第33話 ミュンヒェルン解放

 ダッハウブルク基地占拠の報に世界が衝撃を受けた翌日、連合軍各国の首脳たちは、生涯最悪の朝を迎えることになった。

 特に合衆国大統領は、ホワイトハウスで寝巻のまま崩れ落ちた。

「プ、プロイス占領軍司令部が、ミュンヒェルンより脱出しただと?! 一体、誰がそんなことを許可した!! アンダーソン元帥は何をやってる!! みすみすダッハウブルクを取られたばかりか、占領軍最高司令部まで失うとは!! 奴ら、プロイスにピクニックでもしに行ったつもりか!?」

 国防長官が青ざめた顔で報告する。

「ミュンヒェルンからの撤退は、もちろん許されない失態ですが、尋常ならざる攻撃が夜間に行われたとのこと。ダッハウブルクを失った今、最高司令部の防衛戦力は十分でなく、ミュンヒェルンを放棄して逃亡しなければ、元帥や参謀たちの命が危ないところでした」

「やむを得ないと言うのか?」

「そこまでは申し上げませんが、すでに陸軍の人的損耗は戦争末期で限界に達しております。アンダーソンやマクドナルドを今失うと、その後継にふさわしい人物がいないのです」

「育成不足なら君の責任ではないか」

「一部責任は認めますが、決して怠っていたわけではありません。正確には私の予想をはるかに上回る損失が、昨年秋以降に出てしまったことが原因です。人は半年やそこらでは育ちません」

「昨年秋以降……? なるほど。つまり“プロイス陸軍最高の頭脳”が、我が国将兵の生き血を吸って“西部戦線の覇者”に化けたことを言ってるのか。そして、今また奴が蠢動し、我が国の人的物的資源をむさぼって、怪物になろうとしている――。プロイスの合衆国軍は怪物の苗床となって、服従するのかね? 私はアンダーソンに、黙って蹂躙されろと命令した覚えはないぞ! 君にもだ! 君とアンダーソンの役目は、世界を混沌に突き落とした邪悪なプロイスを、二度と立ち上がれないよう完膚なきまで叩きのめし、こちらが損害を負った分、人も物も徹底的に搾取することにある。終戦条約にもそう明記されている。違うか?!」

 国防長官はハンカチで額の汗をぬぐいながら、相違ありません、大統領と返す。怒り狂ったプレジデントは、ナイトガウン姿で舌打ちして睨みつける。

「で? 負け犬のアンダーソンは、今どこで戦っている?」

「アウクスブルクです。最高司令部と若干の手元兵力を携え、同都市に置かれる歩兵師団の駐屯地へ撤退しました。アウクスブルクは、ミュンヒェルンより北西に65キロ。街道沿いではありませんが、ダッハウブルクもルート近くに存在します」

「ミュンヒェルン一帯の戦力はどうなってる?」

「ダッハウブルクの第一四機甲師団が消滅。アウクスブルクの第五八歩兵師団が最前線です」

「何? では、ミュンヒェルンのコントロールは全く取れていないのか?」

「現状が続けば、そうなる可能性は非常に高いと言わざるを得ません……」

 国防長官が震える声で遠回しに肯定すると、大統領は頭を抱え、口汚く罵った。

 すでに彼らには、物量を背景とした余裕はない。昨日までは夢にも思わなかったが、ミュンヒェルンに二度と星条旗が翻らない明日が、汗ばんだ手に届きそうになっていた。




 人を人とも思わぬ占領統治から、少なくとも一時的に解放されたミュンヒェルンは、市民総出でお祭り騒ぎであった。彼らは口々に、獲得した自由を祝い、神のように振る舞っていた悪魔を追い出した勇者たちを称えた。

「マンシュタイン将軍万歳! マンシュタイン将軍万歳! レジスタンス万歳! レジスタンス万歳!」

 朝からビール樽を割り、勝利の盃を市民とレジスタンスらが交わしている――深夜の戦闘の首尾や結果から、そんな祝宴の様子まで、同胞より一足先に戻ってきたロベルトの報告は、端的ながら、聞き手の集中力を失わせないものだった。聞き終えたフレッドは、大きくうなずくと笑顔を見せる。

「やはりロベルトに指揮を任せて良かった。非常に困難な作戦であったにも関わらず、よく遂行してくれた。マクドナルド少将とアンダーソン元帥らに逃げられたのは残念だが、ミュンヒェルン解放という第一の目標が果たせたのだから十分だ。ご苦労だった、ゆっくり休んでくれ。なんせ……次もまた任せたいからね、体はくれぐれも大事にしてくれ」

 最後付け加えるように言うが、これは本気の言葉だ。ロベルトにもそれが伝わったのか、疲労が濃かった顔に、一瞬朱が差す。立ち上がって、ぎこちないながらも右手を額に当てて敬礼すると、指の先まで力が張り巡らされているのが、一見して感じられた。フレッドが座ったまま、答礼すると、ロベルトは笑顔になって部屋を駆け出した。

 将軍は、横に座って一緒に報告を聞いていたニメールの方を向く。

「ロベルトは本当に優秀だな。初見の地味な印象に寄らず、人心を巧みにつかむ天賦の才がある。しかも、作戦などの飲み込みが非常に早い」

Jaヤー! 本当に自慢の部下なのです!」

 にっこり笑う少女の左に掛けたカールが、けれども、髭の先を撫でながら眉をしかめた。

「合衆国軍プロイス占領軍最高司令部は、アウクスブルク方面へ逃走を図ったとのことだが、仮に同市へ逃げ込んだとして、ミュンヒェルンとの距離は65キロ程度しかない。さらにここ、ダッハウブルクはその途上と言っても差し支えない位置にある。必ずミュンヒェルン奪還のための軍事行動があるだろうが、それへはどう対処するつもりだ?」

 フレッドはコーヒーを一口傾けてから、小柄なニメールの頭上を通り越し、カールの目を真っ直ぐ見つめる。

「できればとっ捕まえてしばきたいが、最悪もっと遠くへ、もっと西へ逃げてもらうさ」

「可能なのか? たしかに参加レジスタンスの数は増大しているが、敵は正規兵なのだから正攻法では……まさか同じことをするつもりなのか?」

「まったく同じとは言わないが、似たようなことにはなる。どうしても、戦略的な限界から、戦術上の選択の幅が狭いからな。だから敵の不意を突けるとすれば、あとは早さだけだ。明朝、世界は三度目の衝撃を味わうことになる」

 プロイス陸軍が生んだ、と言うより、ほとんど手違いで生んでしまった元銀行家の天才的な頭脳は、灰色に染まりながらも、凄まじい回転を見せつける。ニメールとカールは、将軍の断言に生唾を呑んだ。

「アンダーソンらが逃げるとしたら、ミュンヒェルンに最も近く、かつ、十分な部隊のいる駐屯地だということは分かっていた。この条件に当てはまるのは、第五八歩兵師団が置かれるアウクスブルクだ。すでに昨夜からロマーヌが駐屯地に侵入し、現地レジスタンスと連携して工作を進めている。――不発に終われば良かったが、逃げられたからな、万一の備えが功を奏するというわけだ」

 そうして安堵の息を漏らす。が、すぐ頭を掻いて嘆息した。

「もういい加減アウクスブルクで捕まえたいが……万一またも逃げられた場合は、静観する他ない。ロマーヌは一人しかいないし、そもそも追いかけっこ以外にもすべきことがある。それに次の撤退先は、おそらくシュトゥルムガルトか、フランクフルト・アム・マインだ。いずれも合衆国軍占領軍の部隊が駐留しているが、前者はミュンヒェルンから200キロ以上、後者はおよそ350キロも離れている。アウクスブルクにいられるよりは、多少落ち着けるというものさ」

「落ち着けるだろうか?」

「無論、いち早く兵器工廠を稼働させて、将兵となる人を集めるのが前提だ。これこそ、追いかけっこ以外に優先して取り組むべきことだよ」

「工廠には、今マリーさんが行っているのです?」

Jaヤー. 改装の下見に行っている。工科大学の先輩とか言うドクトル……あの、あれ、何だっけ……まあドクトルなどと一緒にだ」

「……ドクトル・シュミット」

 部屋の置物より存在感がなかったシモンが、フレッドの右から囁く。ニメールとカールは幽霊を見たかのように驚いて、黒髪の砲手に目を向けるが、さすが戦友は慣れている。

「そうだ思い出した、それだ。Dankeダンケ, Herrヘル Geistガイスト(ありがとう、幽霊さん)」

 ……慣れても、印象は変わらないらしい。

 ニメールが、そう言えば、と切り出し、真横の将軍を見上げる。

「ドクトルが恩人の方というお話は、結局、何だったのです?」

 うん? ああ、と息を吐くと、脳天をぽり、ぽりと掻く。

「アレクや伯爵グラーフが、俺をパリスから脱出させたとき、一機のタイフン連絡機を用意したことは話したと思うが、その操縦席にいたのが、ドクトル・シュミットだったらしい。……確かに命の恩人だが、覚えていなくても仕方がないだろう。俺が、彼女にすがって救出してくれとお願いしたわけじゃない。俺は部下三人に、力づくで機内へ投げ込まれたんだからな。誰が操縦してるかなんて、全く問題じゃなかった」

 皮肉を吐きながら、右脇に立つ信頼・・ある・・黒髪の戦友を見やる。シモンは真っ直ぐ碧眼を見つめ返して、静かな声で呟いた。

「……将軍なら、部下三人を跳ね返すくらいの筋力は、あって損しない」

「無茶言うな。札束より重いものなんか、ずっと持ったことなかったんだ」

 元銀行家が肩をすくめる。彼らしいアイロニックな返しに、司令室に笑いがこぼれた。




 8月25日、フレッドが断言した通り、三度目の衝撃が連合軍を襲った。

 マンシュタインに与するレジスタンスが、アウクスブルクの合衆国軍第五八歩兵師団駐屯地を夜襲したのだ。基地では夜通し厳重な警戒をしていたにも関わらず、一か所門の錠がなぜか・・・外れていたところから容易に侵入を許し、元帥らと師団は一目散に逃げだした。世界を我が物と思う大国の軍隊には、ここ数日ですっかり逃げ癖がついていた。

 惨めに逃走を開始した彼らは、フレッドの予測通り、26日~30日頃にかけて、シュトゥルムガルトの歩兵師団駐屯地や、フランクフルト・アム・マインの機甲師団駐屯地へと散り散りになって逃げ込んだ。プロイスの南半分を占領していた合衆国軍の実効支配領域は、三日三晩で半分にまで減じ、威信はそれ以上に低下していた。

 これとは対照的に、頭上を覆っていた暗雲をはらわれ、ようやく自由を手にした市民たちの間には、再び奇跡をもたらしたマンシュタイン将軍への期待が急速に高まっていた。また、ロマーヌの根回しや、ニメールに依頼されたレジスタンスによる宣伝により、さらに大規模な闘争に向けた組織が編成される予定であるという噂も順調に広まっていた。

 あとは公式の発表をぶつけるだけだ――。

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