第24話 英雄の帰還

 停車を確認し、フレッドは咽喉マイクをつまむ。

「シモン、ニメール、俺と一緒に司令部室まで来てくれ。マリーと大公グロース・ヘルツォークは残れ。万一敵が来たら、任意に応戦しろ」

 ばらばらに四人のJawohlヤヴォール(了解)が聞こえてくる。車長は全員分の了解を確認すると、ヘッドホンをはずし、壁面のフックにかけた。それから、新しく調達した拳銃が腰のホルダーに入っていることを触って確認し、ハッチを押し上げてからスライドする。夏の陽光が差し込むとともに、プロイス語の歓声が流れ込んでくる。思わず鼻を掻いてから、素早く身を乗り出した。

 コマンダー・キューポラに腰掛けて見渡せば、辺り一面、懐かしいフィールドグレーの軍服と、馴染みの戦車兵の黒いパンツァージャケットで埋め尽くされていた。ようやく解放されたと喜ぶ肌の赤黒い“旧友”たちに、右手をゆっくり上げ、額に当てて敬礼する。

 将軍にしかできないゆとりと、威厳のある敬礼に、一層歓呼の声は大きくなる。フレッドはその敬礼の姿勢のまま、360度ぐるりと目線を合わせると、キューポラから足を上げて抜け出し、巨大なスコーピオンの車体天板へと降り立つ。そして、同志たちに向かって、拳を振り上げ精一杯の声で叫ぶ。

Männerメナー! Ichイッヒ binビン wiederヴィーダー daダー! Gemeinsamゲマインザム kämpfenケンプフェン wirヴィア fürフュア Freiheitフライハイト undウントゥ Gerechtigkeitゲレーヒティッヒカイト!(諸君! 私は帰ってきた! ともに自由と公正のため、戦おうじゃないか!)」

 敗戦後、ずっと地獄の中で待ち続けていた“西部戦線の覇者”の呼びかけに、地鳴りのような大歓声が湧く。フレッドは今一度、周りを隙間なく囲む同志たちに体を向けて手を振り、2メートル下の地面へ飛び下りた。着地地点は、すでにシモンとニメールが、群衆に対する小さな壁となって確保している。以前マリーに笑われたように、よろめかないよう気を付けるが、シモンが密かに左腕を取ってくれたおかげで、辛うじて転ばずに済んだという程度であった。

 ニメールが、将軍らしい姿に、頬を赤らめて熱い視線を注いでくる。が、それから顔を逸らし、シモンにDankeダンケと小声でささやく。寡黙な戦友は、声もなくただ一つ首肯した。

 それから三人は、大喝采の中を掻き分け、足早に本部建物内へと入る。ついてきそうになった大群衆の兵士たちには、将軍自らが、この建物は全員には狭すぎる、と相変わらずな言い回しで肩をすくめ、無秩序な人の雪崩を押し留めた。そして、三人だけで静かな廊下を進みながら、両脇を歩く二人に声をかける。

「なぜお前さんたちと一緒に行くか、分かるか?」

 先に右のニメールを見やると、小首を傾げて見つめ返してくる。それに微笑みを向けると、すぐ左側で拳銃の撃鉄が起こされる音がする。振り向くまでもなく、ワルサーを構えた黒髪の男が、視界の左に現れる。ニメールも、あっと小さく息を漏らし、過去に鹵獲した合衆国製の拳銃を両手で握りしめ、少将を守るように前へ出る。

「この件については、大公グロース・ヘルツォークは知らんが、少なくともマリーは全く役に立たんからな」

 いつも通りの皮肉めいた口調に苦笑いしつつ、ニメールが問う。

「ですが、今更護衛が必要なのですか? 姉さまがすでに司令室を占拠しているのです。当然、そこまでの道のりは、危険が排除されていると思うのです」

「まあ、俺も基本的にはそう思っている。だが果たして、しらみ潰しに隅から隅まで、敵がいないことを確認したかな? おそらくだが、ロマーヌたちは数に物言わせて、奇襲的に要所を制圧しただろう、素早さを重視して。そのような場合、往々にして細かい部分の確認を怠りがちだ。そういう微細な見落としは、その時は良くても、後に思いがけない悲劇を生む元になる」

 警戒し過ぎと笑うものもいるだろうが、最後まで笑っていられるのは生き残ったものだけだ、と吐き捨て嘆息する。ニメールが驚いて見上げると、元師団長のくすんだ青い目は自分の足元を見つめ、遠く――距離ではなく時間的に、手の届きようもないどこか遠くを、見つめているようだった。

 数年来の付き合いになる戦友が、そんな様子を視界の右端にとらえながら、声をかける。

「……フレッド。たぶんこの上」

 将軍の、あ、ああ……という寝起きのような返事とともに、一行は90度左を向き、二階に続く階段をかけ登る。踊り場を経て二階に至ると、再び左を向き、東西に長く伸びる廊下の中央を目指して進む。

 左右の様々な部屋を、視界の端にとらえながら足早に進む。資料室、製図室、機材室……談話室、軽食堂……どこも人気はなく、ところどころに赤黒い染みと、鉄っぽい臭いがあるだけだ。要所のみ制圧され、他は不気味に静まり返った廊下を前へと歩みながら、フレッドは眉をしかめる。

 一応警戒して進もうとは思っていたが、やはり本来なら、外にあれだけ暇そうな兵士がいるのだから、要所の制圧後すぐに各部屋を細部まで確認するよう命ずるべきだったろう。――しかし、初めて大軍の指揮を執ったロマーヌには、知識も経験もない。敵の司令室を無事占拠しただけでも、十分、いや、百分以上に称賛に値することである。

 そう思い直し、手洗い場の横を通り過ぎながら、将軍は首を左右に振った。その首は、右に振れた時にふと止まり、両足とともに動かなくなる。

 前を行く二人が、異変を感じ取りすぐに立ち止まる。フレッドはその後ろで棒立ちになり、目を左耳の方へ、違和感を放つ手洗いの扉の方へ向けていた。

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