第25話 共同撃退

「何か聞こえたな」

 元少将の言葉に、シモンは無言でうなずく。砲手の鋭い黒い瞳は、左斜め後ろ、同じ手洗いのドアに突き刺さっている。その背後でニメールが拳銃を目線に構え、青い木戸に狙いを定める。

 将軍は息を深く吸い込み、大きく胸を上下させてから、気配・・に呼びかけた。

Werヴェア istイスト dasダス?! Werヴェア?! Wer!?(誰かっ?! 誰かっ?! 誰かっ!?)」

 三度重ねて問う大音声に、味方であれば即座に正体を明かすはずだ――この問いに対し敵ではないと直ちに明らかにしなければ、血を見ることになる。しかし、姿なきものは、無言で応じた。

 フレッドもついに拳銃を抜き、一歩下がって扉脇の壁に背を預ける。シモンがワルサーを構え、素早く扉を蹴り開けた。

 シモンが即座に、フレッドとは逆側へ身を隠すと、開け放された長方形の空間から、銃弾が束になって飛び出してくる。金切り声を挙げながら、合衆国製の小銃弾がばら撒かれる。三人は壁に身を隠し、闇雲に射撃し続ける敵の様子をうかがう。フレッドが壁の縁まで顔を寄せると、目の前を銃弾がかすめる。壁面がえぐれ、木片が降りかかった。深呼吸して心臓の拍動を抑えながら呟く。

「五人だな」

 敵の射撃音に耳を澄ましていたシモンも、確信を持ってうなずく。すると、その背後でニメールが拳銃を腰にしまい、おもむろにナイフを取り出した。

「装填中に突っ込みます。援護をお願いできますか?」

 さも当然のように言われ、フレッドは面食らった。仮にも相手は五人、それも正規の軍人だ。そんな大の男たちの集団に、援護射撃を受けるとは言え、少女の身一つで突撃し近接戦を仕掛けるなど、通常の神経では考えられない。だが悲しいかな、ニメールの神経は、とうの昔に狂っていた。

 フレッドは嘆息し、黙って首肯した。ちょうどその時、連射していた敵が五人同時に沈黙する。ニメールは一切の躊躇なく、風のように手洗い場へと舞い込んだ。

Feuerschutzフォイエルシュッツ!(援護射撃!)」

 フレッドが叫び、戦友二人で廊下から拳銃を構える。手洗い場に正対すると同時に、手前にいた若い兵士が血しぶきを上げて倒れ込んだ。フレッドは思わず息を呑む。

「まずは一人なのです!」

 お下げ髪の小さな戦士が、ナイフを振りぬき、間髪入れず、奥で震えながらライフルに弾を込める二人目の懐に飛び込む。

「二人目いただきなのです!」

 鋭い刃が、男の大きな体を何度も往復して切り刻む。装填に夢中だった兵士は、断末魔を上げて血の海へ沈んだ。ニメールが次の敵を探そうとしたとき、銃声が轟く。驚いて背後を振り返ると、視界いっぱいに、短剣を振りかざして自分を見下ろす敵兵が見えた。しかし、敵は口から血を噴きこぼし、自身の方へ倒れ込んでくる。慌ててその巨躯をよけると、開けた視界の先に、銃口から硝煙を漂わせるシモンの涼しい顔が飛び込んできた。

Dankeダンケ sehrゼーア!(ありがとうございます!)」

 その言葉に、戦友の横に並ぶ将軍が、安堵のため息を漏らす。一方で、黒髪の火砲中毒者は、四人目の敵を見つけ、狙いを定める。ニメールはその視線に気が付き、慌ててその先を追う。が、敵を捉えるより先にワルサーの発砲音が響き、目が追いついた時には、奥の個室から死体が転がり出てきていた。

「……もう一人」

「どこなのでしょう?」

 ニメールが奥には誰もいないことを確認し、出入口へとゆっくり戻ってくる。シモンは銃を構えたまま、天井へと目をやった。瞬間、その左脇で火が弾けた。

 シモンが驚いて将軍の横顔を見る。ニメールも立ち止まり、こけた頬を見つめた。

 フレッドの碧眼は、一番手前の個室を睨み、木製の扉を撃ち抜いてゆく。五発目が戸を貫通したとき、くぐもった唸り声が漏れ聞こえる。

「そこか」

 姿勢を動かさず、同じところへ六発、七発、八発と叩き込む。すると、戸を押し開けて、肉塊が便所の床へ崩れ落ちた。胸部に大きな風穴が空き、口から血を滝のように流している。ニメールがピストルを腰から抜いて近づくと、念には念を入れて、一発だけ頭蓋を撃ち抜いた。

「これで全員だな」

「よく気付いたのです!」

 少女が目を輝かせて感嘆を上げる。返り血に濡れて微笑む一六歳に、頬を掻きながらこたえた。

「いや、物音がしたから……」

「したのです?」

「ああ。かすかにだったが」

 そう言って頭を掻くと、廊下の先が急に騒がしくなる。ニメールが大人二人の元に駆け寄り、三人で音の起きた方向に目をやった。すると、見慣れたフィールドグレーの国防軍軍服をまとった兵士が数名、はせ参じる。そして、将軍の目前に至ると姿勢を正し、機敏に敬礼した。フレッドは右手を額に当て答礼する。

「ロマーヌの指揮下の者か?」

「そうです、閣下。銃声が聞こえたため、参った次第です」

 そうか、と相づちを打つと、唇の片端を上げる。

「もう少し耳と瞬発力を鍛えたまえ。そうすれば、次は勲章ものの活躍ができるだろう」

 そうして手洗いの中を指し示すと、歩兵たちはあっと声を漏らし、再び鋭く敬礼する。フレッドはそれに軽く答礼し笑いかけると、案内してくれと先導を任せる。歩兵らは腰低く、こちらです! と小銃を担いで廊下を歩き出す。プロイスで最後まで勝ち続けた将軍は、両脇の戦友と少女に目配せすると肩をすくめた。

「急に偉くなってしまった気分だ。良くないね」

 出会う前から尊敬していた“救国の英雄”の思わぬ自虐に、ニメールは唖然とする。この場にあの自信家の技師がいれば、またそんなこと言って、と小言を垂らすところであろう。

 フレッドはたしかに、周りが驚くほど自己評価が低い。しかし、それは結果として重い限界になることはあっても、断じて弱さの表れではなく、謙虚さと誠実さの表れなのだ。なまじ美徳を含んでいるからこそ、本来、一方的に悪い面と断じることもできない。だが、そんな男と数年間、同じ釜の飯を食ってきた戦友は、対処をわきまえていた。――シモンは何も反応を示さず、先導する歩兵たちを追った。

 ニメールは驚いて、戦友の二人を交互に見やるが、将軍も顔色一つ変えず歩き出したのに気が付き、慌ててその前で足を動かす。反応しないというコミュニケーションもあるのかと、少女は軍用拳銃をしまいながら一つの学びを得て、大人への階段を一歩あがった。

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