第21話 再会

 斥候二両を撃破してまだ数分程度――妙に早い登場に胸騒ぎを覚える。が、射程内に敵がいるという事実を前にして、すべきことは現状一つだ。Haltハルト!(停止!)と叫び、漆黒の怪物を街道上に停止させる。

『シモン。目標、敵中戦車一個中隊。方向、十時から十時半。距離、1000メートル』

 砲塔が、再び電装音を響かせ左側面へ角度をつける。

「ニメール、徹甲弾装填」

『装填完了なのです!』

 少女の声が即答する。車長の指示を先回りして、指定された砲弾を込めていたのだろう。フレッドはその恐ろしい成長ぶりに微笑を浮かべる。なおも砲塔は旋回中だ。

「シモン。照準完了後、任意で砲撃開始。目標車両は任せる」

『……Jawohlヤヴォール(了解)』

 戦友のかすかな応答を聞きながら、再度敵中隊を見やる。

 あまりに貧弱な75ミリ砲搭載型を主力に、やや貧弱な76ミリ砲搭載型が一部に混在する典型的な合衆国軍の戦車中隊――彼らは猛スピードで迫ってきて、スコーピオンの漆黒の姿を認めると次第に減速し、終いには全車が停止した。数秒後、シモンの回す砲塔も、シャークの一団を見つめて止まる。

 フレッドは額に汗を浮かべ、双眼鏡を強く押し当てながら、シャーク中隊を覗き込んだ。

 14センチ砲は手動での微調整を済ませ、砲手の意思によって今にも火を噴きそうになる。

 ところが、車長が張り叫んだ。

Warteヴァルテ, Simonヅィモン!(待て、シモン!)」


 唐突な待てに、名砲手は困惑気味に人差し指を、引き金から離す。しかし、黒目はなおも、照準器から離れない。しばらくその妙な姿勢で固まっていたが、車長の安堵のため息がヘッドホンに聞こえてくる。

Feuerフォイエル einstellenアインシュテレン!(撃ち方やめ!) 白旗だ』

 シモンも照準器越しに、先頭車両のキューポラよりたなびく白い布を確認し、目を離した。

 車長とはおそらく対照的であろう不服そうな表情に、隣に座るニメールは、鳥肌を抑えられなかった。人権など知らぬ存ぜぬな占領軍をあの手この手で惨殺し、自宅でもある宿屋の庭に数々骸を埋めてきた彼女だが、希代のトリガーハッピーたる名砲手には一々驚くほかない。世界最高の砲手は、砲撃に関連するとき以外、一切表情筋が動かないのである。奇跡的なむくれ顔を、目の前に収めながら、生唾を呑む。


 スコーピオンは、爆蒸気を噴き上げると、シャーク中戦車の一団へ接近してゆく。操縦手マリーが加減弁レバーに両手を置きながら、細長く狭い小窓より左斜め前方を望む。凶悪な砲塔の向こうに、エンジンを完全に停止し、その場に留まる合衆国軍戦車が見える。あっけない勝利に自信を深める設計技師をよそに、床下から元憲兵が疑念を呈した。

「降伏するにしては妙ではないか?」

 マリーは、え? と声をもらすが、背後の元少将は当然のように肯定した。

「ああ、不自然だな。一切砲火を交えず白旗など、じゃあなぜ出撃してきたという話だ」

「我々を近くにおびき寄せる罠ではないのか?」

「それも考えられるが、戦略レベルの物量で絶対的に勝る彼らが、わざわざ小集団を繰り出してきて、あくどい騙し討ちをする必要があるだろうか……? まあ、慎重に接近して確かめるぞ」

 左の道へ入れ、と指示が飛ぶ。マリーは左の加減弁レバーを奥へ押し、三叉路を左へ曲がる。小窓から見る真正面の景色が、収容所の高いコンクリート壁から、停止したシャーク中戦車の一団へと変わった。数十本の戦車砲が真っ直ぐこちらを見つめてくる光景に、さすがの彼女も、思わず喉が上下する。

 スコーピオン車内に、再び緊張感が増してゆく。が、双眼鏡で怪しい一団を見続けていたフレッドが、突然息を呑む。しばらく沈黙が続いてから、不意に大声で笑い出した。

「幻かと思ったが……何のなんの、アレクじゃないか! あの首輪の外れたケルベロスめ。やはり地獄を勝手に脱け出してきたな!」

 シモンも照準器越しに、敬礼する赤髪を見やると、左手でハンドルを回し、シャーク中隊の方に真っ直ぐ向けていた14センチ砲を、下に向かせてそらす。赤髪の元大佐が顔を出すシャークの手前に来て、フレッドはHaltハルト(停止)と命じた。マリーがブレーキペダルを踏み込み、シャーク中隊の数メートル前でスコーピオンを止める。すかさず左手でパーキングブレーキを引き上げた。

 フレッドは、数か月ぶりに顔を合わせる部下に敬礼を返す。雲を払いのけて突き刺さる夏の陽光の下、元師団長は右手を額よりおろすと、腹の底から叫んだ。

「貴様を軍法会議にかけてやるために帰って来たぞ、アレク! パリスでの裏切りと、今日の命令違反の件だ!」

 勇猛な部下は敬礼を崩し、大声で笑う。

「進んで処罰を受けましょう、閣下! 私も伯爵グラーフも、いや第七装甲師団の全員が、閣下をパリスで騙した罰を受けたがっております!」

「よく言うわ! 俺が命令する前に、また勝手に血祭を始めおって。そんなに命令違反が好きか?!」

 怒鳴りながらも口角を吊り上げると、アレクの唇も同様にゆるむ。

「皆、マンシュタイン将軍のお帰りを、死ぬほど待っておりました! 閣下と再会できるのなら、命令違反も喜んでやります!」

 はっ、困ったものだ、と破顔しつつ肩をすくめる。それから真剣な声音になって尋ねた。

「で、具体的な状況は?」

 仕事モードに入ったのを瞬時に察知し、数か月ぶりに、両手の平を、真っ直ぐ伸びた体の側面につけて報告する。

「収容所の外に出ている部隊は、閣下をお助けに上がった、私が率いているこの中隊だけです。中では、伯爵グラーフが味方の戦車兵を率いて、シャーク戦車を可能な限り鹵獲中。残りの兵およそ二五〇〇〇名は、フロイライン・ロマーヌ指揮の下、合衆国軍司令部建物や武器・弾薬庫を攻撃し、占拠、あるいは要人の捕縛を試みているところです」

「ロマーヌが?!」

「Ja! 逞しい女性ですよ、あれは! 本人はただの素人スパイだと言ってましたが、アマゾネスの間違いでしょうなあ! しかも勇だけでなく知にも優れる。私と伯爵グラーフに今回与えられた任務も、彼女の発案ですからな!」

 ――やはり同じ血なだけはある……と、感心しながら砲塔をちらと見やり、あごをさする。それから、アレクの方を向き直って、新たな命令を下した。

「これからは指示に従ってもらうぞ。中隊を率いて、このスコーピオンに従え。何があっても、驚くなよ?」

Jawohlヤヴォール! ……ああ、閣下、一つよろしいですか?」

 車内へ体を沈めかけた少将を呼び止める。フレッドは、半ばで止まり、赤髪の部下を見やった。

「何だ?」

「この漆黒の……正直、やや珍妙な形の戦車を、Skorpionスコーピオン(サソリ)と言うそうですが、見た目が理由ですか?」

「それも一つにはあるが、主な理由は別だ」

 と言うと? と問われ、フレッドは再び上半身をさらし、真正面から頼れる部下を見つめた。

Wirヴィア sindヅィント SKORPIONスコーピオン, derデア straftシュトラフト Orionオリオン!(我らはスコーピオン、オリオンを誅するもの!)」

 フリードリヒスハーフェンで合衆国兵を怯えさせた血文字の文句から、アレクは即座に真意を読み取り敬礼した。その顔は紅潮し、高揚を隠しきれていない。

「どこまでも、何があっても、変わらず付いてまいります! 真の勝利者たる閣下に!」

「“真の勝利者”ねえ……まったくお笑いだ」

 フレッドは頬をかきながら自虐的に肩をすくめる。しかし、すぐに師団長だった頃の威厳をもって言い放つ。

Mirミア nachナッハ!(付いてこい!)」

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