第20話 会敵
大サソリは、持ち前の巨体を活かし、難なく――あまりにも呆気なく、かさを増した小川を渡り切る。泥まじりの川辺に、漆黒の怪物が上陸した。その分厚い黒い皮膚についた水滴が、日光を跳ね返して星々のように輝く。
一旦停止して、履帯裏から盛大に水蒸気を噴き上げる。全長20メートル近い威容が、すっぽりと白いカーテンに覆い隠された。ドレン弁の排気を終え、自ら吐き出した霧が晴れると、左へ90度その場で旋回し、一路収容所を目指して鉄の履帯を回転させ始める。
車長がキューポラを横へスライドさせ、痩せた顔を夏の日の下に現す。その血色は、青から灰色へ戻っていた。その鋭い碧眼の先に、青空の下を切り取るコンクリートの壁が捉えられる。
高く、長く続く壁には、一定間隔で監視塔が建っている。ライフルを持った兵士が常に立ち、脱走者を見張り、万一の場合には射殺するための場所だ。遠くにそびえるそのお立ち台の列を見つめていると、違和感を覚える。将軍はうなりながら、首にかけた双眼鏡をしっかりと目に当てた。
時速60キロで飛ばす戦車の上、しかも建物の二階に相当する高さから身を乗り出す姿勢は、かなり不安定だ。双眼鏡を握る手が大きく上下し、数度、レンズが目玉をこする。思わず舌打ちをしつつも、フレッドは明確に見た。
「監視塔に兵がいない!」
四人が感嘆を漏らす。
『やはり捕虜が蜂起したのです?』
「その可能性は高まったな。まだ断言はできないが」
これは彼らにとって朗報である。さしもの車長も、双眼鏡を手に前方を見つめる顔に、朱が差してくる。
しかし、その視界の左端に不愉快な影二つを見つけ、即座に咽喉マイクをつまみ叫んだ。
「
マリーが驚きながらフットブレーキを踏み込み、巨体が数メートル以上滑って止まる。それから車長は再び双眼鏡を覗き込み、矢継ぎ早に指示を出す。
「シモン、十一時方向、1100メートル。目標、敵シャーク中戦車二両。ニメール、徹甲弾装填!」
ロボットのような甲高い駆動音で、無骨なアーモンド形の巨大な砲塔が左へ回り始める。漆黒に塗られた長大な14センチ砲が、夏の日光を鈍く反射しながら、1キロ以上先の敵へ“よだれを垂らしながら”指向する。
『装填完了なのです!』
「
発見から三十秒後、敵の射程外から、重い先制の一撃を叩き込む。シモンの照準した砲弾は、寸分の狂いなく敵の弱点に命中し、火柱を上げさせた。
「
僚機を吹き飛ばされ、一両残された敵は、しばらく硬直した後、その場で旋回し基地方面へ戻ろうとする。
「いい判断だ。だが遅いな」
フレッドが呟くと、ヘッドホンが叫ぶ。
『装填完了!』
「目標、1130メートル。
瞬く間もなく怪物の砲弾は敵の尻を貫き、爆轟が川沿いに響き渡る。夏の川辺には、燃え盛る戦車の残骸が二つ、風に吹かれていた。
二両分、十人の火葬を目に焼き付け、一つ息を漏らしてから、背筋を正す。緊張した声音で車長は注意を促した。
「今の二両は斥候だ。こちらの位置と、孤立しているという状況は、通報されただろう。本当の困難はここからだ。ウルムの時のような仕込みはない。各員気を引き締めろ」
四人分の
キューポラから上半身を外へさらしたまま、フレッドは四人に悟られぬよう静かに深呼吸し、襟元に指をかけた。襟をゆるめる左手が胸に触れ、波打つ心臓を肌に感じる。が、そんなことはまるで気にしていない風を装いながら、険しい目線は燃え盛る炎の奥、基地正門に通ずる川沿いの道を睨む。
――第一に、スコーピオンが、敵襲来より早く基地を攻撃すること。それが叶わぬときは、第二に、可能な限り遠く、敵の射程外から一方的に撃破する。第三に、万一接近を許した場合は、後退しながら砲撃を続行。幸い時速60キロ程度の猛スピードでバックできるしな、距離を取るのは可能なはずだ。とにかく近寄らせないこと。14センチ砲の圧倒的な射程距離と命中精度、これを活かす以外に活路はない。
黒光りする超長砲身を眺め、ひとり首肯する。
9.94メートルという車体と同じくらいの長さを誇るこの巨砲は、射程距離5キロを誇る。通常の戦車戦で想定される最大交戦距離の二倍以上に相当し、しかも、砲口初速は徹甲弾で秒速2500メートル、マッハ7~8と異常な超音速だ。要は、長大な有効射程内の目標ならば、どれも約二秒以内に着弾する。まして1キロ先など0.4秒の世界である――マッハ7を超える砲口初速は、他のどの戦車も到達していない完全な異次元だ。照準さえ正しければ、撃った瞬間に敵の最期は決まる――この14センチ砲の超音速の飛翔と、砲弾の質量が生み出す絶対的なパワーに耐えられる装甲は、現状存在しないのだから。そして熟練の砲手たるシモンが、狙いを外すわけがないのだ。
だが、近寄られれば、こうした優位性は失われ、異常に長い装填時間と、鈍重な機動性、限定旋回砲塔が枷となる。そのことをいち早く看破し、極端な接近戦でフレッドを絶望へ追いやったガーリーの将軍が思い出されるところだ。
――あの二の舞はごめんだ。体当たりも、あの山の斜面があってこそだからな。
傾斜のほとんどない川沿いの平地を見渡し嘆息する。と同時に、再び視界の左に、嫌なものを見た。
「いや早いな……」
訝しみつつ、双眼鏡で十時半の方向を望む。と、拡大された視界に、シャーク中戦車の一個中隊が、こちらに向かっているのが確認できた。
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