのような拍手と歓声が、広場を埋め尽くす市民の海から沸き起こる。あまりの迫力に目を丸くして叫ぶニメールの姿を、カメラマンは舌なめずりしてとらえた。その横に並ぶマンシュタインはと言えば、わずかに笑顔が強張っているが、興奮しかない広場でそれに気付ける者はおそらく皆無だろう。

 群衆が一人またひとりと次第に静かになってゆく。やがて広場中が息をひそめ、マンシュタインの第一声を待ちわびる。フレッドは、今まで経験のない耳目の集中を感じ、生唾を呑んだ。それから一度深呼吸し、無限に視線を向けてくる広場全体を見渡すと、よく響く落ち着いた声で語り出した。

「市民の皆さま。突然の訪問にも関わらず、こうしてお集まりいただき、まこと感謝にたえない」

 ――常套句の挨拶でスピーチを始める。が、指摘するのは野暮かもしれないが、“突然の訪問”にも関わらず大勢の人が詰めかけたのは、ニメールとロマーヌという姉妹の事前の根回しによるものである。白々しいと言ってしまえばそれまでだが、スキルの良し悪しは目的や目標の善悪に依存してしまうものだ。

「私、アルフレッド・マンシュタインは、こちらのニメール・エロー女史とともに、占領軍による不当な抑圧を退け、全てのプロイス市民に自由を取り戻すための戦いを、始めることを宣言する。Dasダス istイスト einアイン Kampfカンプフ fürフュア Freiheitフライハイト undウントゥ Gerechtigkeitゲレーヒティッヒカイト!(これは自由と公正のための戦いだ!)」

 二言目に飛び出した“宣言”に、市民は目を剥き、圧倒的な興奮と、ほぼ同量の恐怖を持って声を上げる。救国の英雄は、形式的な挨拶に続けて、落ち着いた声音ではっきりと、占領軍に対する宣戦布告・・・・をしたのだ。カメラマンも、予想だにしなかった爆弾発言に震え、思わずカメラを取り落としそうになる。闘争の機運は高まっていたし、合衆国軍との全面対決は避けがたかったとは言え、自ら進んで一気に四か国の占領軍を敵に回すなど……あまりに無謀に思えるし、自暴自棄になったのかとさえ感じられる。

 ――英雄と言われたこの人をもってしても、端から勝ち目などないのではないか?

 が、そうした群衆の動揺を見越していたフレッドは、用意していた続きを話す。

「市民の普遍的な自由を守る我々の決断と行動が正義であるのは自明の理だが、自国の威信と権益を傷つけられた合衆国軍は、我々を許そうはずがない。そして、なりふり構っていられなくなれば、必ず味方を呼ぶだろう。そして、呼ばれた連合王国、ガーリー共和国、オロシー連邦が、応援を拒否するとは考え難い。どこが相手であれ、占領軍と戦うなら、同じことだ。必ず四か国と同時に戦うことになる。これ以外の道はない。だが、私はそのような道を、この国とともに五年間歩いてきた。よく見知った道だ」

 やや自虐的な、しかし自信を覗かせる唯一の勝ち将軍の言葉に、市民から同意の唸りが漏れる。

 一呼吸置いて、周りを360度取り囲む群衆をもう一度見渡すと、ほとんどがまた真っ直ぐな熱を持ってフレッドを見つめていた。

「自由のための戦いに向け、我々はダッハウブルクに一つ目の兵器工廠を設置した。また、広く将兵を募るつもりだ。元軍人には限らない。未経験者でもいい。初めてでは不安もあろうが、教育はしっかりと授ける。とにかく巨悪に立ち向かうためには、性別や宗教、人種などに関わりなく、多くの人の協力が必要だ」

 演説に集中する群衆の中から、無言の内に熱気を感じる。

「我々が今日こうして参ったのは、闘争を進めるための具体的な組織について、皆さんに紹介をするためだ。多くの方々の参集を期待している。それでは、まずはニメール・エロー女史から。彼女は連合軍を恐怖せしめたフロイデンヴァルト・レジスタンスの首班で、私も昨年の黒の森作戦に関連して大変お世話になった人物だ」

 一般の認知度は皆無に等しい少女を紹介し、バトンを渡す。広場中の耳目は、素直にわずか一六歳のリーダーへ集中した。ニメールは、高いマリア像の土台から、自分の周囲を囲む大群衆に呼びかける。

「お集まりいただいたミュンヒェルン市民の皆さま、そしてラジオ、テレビの前にいらっしゃるレジスタンスと市民の皆さま。本日、皆さまにご挨拶できることを、心の底から神に感謝いたします。わたし、こと、ニメール・エローは、本日、“平和戦線”の結党を宣言します。平和戦線は、全国のレジスタンスと、プロイス市民の皆さまの連帯を作り上げ、我々の自由を取り戻すべく――不当なる占領軍を排斥して、我々の手に自由を取り戻すべく、ともに・・・戦うための組織なのです!」

 360度、どの方角からも大歓声が沸き上がる。ニメールは大きく手を振ってそれにこたえ、再び沈黙するのを待って演説を続けた。

「現在、プロイス全土で、“勝者”を名乗る占領軍によって、不当に人権と自由が侵害されています。負けに負け続け、ついには首都まで再占領された国もある中、恥知らずにも“戦勝国”を自称する連合軍は、終戦条約で我々の普遍的な人権を制約し、自由を奪い、彼らの経済活動に対し我々を家畜のごとく強制労働に当たらせることを明記しました。しかし、いかなる人物の署名があっても、人間に等しく保障された権利や自由を不当に奪うことは、断じて認められません。まして彼らは、不法なる終戦条約に不当に盛り込んだ強制労働どころか、既存の国際法や、近代的な人間社会の普遍的価値にさえ明らかに反して、ただ必死に生活しているだけの我々市民を一方的に襲い、略奪し、それを取り締まることもなく、ただあざ笑っているのです。さらには、皆さまにとって良き父、良き息子である元軍人たちを、不当に長期にわたって抑留・・し、過酷な環境下で、奴隷のように労働に使い捨てているのです。打倒ファシズムを掲げた彼らの語る“正義”は、すでに彼ら自身の下卑た行いによって汚されました。いかなる言い訳も通用しません。仮に下種である彼らが聖書に手を置いて自らの潔白を宣誓しても、ここにおわすマリアさまをはじめ、全ての聖人たちと神は、この世界の善悪をずっとご覧になっているのです」

 Jaヤー! Ja! と怒りをはらんだ同意の声が飛ぶ。ニメールはその一つひとつをしっかりと受け止め、歴史ある広場に集った市民らを見回す。

「ミュンヒェルンは、何百年もの間、マリアさまに守られてきた街です。とは言え、過去二十年あまりの間には、光の顔もあれば、影の顔もありました。一つ目の顔は、1923年のミュンヒェルン一揆です。身勝手で愚かな若者がこの街で蜂起したことで、つい最近まで、独裁政権の名誉都市という悪名を甘んじて受けることになりました。二つ目の顔は、反独裁運動に命を懸けた、ミュンヒェルン大学の白バラの勇者たちです。彼らの勇気ある正しい行いは、悪の政権によって死刑という悲劇的な結末を迎えました。ですが、我々は決して白バラの高尚な心と、勇気ある行動を忘れてはいけません! 彼らはミュンヒェルンの誇りなのです! 三つ目の顔は、白バラの散った花弁も、抜け落ちた悪魔の羽も踏みつけて、訳もなくふんぞり返っていたヤンキーたちの巣窟です。彼らは我々の尊厳を踏みにじり、不当に勝利を盗み、挙句、人として最低限の自由や人権さえも奪い去りました」

 群衆は熱狂と、苦しい唸り声を繰り返す。

「我々がなすべきは、無法者の横暴に沈黙することではなく、独裁政権の過ちを反省し、いかなる自由の侵害も認めないことなのです。バーガーを貪り食って腹を掻き、痩せこけた我々プロイス市民を足蹴にし、不当に抑留した元軍人たちを、ノミやダニとともに私利私欲のため使役する合衆国軍は、またこれに代表されるようなその他の占領軍は、プロイスから完全に排斥しなければなりません。我々は自由を希求した白バラの誇りを忘れず、彼らにならって行動を起こすべきなのです!」

 雲一つない青空に、小さな、しかし固く握られた少女の拳が突き立てられる。

Anアン dieディー Freiheitフライハイト!(自由に寄す!) このミュンヒェルンから、プロイス全市民の“自由に寄す”戦いを、全てのレジスタンスと市民が連帯して始めるのです! 我々平和戦線が、ミュンヒェルンの四つ目の顔、二つ目の明るい希望、そして、プロイス市民を導く一等星となるのです!」

 ニメールを取り囲む何千という人たちが、マリア像の下の戦乙女に夢中になって声を上げる。ニメールは小さい体からは想像できない大音声で、歓呼にこたえる。

Anアン dieディー Freiheitフライハイト! 不法なる終戦条約と不当なる占領から、市民に自由を取り戻し、その先に、自主独立した個人やコミュニティが公正な関係を築ける、平和な社会を形作っていくのです。An die Freiheit! そのために、まず我々の自由を! An die Freiheit! “自由に寄す”戦いを、ともに始めましょう!」

 Anアン dieディー Freiheitフライハイト! 群衆が一斉に歓喜の声を上げ、闘志の炎が広場を包む。

 ニメールは満面の笑みで手を振ってこたえ、フレッドは固い表情で手を振りながら、途方もない戦争の始まりを実感し、内心で肝を冷やしていた……。


 とにもかくにも日は昇った。


 大切なひとのための戦いは、いよいよ連帯して一歩目を踏み出す。

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