第23話 怪物の襲来

 パンツァージャケットを着たロマーヌ・エローが、妹と同じ美しいターコイズブルーの瞳で、降伏した合衆国軍憲兵を見つめる。

「随分と潔いですね。あなたがマクドナルド少将の盾ですか」

 疑問ではなく、ほぼ断定の形で尋ねる。その視界の上端には、非常階段への扉がとらえられていた。

 憲兵軍曹は、ロマーヌの目を見つめ返し、唇をゆがめる。

「盾? はっ、そんな高尚なものじゃない。私は羊だ」

「羊ですか?」

「そうさ。スケープゴートだよ」

 そう言って床に唾を吐き捨てる。

「参謀たちは、負けを認めた。敗北の責任を取らせるために、少将を連れ出したところだ。……今夜はラムステーキで祝勝会か? まあ煮るなり焼くなり、好きにしろ。俺は絶望した」

 うな垂れる敵憲兵の様子に、捕虜たちは驚いて顔を見合わせる。ロマーヌは投降した下士官を静かに見定め、口を開く。

「あいにく、今夜はポークの気分ですので遠慮します」

 青い瞳で見つめ続けていると、その若い敵下士官は顔を上げ、真意を察し――力なく苦笑いを浮かべた。

 その表情一つで、女スパイは一五〇〇〇人の敵の状況を大方察した。

 ――なるほど、第一四機甲師団は、統制の面でも、士気の面でも、すでに壊滅しているようですね。

 そうして、周囲の同士たちに命じる。

「非常階段です! 行ってください! マクドナルド少将は生け捕りに、他は抵抗すれば殺して構いません」

 Jawohlヤヴォールと男どもの声が重なって響き、数十人が非常階段へと走って消えてゆく。

「残りの方は、私とともに司令室を占拠してください。それと、あなた方二人は、彼を捕虜として後送を」

 適格に指示を出し、元軍人たちを従わせる。昨日まで一介の素人スパイに過ぎなかった美女は、歴史を動かさんとする数時間の中で、三万名を指揮する女将軍へと確実に進化していた。

 マンシュタインと同じ黒いパンツァージャケット姿で、つい数分前までマクドナルド少将らがいた司令部室へ踏み込んだ。

 大きなデスクには、基地周辺の地図が広げられ、合衆国軍側の詳細な分布と、彼らが集めた限りの情報ではあるが、マンシュタイン将軍側の戦力配置が、駒で表されている。

「彼らは、完全にスコーピオン隊の位置を見失っているようですね」

 “Scorpion”と白チョークで書かれた黒い駒だけが、地図の外へ放り出されている。机上から目線を上げ、近くに寄ってきた元歩兵と顔を見合わせ笑い合う。それから、ロマーヌは頬を掻いた。

「もっとも、実のところ、私も確証はありません。八割程度の自信です……」

 元歩兵の一人がすかさず返す。

「こんな連絡も取れない状況で、八割の自信がおありなら、まず間違いありませんよ」

「ただの素人の妄言かもしれませんよ?」

「フロイラインの経験値としては、確かにまだ浅いかもしれません。ですが、喜んで素人についていくほど、我々はど素人じゃありません」

 汚れた顔に笑顔を浮かべ、黒ずんだ歯を見せる。捕虜として忍耐してきた証だ。ロマーヌがその労苦に微笑みを返したその時、桁違いに巨大な砲撃音が二階にある司令室の窓を揺らした。

 一瞬、基地中の全ての銃声と雄叫びが消える。ロマーヌと捕虜たちは、窓辺に駆け寄った。そこから見渡せる基地の南側をきょろきょろ見やると、一人があっ! と左側を指さす。

「塀が吹き飛んでるぞ! ほら、あそこ!」

 一斉に全員が人差し指の向けられた方を見やる。基地の南側で戦っていた者も全員、敵味方関わらず呆然と、南東に高く舞い上がる砂塵を見つめていた。

 白っぽい塵の幕の中に、異形の影がゆらりと現れる。背後から朝日を受け、その黒い影は、煙幕に巨大な像を結んで揺れているように見えた。シューーッという鋭い音が、怪物のブレスのように響く。この世の終わりのような景色を、固唾を飲んで見守っている内に、砂塵の中から影の正体が現れる。その姿を見て、皆、心臓が止まりそうになった。


 ――巨大な異形の黒い影は、日光の投影で増幅されたものではなく、ただの等身大であることに気が付いたのだ。


 一撃で粉砕した塀の瓦礫を踏み割りながら、姿を現した漆黒の大蠍は、挨拶とばかりに合衆国歩兵の一団に向け、14センチの大口径榴弾を放った。




「引き続き弾種榴弾。Nachladenナッハラーデン!(装填!) シモン、装填終わり次第、任意に攻撃」

 フレッドは咽喉マイクをつまんで命令し、キューポラのペリスコープを覗く。強引に壁を破壊して突入した先は、予想以上に混乱していた。視界のあちこちで、合衆国の緑の丸いヘルメットに、見慣れたフィールドグレーの国防軍軍服が襲い掛かっている。その背後には、シャーク中戦車が数多見えるにも関わらず、どれもこちらを狙っていない。アレクの言った通り、伯爵グラーフこと、ザイトリッツ元大佐が部下たちを率いて鹵獲したのだろうが、想像を絶するスピードである。

 ――相変わらず伯爵グラーフは疾風だな。敵も女も最速で落とす男と、よく囃したものだが、腕は鈍っていないようだ。

 頼れる部下の手並みに久しぶりに感心してから、肩をすくめた。

 ――まあ、欲求不満なんだろうな。

 口に出していれば、足元にいる淑女が顔をしかめたことだろう。ふとそんなことを考え、金髪のふさふさなポニーテールが揺れる、黒い作業着の背中を見やる。薄暗く、それなりに狭い後部席内に、きれいに収まる小柄な体ながら、両腕は四本のレバー上を優雅に舞い、150トンの巨体を華麗に操っている。国防軍時代にはあり得なかった戦車内に女性のいる風景に、今更ながら、ぼうっとしてしまう。が、背中に視線を感じたわけではあるまいが、マリーが前かがみになって、正面の細長い覗き穴に寄り、不意に尋ねてくる。

「で、どこ行けばいいの? このまま前進?」

 フレッドは目を覚ましたように首を左右へ振り、ペリスコープにしがみつく。正面から右回りに、順番に覗き込んでいく。そして、三時方向まで四つ覗いたところで、ふと顔を離した。それから耳を澄まし、すぐ頭上のハッチを数センチ押し上げる。すると、できた隙間から、大音量の何かアナウンスが流れ込んできた。

 ダッハウブルク基地に点在するスピーカー越しに、女性の声が聞こえてくる。

『全ての合衆国将兵と、プロイスの同胞に申し上げます。我々はすでにダッハウブルク基地の武器弾薬庫、通信機能、そして司令室を占拠しました。重ねて申し上げます。全ての合衆国将兵と、プロイスの同胞の皆さま。我々は、合衆国軍第一四機甲師団の駐屯するダッハウブルク基地の戦略・通信・司令機能の一切を掌握しました。理性ある対応を望みます。繰り返します。理性ある対応を望みます』

 端的な報告の後、雑音を伴ってスピーカーの音は途切れる。プロイス語の大歓声が聞こえてくるが、フレッドは用心してキューポラのハッチを再び隙間なく閉めた。

「マリー。二時方向に転進。司令室のある本部建物に乗り付ける。大公グロース・ヘルツォーク、アレクたちにこの場の防衛をするよう伝えろ。敵の退路は正門からに絞りたい」

Jawohlヤヴォール(了解)」

 元憲兵がすぐさま無線交信を始める一方、スコーピオンの向きを変えながら、マリーが疑問を口にする。

「もう勝ったも同然ってことよね? 素直に降伏を迫ればいいのに。妙な言い回しするわね。今のロマーヌでしょ?」

 しかし、そんな素朴な問いに、将軍は苛ついて髪を掻きむしった。

「まったく分かってないな。俺はともかく、純然たる軍人・軍組織であれば、今の放送は軍法会議もあり得る」

 ええ、なんで?! と心の底からの驚きが飛んでくる。

「敵に降伏勧告をするか否か、決定するのは最高指揮官だ。その命令下にある者が、上官の指示も許可も得ずに降伏を勧告するなど、命令秩序への挑戦だ、本来はな。だが、その最上級指揮官に連絡がつかない状況で、無駄な流血を防ぐ努力をしつつ、状況を知らせてくれたのだ。そもそも正規の軍隊組織でもないし、彼女の行動は今回に限っては臨機応変にして称賛されるものと言えよう」

「……要は、良かったってこと?」

「今回の特殊な状況下においてはな」

 高評価するにあたっても、あくまで原理原則に口うるさい師団長の言に、マリーは首をやや傾げながら、うなずく。

 漆黒の超重戦車は、プロイス語の歓呼と、敵の悲鳴の中を縫って進み、ついにダッハウブルク基地の中枢、司令部建物の脇に止まった。

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