第27話 バーボンの尋問

 士官と兵士は何が違うか。

 こたえは色々考えられるが、一つ言えるとしたら、勝利の後にすぐ飲めるのが兵士で、飲めないのが士官である。

 フレッドは、汚れ切ったパンツァージャケットを脱ぐ暇もなく、およそ数か月前を再現するように司令官の業務に追われていた。マクドナルド少将が座っていた巨大な椅子に、痩せた身体で座ると、うまくフィットせず落ち着かない。挙句、背後の窓越しからは外の祝宴の声がうるさくてかなわない。眉間に皺を寄せながら、何杯目かになるコーヒーをすすった。さすが合衆国軍は物資に余裕があるようで、味が良い。

 ほっと息をつき、また書類をめくり出す。険しい視線で目を通し、忙しなくめくっていく。しばらく、めくっては睨みつけを繰り返すが、突然嘆息して目を離す。それから左手で髪をかき上げ、右手の人差し指で机を何度か叩いた。

「やはりいない……」

 デスクの反対側で同じように書類に目を通すカールに、声をかける。

「そっちは?」

「こちらも同じだ」

 将軍は腹の底からため息をはき、両肘を机について頭を抱え込む。くたびれた青い瞳には、今作戦で得た捕虜の名簿が映っていた。

「マクドナルド少将……本当に基地外に逃げたのか」

 もちろんロマーヌからの報告で、副官や参謀らに連れ出されたとは聞かされていた。それに、降伏勧告の決め手として自ら喧伝したのも事実だ。しかし、ロマーヌらの到着のほんの寸前に司令室を離れていたこと、その直後に追手をやったことから、捕縛は間違いないと内心期待していた。

 が、敵兵の武装解除に成功した後、唐突に戻ってきた追撃隊から行方を見失ったと報告を受けたのだ。降伏勧告の放送を聞いて、勝手に追跡を断念し帰って来たらしいが、この呑気な小隊に、厳格な元師団長は青筋を立てて怒声を浴びせた。

「見失ったで済まされるかっ! 貴様らに追撃中止を命令した記憶はない!! 生きてようが、死んでようが、あのぶくぶくに太った体をここに持って来い! 敵将を追うというのは、そういうことだっ!」

 痩せこけた身体からはとても想像できない、14センチ砲にも匹敵するような大音声の咆哮に、小隊は飛び上がって再度追跡へ向かったが、一度戻ってきてしまったロスを埋めるのは容易ではない。事実、夜になった今もなお、フレッドの元へ帰ってこられていないのだ。


 フレッドは深々と嘆息し、名簿を机上へ投げ出すと、手を頭の後ろに組む。カールがそれを上目遣いに見つめた。将軍は目をしばたたいて、またため息をつく。

「もう二人で十周くらい見ただろ。見落としということはあるまい」

 あとは報告を待とう、と言うと、足元からウィスキーの瓶を取り上げた。

「一杯どうだ? 甘ったるいバーボンだが」

「いただこう」

 大公も書類を脇にどけ、足を組んだ。フレッドはデスク上にあったウィスキーグラスを二つ寄せ、琥珀の液体を注ぐ。ボトルの蓋を閉めると、一つを右手に取り、もう一つをカールに手渡し、二人は無言でグラスを合わせた。

 首を後ろに傾け喉を潤す。しかし、フレッドはカールより早く口を離し、かすかに肩をすくめた。

「やはり甘すぎる。とうもろこしのウィスキーなんて、よく飲めるよ」

「これはこれで、良さがあるというものだ」

「……寛容だな、大公グロース・ヘルツォークは。まあ、目先が変わるという効用くらいは、あるかもしれん」

 相変わらず皮肉っぽい言いように、カールは苦笑を浮かべる。元少将はさらに二口、三口と飲み下し、グラスを静かに机に置いた。

 それから、元憲兵を真っ直ぐ見つめる。

「もうお前さんに、最初ほど不信を抱いてはいない。こうして面倒な仕事を手伝ってくれたし、最悪の出会いから数日間をともに過ごして、信頼しても良いと感じてきている」

 いきなりな話に、カールは少々面食らい、思わず姿勢を正す。

「だからこそ、尋ねたいのだが、あのカフェでの会話……もう少し何とかならんかったのか? どう言い訳されても、いかに時を同じにしようとも、初対面の時のあの違和感は、理性的に払拭することができない。――そろそろ本当のことを、しゃべってくれてもいいんじゃないか?」

 初め、わずか数口で酔ったのかと訝しんだが、眼差しの鋭さに気が付き、カールは思わず身震いした。

 ――将軍は、言葉とは裏腹に、内心ではまだ自分のことを信用していないのだ。敵の内通者であると、疑いを持ち続けている。酒の場を借りて、私が本当に信頼に足る人物なのか、今一度試す気ではないのか?

 思わず握った拳の中に、汗がにじむ。フレッドが疑うように、事実、彼には隠していることが一つだけある。ただ、それは決してやましいものではなかった。

 やましくないのだから、もう話した方がよい。そう冷静に考え、カールはついに口を割った。

「たしかに一つだけ、黙っていたことがある。ただ、それは決して、面従腹背の思惑からではない。単に出会ってから立て続けに事が起こり、話す機会がなかったのだ。その点をまず、はっきりさせておきたい」

 良かろう、とフレッドはうなずき、またグラスを傾ける。

「カフェでも言ったと思うが、私は本当に貴殿に対して後ろめたいところはない。むしろ私が初め警戒していたのは、ニメール女史の方だった」

 ほお? と眉を上げる。

「私にとって、彼女の存在は、当初想定外だったのだ。占領軍を排斥するなどという大それた野望を抱いているなど、実は思いもしなかったし、貴殿がそれに加担していることも知らなかった」

「それは意外だ。さぞ知ったような口ぶりで協力を申し出てきたのに」

「実際のところ、あれは半分演技だった。マリア女史は本音を話していると感じてくれたようだが……私からは満点は与えられない判断だった」

 フレッドがグラスを片手に、肩を揺らして笑う。と同時に、青い瞳はより険しさを増す。カールは首筋に汗が伝うのを感じながら、続きを話した。

「私がニメール女史の計画を察したのは、機銃斉射で合衆国軍を撃退した後のことだ。無論、占領軍の横暴には、カフェでも話した通り、私自身我慢ならない想いがあったし、これも何かの縁だと思い、最終的には協力しようと決意した。だが、私が接触を図ったそもそもの理由は、あくまで別のところにあった」

 一つ呼吸を置き、グラスを傾ける若年の元将校を真っ直ぐ見つめる。

「フリードリヒ・ヨアヒム・ピエヒ大尉だ」

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