第30話 次なる目標

「作戦の主目的ではなかったが、また取り逃がしたかもしれん……」

 翌23日の昼前、ようやく起きてきたニメールの前で、将軍は渋い顔をして頭を掻いた。

 だが、前日、三万の同胞たちとともに勝利を祝い、合衆国軍の酒蔵を空にするまで飲み騒いでいた少女は、床を離れてもまだ夢うつつのようだ。何も理解していない表情を見て、フレッドは頭を掻く手をおろす。

「報告よりも水が先か? 飲むのと掛けるのと、どっちがいい」

 寝ても覚めても仕事をしていた元師団長が、少し嫌味っぽく問うと、ニメールはただ一言、Bitteビッテ(お願いします)と呟いた。


「マクドナルド少将の行方が分からないということなのです?」

 ニメールはコーヒーカップを両手に抱え、やっとまともに返事をした。ここまでコップ九杯の水と、桶いっぱいの冷水、そして目玉焼きとトーストにバターを必要とした。今は食後のコーヒーである。

 すでに天頂を通り過ぎた太陽を窓越しに見上げ、フレッドは嘆息する。

「その……親でもないし、口うるさく言うつもりはないが、酒はほどほどにな? 一応まだ一六歳なのだろ?」

「国がない、つまり、法律もないのですから、違法ではないのです……」

「――保障するよ。お前さんは、間違いなく優秀な政治家になれる」

「本当なのです?!」

 皮肉を言ったつもりが、純粋な瞳で喜ばれ、十二も年上の大人は思わず言葉を詰まらせた。その横から、さらに二歳年上の淑女が割って入る。

「きっとなれるわよ! 応援してるわ!」

「……高度な皮肉かと思ったが、お前さんの場合は話を聞いてないんだろうな」

 腰に手を当て、ため息をつく。すると、さすがに大人の女性らしく宴会を翌日に引きずらないヴィーンの技師は、きれいに整えた顔をフレッドの方に向け首を傾げた。

「何の話してたの?」

「そら見たことか」

 フレッドが深々と嘆息するのを尻目に、マリーは鼻歌交じりに、愛用の万年筆を製図用紙に走らせてゆく。将軍が起きてからずっと、技師はこんな調子だ。

 こういう感じの兵器や武器が欲しいと師団長が注文すると、すぐに筆を振るって図面を作ってゆく。その間、フレッドは彼女の真横で複数の旧友の来訪を受けて懇談していた。途中、カールやシモンとともにハンスの案内でジープ車列撃破地点の視察に席を外したが、戻ってきたらまったく同じ姿勢で製図を続けていた。続々と積み上がってゆく製図用紙は、どれも下描きがなく、万年筆でほとばしるように一発描きされており、素人目にも尋常でないことが目の前で行われていると容易に実感できた。

 ――さながらモーツァルトの作曲を見ている気分だ。

 生唾を呑んでマリーを見つめる。かの神童と同等かはともかく、技師としてのマリア・ピエヒは間違いなく天才の部類であると感じる他ない。

 呆然と技師の様子を眺めていると、ニメールの言葉が耳に飛び込む。

「マクドナルド少将の“遺体”が、確認できなかったということなのです?」

 注意を少女へと戻し、そうだ、とうなずく。

「まず捕虜名簿にはいなかった。となると、逃げたか、死んだかだが、ハンスが、逃亡する少将らと思われるジープの車列を攻撃したそうで、現地を今朝確認しに行った。一両に逃げられたそうだが、榴弾の直撃で大破炎上した他のジープは、遺体ごと黒焦げでな。個人の識別が不可能な有様だった。マクドナルド少将の脂のおかげで、黒くなるまでよく燃えたのなら喜劇だが、そうでないなら、また取り逃がしたことになる」

「万一、逃げられた一両に乗っていたのでしたら、今後どうなるでしょう?」

「本人が無傷なら、すぐにでも報復の兵をあげたがるだろう。ただ、フロイデンヴァルトとダッハウブルク、立て続けに大失態を起こした。合衆国軍の占領軍最高司令部が、その責任を問わないとは思えない。だが、負傷してどこかの占領基地にでも逃げ延びたのなら最悪だ。きっと敗戦国の分際で蜂起してきた“蛮族”に傷つけられたヒーローとして、格好の宣伝材料となり、それに影響された士気旺盛な大部隊が、ここに攻め込んでくるだろう」

「……少し推測が具体的過ぎないでしょうか?」

「シナリオが出来過ぎてるか? だが、ありそうだろ?」

 しばらく考え込んでから、ニメールは一つうなずいた。

 その反応を確認してから、フレッドは足を組み、次の話題を切り出す。

「いずれにせよ、合衆国軍は名誉と失地回復のため軍を起こすだろう。それへの対処については私に考えがあるが、並行してニメールには、レジスタンス大連合結成に向けて取り急ぎ具体的に動いてもらいたい」

「もちろんなのです。昨晩、戦闘に参加したレジスタンスの皆さまに、協力の約束をいただきました。さらに遠方のレジスタンスについても、皆さまに声かけをお願いしておりますし、全国に向けてわたし自身が呼びかけをしようとも計画しているのです」

「ニメール自身が全国に? どうやって?」

「ラジオやテレビを使うのです。もちろん新聞も。レジスタンスは結局のところ、一般市民の集まりです。その中には、報道機関に勤めていた人たちもいるのです」

「しかし、報道は占領軍の検閲下にある。それをどうするつもりだ?」

 至極まっとうな指摘に対し、ニメールは、悪魔の表情で微笑む。

「閣下もお気付きなのではないのですか?」

 フレッドは生唾を呑んだ。

「……何の話だ?」

「先ほどおっしゃっていた、合衆国軍が起こすであろう軍事行動に対する対応策なのです。閣下は、迎撃するつもりはないのではないですか?」

 はと、さしものマリーの筆も止まる。将軍はしばらく固まってから、ほおと感心したように息を漏らす。

「なぜそのように?」

「迎撃では事態が変わらないからです。わたしのレジスタンス大連合の計画も、ここダッハウブルクを押さえなければ始まりませんが、ここを押さえたからと言って始められるものでもないのです。少なくとも、もう一都市、完全に掌中に入れる必要があります」

 ニメールが手を膝の上に組み、身を乗り出す。

「ミュンヒェルンです。合衆国軍プロイス占領軍最高司令部の置かれるあの中枢を、奪還しなければなりません。閣下の次の作戦は、ただの迎撃ではなく、ミュンヒェルン攻略に照準を合わせているのではないのですか?」

 一六歳の血濡れた少女に見つめられ、フレッドは頭を掻く。それから嘆息し、両手を挙げた。

「俺が言うことはないよ。正解だ。だが、真正面から殴り込んで奪い返すには相対的に力不足だ。なので、他の方法を考えて、ロマーヌとロベルトに協力してもらいながら準備を進めているよ」

「さすが早いのです!」

 まあ将官はおちおち酔ってられなくてな、とくたびれた様子で思わず皮肉を吐き、慌てて微笑を張り付ける。ニメールは申し訳なさそうに肩をすくめ、舌をちろと出した。そして、マリーが突然、ラジオつけていい? と尋ねてくる。さっきから筆が止まっていたのは、それを確認したいがためだったのだろうか……。フレッドは呆れてため息をつき、勝手にどうぞ、とデスク上のラジオを顎でさす。マリーはDankeダンケと言って、ボタンを押し、雑音が鳴らない周波数へ合わせると、流れてきた英語の放送に特に耳をやる様子もなく、また製図用紙へと向き直った。

 そんな常人には理解しがたい行動を見届けた後、二人は本題に戻る。フレッドが上半身を前へ傾け、少女のターコイズブルーの瞳を覗き込む。

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