第22話 ダッハウブルクの狂騒劇
フレッドとアレクが、パリス以来の再会を果たしていた時分、塀の内側、ダッハウブルク基地は巨大な混沌の渦の中にあった。
マクドナルド少将が新しいタバコに火をつける。と同時に、司令部室のドアが乱暴に開け放たれ、一人の下士官が転がり込んできた。
少将のデスク周りに集まっていた副官と参謀たちが、驚いて振り返る。
「何だ貴様は!?」
参謀の一人が怒鳴ると、よろめき肩で息をしていた下士官は背と襟を正し敬礼する。
「サー! ジョン・デービス憲兵隊軍曹であります、サー!」
「憲兵隊が何の用だ? 今は、森のレジスタンスへの対応と、行方不明の黒戦車の追跡で忙しいんだ!」
「三万人の捕虜が一斉に蜂起しました、サー!!」
絶叫に近い報告に、司令部室は死んだように静まり返る。マクドナルド少将が、火をつけたばかりのタバコを思わず取り落とす。
「三万人の捕虜が……全員? 一斉に? この基地の?」
憲兵隊軍曹は青い顔で、師団長に対し何度もうなずく。
「そうです、サー。完璧に呼吸の合った動きです! まるで夜な夜な演習を重ねていたかのようです! 我々が四六時中監視していたにも関わらず!」
参謀たちが動揺し顔を見合わせ、ひとまず師団長のデスク前を空ける。軍曹は一歩前へ出て、直接マクドナルド少将に状況を説明し出す。
「捕虜たちは、大きく三つに分かれて行動しています。一つ目の集団は、戦車二〇両を奪い、すでに正門から基地外へと出て行きました。二つ目の集団は、残りの戦車を鹵獲し、味方を攻撃しています。三つ目の集団は、二万を超える歩兵戦力です。こちらの武器弾薬庫や、通信設備を掌握し、一部が今まさにこの司令部室へ迫りつつあります!」
「弾薬庫と通信設備を占拠されただとっ?! それは確かか?」
「ここに来るまでに、この目で見ました!」
少将は頭を抱えた。武器弾薬を取り上げられては、当然戦い続けることはできず、通信設備を奪われては、師団内外へ指令や救援を発することができない。
状況は絶望的だ……。巧妙なマンシュタイン将軍の戦車隊と、彼の息のかかった森のレジスタンスの行動に目を奪われ、戦術的な対応に苦慮している間に、戦略面の足場が想定以上に早くかつ大規模に崩れ始めていた。気付けば勝算は愚か、逃げ場さえ失いかけているのだ。
副官が近づき、震える声で進言する。
「マクドナルド少将。腕と喉を削ぎ落された現在の状況では、勝ち目がありません。捕虜鎮圧も、レジスタンスとマンシュタイン将軍らの逮捕も、現状では困難を極めます。それに、敵もこの部屋へ迫っているとのことです。……ここはご自身の安全を優先され、またの機会に再起を図られるのがよろしいかと存じます」
だが、猛将はその言葉を聞くや否や、頭を抱いていた両手を机に叩きつけ、重い椅子を後ろに跳ね倒し立ち上がる。その顔は般若であった。
「俺に逃げろと言うのかっっ!! この俺にっ!? 俺はすることもしないで、敵にケツ向けて逃げ出すくらいなら、ここで職務を全うして死ぬ! どんな危険が迫ろうと、捕虜反乱を完全に鎮圧し、事の元凶をひっ捕らえて、正義の名の下に国際軍事法廷に引きずり出してやる!! そう! あの悪魔をなっ!!」
「ですが、手段はどうするのです?! 私はそこを問題にしているのです!」
副官の強烈な、しかし冷静な指摘に言葉を詰まらせた。が、目を剥いて、なおも反論を試みる。
「森へ出撃させたのは一二〇〇人だ。俺の師団には一五〇〇〇人いる。大半がこの基地内に残っていて、捕虜鎮圧の戦力になれるんだ!」
「ですが、敵は三万人います! しかも、こちらの弾薬庫を占拠しているのです! 兵士は個人で携行できる分だけの弾しか持っておりません。我々の優位であった物量を、真っ先に潰されたのです! これが現実です、少将!」
眼鏡の副官に、マクドナルド少将は感情的にまくし立てる。
「黙れ、青二才が! 貴様は、あのマンシュタインと同じだ! 兵学校も士官学校も出ずに軍隊に入ったくせに!! 偉そうな口を叩くな!!」
「そのマンシュタインに一〇〇人で挑んで、部下をほとんど戦死させた挙句、あの
真正面から浴びせられた強烈な侮辱に、少将は顔を真っ赤にして震え出す。今にも掴みかかりそうになるところを、参謀の一人が立ちふさがって止めた。
「少将、副官の諫言に私も同意します」
赤鬼のような形相で、その参謀を睨みつける。
「貴様まで、私の名誉を貶めるつもりかっ!?」
「私は少将の忠実な部下です。いつでも少将に最善の策を提案しているつもりです。しかし、それは少将個人の名誉のためでなく、合衆国の名誉と利益のためです。このダッハウブルク基地の失陥は、正直申し上げて、時間の問題と言えるでしょう。実質的に倍以上の差がついている上、補給に深刻な打撃を受けている現状では、目下の戦術的不利を覆すことは非常に困難です。かくなる上は、一人でも多くの兵員を生かして離脱させるべきです。そして、そのような困難な指揮を完遂するには、少将の命令が必要です! またの機会にとは私は申し上げません。ですが、この部屋で死を待つというのは早すぎます。今にも蜂起した捕虜たちが、この部屋に雪崩れ込んでくるのならば、どうか一時、安全に指揮できる場所へ移動してください。それが合衆国の利益であり、巡り巡って、少将の名誉となるはずです! 名誉ある戦死より、名誉ある成功の方が、はるかに優れているのは自明の理です」
「すでに絶望的状況なのに、成功も糞もあるかっ?!」
「今は言葉遊びをしている暇はありません。ですが、強いて言うなら、糞の中からでもダイヤを見つければ、それは儲けものです!」
他の参謀たちも逃げ出すべく準備を整える。錯乱し暴走する少将を翻意させるべく口では何とでも言うが――要は彼の側近らは誰もがマクドナルド少将を見捨てているのだ。先日のフロイデンヴァルトでの屈辱に加え、自軍占領地域の要衝ダッハウブルク基地失陥という歴史的大失態を覚悟し、その責任をとる供物として少将を捧げる……皆が無言の内にそう合意していた。万一その少将に死なれたら、責任を押し付けられる役目が、参謀たる自分たちに回ってくるかもしれない。その保身意識が彼らを、少将を今は生かして後に切り捨てるという行動に、駆り立てていた。
複数の参謀が両側からマクドナルド少将の腕を掴んで立ち上がらせる。
「さあ、少将。こちらへ」
「敵の来る前に、急ぎ脱出しましょう」
「西側に非常階段があるはずです」
「デービス軍曹。そちらからなら安全か?」
若い憲兵隊軍曹は、はたから見ても裏切りだと分かる光景に戸惑っていたが、年配の参謀に問われ、震える声でこたえる。
「ほ、捕虜たちは……東側の通常の階段を使っていました。ですが! これはっ――」
「よし、分かった。ご苦労」
そう言い残すと、参謀たちは、暴れる少将を連れてぞろぞろと司令部室を後にする。義務感と犠牲心にあふれる若き下士官は、予想外の事態に一時唖然として固まる。それからはっとして、音もなく口を開閉しながら、廊下へ飛び出し追いかけるが、ちょうど一団は非常階段へと姿を消し、直後、背中側からプロイス語の怒声が聞こえてきた。憐れな憲兵は、180度振り向き、両手を挙げてその場に膝を屈した。数秒後には、十人以上の反乱捕虜に隙間なく囲まれていた。
――俺ごときにこの数でかかれるんだ。そりゃ逃げ出したくもなるだろうが……。
深く嘆息したとき、目の前にモデルのような美人が、長い金髪を揺らして現れた。
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