第29話 戦争以上の大事業

「ハンスであります。ニメールさんに出頭するよう伝えられましたんで……」

 ああ、入れ、とこたえると、一人の青年が緊張した面持ちで入ってくる。彼は今朝の攻防戦において、基地正門の対岸に陣取ったシャーク隊のリーダーであった。

 英雄とも呼ばれる人物からの出頭命令に、青ざめた表情で立ち尽くす。フレッドはそのあまりの血の気に引きように噴き出し、手を仰いだ。

「楽にしてくれ。ただ一つ聞きたいことがあるだけなんだ」

 フレッドは背もたれに体重を預け、両手をももの上で組み、殊更にリラックスした姿勢をとってから尋ねる。

「今日の戦い、正門から逃げ出してきた合衆国軍がいたと思うが、その中に、マクドナルド少将と取り巻きの一行がいたと思うかね? もちろん対岸からの攻撃だ。詳細や確信を得るのは、本職の軍人でも難しい。だから感覚的なものでも良いのだが」

 ハンスというレジスタンスは、目を伏せ、しばらく手を背中側で組んだまま黙考し、それから将軍の青目を真っ直ぐ見つめた。

「確証は何もないのですが……逃げていく敵ん中に、明らかに浮いているのがいたのは覚えてます」

 カールが固唾を飲み、フレッドが思わず身を乗り出す。

「ほお。どんな?」

「他が装甲車やトラック、或いは走って逃げていた中、ジープ四両のみの縦列がいたんです。しかも、周りの兵と違って、制服に飾り物がやたらと着いてました」

「飾り物……たとえば、なんだ、右胸に金の飾り縄がかかっていたとか?」

 少将の問いに、ハンスは力強く首を縦に振った。

「ええ、そうです! 胸と肩が、やたらと飾られ重たそうな一団でした」

 これはビンゴだな、と将軍は大公を見やって呟く。カールは一つ、強く首肯した。それにうなずき返し、フレッドは今一度ハンスに質問する。

「そのジープは……四両のうち何両撃破した?」

「三両は撃破しましたが、一両は至近弾のみで取り逃がしました」

「榴弾か?」

「もちろんです、閣下」

 少将は生唾を呑んだ。

「明朝、現場を案内してくれるか?」

 ハンスは背を反る勢いで敬礼した。フレッドはそれに答礼すると、青年レジスタンスを祝宴の元へ戻らせる。それから深く嘆息し、カールを見やった。

「さて、一つの問題は目覚めた後に持ち越しとして……もう一つは眠る前に片づけてしまおう。まだ回答を得てなかったな。大公グロース・ヘルツォークがフリッツについて、随分情報を持っていることは分かったが、それでどうして我々に接触し、挙句、あんな執拗な詰問をしたのだね?」

 フレッドは他の人類と同様に完璧な人格者ではないが、その皮肉の多さに目をつむれば、芯は呆れるほど誠実で、心やさしい人物である。しかし、全てに寛大という訳ではなく、追及すべき点には一切妥協がない。すぐさま話題を戻されたカールは、素直に話を再開した。

「貴殿らが過激な行動に出た要因が、ピエヒ大尉にあると思ったため接触したのだ。私は、先ほど言ったような他人が知り得ぬ情報を持っていたため、助言できると考えていた。――無論、カフェのマスターから頼まれたことも理由の一つではあったが。そして、実際に対面するまで、大胆にも占領軍に攻撃を行った人物の名としては、貴殿とマリア女史しか挙がっていなかったので、純粋に私的な人探しのためだけに大規模に武力を用いたと勘違いしてしまっていた。もしそうであったならば、大切な人物を探したいという想いは理解するが、個人的な欲求のために、他人や、プロイス全体を巻き込むべきではないと、貴殿らの良心に訴えかけたいと思ったのだ。だから、内省を促そうと執拗な問いかけをした。だが、結果として、あらぬ誤解を招いてしまったのだ。今は、必要以上に回りくどい言い方をしてしまったと反省している」

 そうして元大公は深く首を垂れた。南プロイスを代表する大貴族の真摯な態度に、フレッドは目をつむって、深く息をつく。それから丁寧な口調で、顔を上げてくれるよう頼む。ようやく面を上げた壮年のグレーの瞳を見つめ、若い将軍は口と……心を開いた。

「世の中には、どこまで行っても、絶対はない。曖昧な雲の中に手を突っ込んで探りながら、最も手応えのあるものを掴み取るしかないのだ。俺はそういう観点から、大公グロース・ヘルツォークを信用しよう」

 人によっては怒りだしそうな言い回しだが、フレッドはすぐ照れくさそうに肩をすくめる。

「これは俺としては、賛辞に近い表現だぞ? ワルツ技師は顔をしかめるだろうが、俺にとって誰かを信用するというのは、戦争以上の大事業なんだ」

「たしかに国にしろ人にしろ、争うよりも平和を成す方が困難なものだ」

 またも年齢にふさわしい余裕をもって言葉を返し、心を通わせる。それを証拠に、フレッドは唇の端を吊り上げて笑いながら、ウィスキーの揺れるグラスをカールの眼前に自ら差し出した。大公は微笑んで、自分のグラスを合わせる。真夏の夜に、グラス同士が澄んだ音を鳴らした。

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