第32話 鎮圧と抵抗

 すぐまぶたを開き、勢いよく前へ乗り出す。両手は組まれて、膝の上へ落ち着いた。マリーも完全に筆を止め、ラジオを見つめている。放送局の人間が、占領軍最高司令官からの緊急放送である旨を繰り返すと、かすかな雑音を挟んでから、渋いノース・アメリカン・イングリッシュの声が流れてきた。

「合衆国軍プロイス占領軍最高司令官、ダニエル・アンダーソン元帥である。今、私は深い悲しみと、途方もない怒りを表明せざるを得ない。昨日8月22日、プロイス国防軍陸軍の元少将、アルフレッド・マンシュタインが首謀した蜂起により、我々の重要拠点たるダッハウブルク基地が占領された。この元少将らの行いは、終戦条約に基づく秩序への不当な挑戦であり、その邪悪な意思と我が軍に対する攻撃に対し、強く無念と怒りを表明するものである。我々合衆国軍は、連合軍の一員として、プロイス全権代表たるカイテル元帥との間に、合法的に終戦条約を締結した。元少将がその時、どの国の首都にいたのだとしても、終戦条約の発効について違法性は主張できない。一師団の所在に関わらず、プロイスは5月8日、正式に敗北したのだ。また、我々の占領統治は、完全にその条約の範囲内であると断言できる」

 誰にとっても眉唾な“断言”に、一瞬、占領した司令室がざわつく。

「我々は、マンシュタイン元少将が首謀する類の反乱行為には、一切妥協しない。交渉はない。鎮圧あるのみだ。それを、負傷した第一四機甲師団のマクドナルド少将も、強く望んでいる」

 フレッドが前髪をかき上げ、背もたれに向けて倒れる。その鼻からは荒々しく息が漏れていた。

「すぐに不当なる挑戦は、ことごとく鎮圧されるであろう。そのような事態を望まない心あるプロイス人は、直ちに武器を捨て、新たな秩序に恭順の意思を示すべきだ。全てのプロイス人が敗北を受け入れなければならない――その先にのみ、次なる時代が与えられるのだから」

 全プロイス人を標的とした簡潔で過激なスピーチが終わると、わざとらしい拍手が放送される。フレッドは顔をゆがめ、歯ぎしりし、ついには全身が細かく震え出す。そして、唇の端から泡を吹いて、止めろとめろ! とマリーに叫んだ。技師は万年筆を持ったまま、慌ててラジオのスイッチを消した。

 合衆国軍元帥から名指しされた元少将は、苛立った様子で脳天を掻きむしり、荒っぽく息を吐く。

「逃げられた……。逃げられたよ、逃げられた! これで二度目だ!!」

 舌打ちして立ち上がり、後ろに手を組んでうろうろ歩き始める。

「たしかに作戦の主目的ではなかったが、捕縛しておければ戦略的な選択肢が広がったし、はるかに今後戦いやすかった。しかも、アイアン公爵・デュークやボナパルト将軍にしてやられるならまだしも、あんなただのデブに二度も逃げられるとは! 幸運の女神とも寝たに違いないさ、あのあぶらぎったハムめ!」

 過去最大級の暴言にマリーは噴き出しかける。が、それを必死に留め、笑顔を浮かべて言った。

「さすがに女神でも、“ハム”とただで寝るとは思えないわ。きっと太っ腹にふさわしく、大枚はたいたのね。一回目で全財産の半分を、二回目で残り半分を」

「何だ、つまり、もう女神を買う金はないと?」

「そう思った方が楽じゃない」

 究極の楽天家がにぱっと笑うと、世紀の悲観主義者は盛大にため息をついた。

「一切同意しないが……まあ、今はおかげで冷静になれたし良しとしよう。怒りは事態を解決しない。これは事実だ」

 己の非合理的な行動を反省し、元いた椅子へおさまる。嘆息が止まらないフレッドに、ニメールが心底から感動して言葉をかけた。

「さすが閣下なのです! 予測の通りなのです!」

 しかし、青い目を灰色に染めながら、頭を掻く。

「喜んでる場合か。予測の中でも、的中したのは最悪の予測だ。おそらく今夜が勝負になる」

 腕時計をちらと見やり、眉をしかめて額をこする。

「ミュンヒェルンの周辺に、まとまった敵戦力はもはや存在しない。だが、一五〇〇〇の将兵を朝飯前に下した我々に対し、前回より少ない数で挑むということはないはずだ。そうなると、遠方から万単位で動員せざるを得ないが、それには時間がかかる。ダッハウブルクへの攻撃は、早くても明日の昼頃といったところだろう。だから、今夜中にミュンヒェルンをどうにかしなければまた窮地だ、それも昨日以上の。予想を超えた早さで、牽制された気分だ」

 ――我々の次の目標を察して、機先を制してきたとはさすがに思えないが。

 慢心ではなく、自分たちの計画のあまりの非常識さを自覚して、心の内で確かめるように呟く。そして、作戦計画を可能な限り前倒しするべく、思考の深海へと沈み込んで行く。ところが、今度は騒々しい足音で水面上に引っ張り上げられる。

 ドアがノックもなしに開け放たれると、赤毛の闘将が肩で息をして立っていた。

「閣下! 出撃ですな!?」

 目から火花を散らして叫んだブリュッヒャー大佐に、フレッドは半目を向ける。

「誰がそんなこと言った……」

「アンダーソンとか言うコーラ狂いです、閣下! あれは挑発という攻撃命令でしょう!」

「お前さんは合衆国軍人か?」

「あれを聞いて、のんびり座ってる奴がいますか?!」

「だからって、将軍のところに突撃してくる馬鹿がいるか! まずノックをしろ! 許可が出てから入室し、両足をそろえて敬礼するんだ!」

「失礼します!」

 走って追いかけてきたのであろうザイトリッツ大佐が、図ったかのようなタイミングで、礼儀正しく開いたドアを一歩またぎ、敬礼する。マリーとニメールは思わず噴き出した。

 麗しい淑女二人にいきなり笑われ、困惑した表情をかすかに見せるが、美男子の連隊長は、すぐにいきり立つ同僚をおさめにかかる。

「アレク。気持ちは分かるが、間を置かずに出撃を直談判するのは、あまりに浅慮だよ。閣下にもお考えがあろう」

「そんなことは分かってる! だが、いずれにせよ出撃するのは確実だ。その先陣を切る意気を、俺は示しに来たんだ!」

 心の底から高揚しながら胸を張り、その分厚い胸板を右の拳で叩く。オールバックの燃えるような赤毛の下、翡翠色の瞳は純真な輝きを放っている。血気盛んな虎に、悪気はまったくなかった。ザイトリッツが呆れて嘆息するのを眺めつつ、フレッドが咳払いした。

「アレクが猛虎と称えられる所以は、ティーゲル重戦車の名指揮官だからだ。ところが、今、我々にはシャークしかない。得意の鋭い爪はなく、ヒレしかない。今回は控えるんだ、アレク。それに、お前さんが出るほどのことはないよ」

「し、しかし!」

「欲求不満なのは分かるが、心まで猛獣になられては困る。今夜の作戦が成功すれば、その後、幾らでも暴れる機会が訪れよう。それまでは期待して待っていてくれ」

 信頼する将軍の言葉に、赤毛の連隊長はかすかに肩を落としながらも、一つうなずき敬礼する。合わせて、同僚たるザイトリッツも右手を額に当てると、二人して司令室を辞した。

 フレッドが思わずため息をつく。

「まったく、嵐のような奴らだ……」

 すると、マリーが製図を続けながら意外そうに漏らす。

「戦車、使わないのね」

 将軍が、ああとうなずいた。

「どうせシャークしかないしな。スコーピオンは休息優先だし。何より今回やろうとしている作戦は、隠密性が肝だ」

「戦車は目立つのです?」

「そりゃそうだ。物も音もデカい。だから今回は使わない」

「では、どうするのです?」

 うら若き乙女、もとい最恐のレジスタンスリーダーが、小首を傾げる。二つ結びが背後で傾く。

「夜闇に乗じて、歩兵のみで敵の要所へ乗り込み叩く。自分で言うのもなんだが、言うは易く行うは難しの典型だな。だが、優秀な人材に恵まれているから、さして心配はいらんだろう」

 実行をかなり早め、今夜にしなければならない点が不安だが、と付け加えるも、無理やり貼り付けた微笑みを向ける。ニメールは一応の笑顔につられ、きっと皆さん優秀ですから乗り越えられるのです、と前向きな発言をして首肯した。それと同時に、マリーは万年筆のインクを切らしていた……。

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