第19話 賽は投げられた

「賽は投げられた。スコーピオン単機で川を渡る。今は、九両揃っての渡河より、迅速な収容所への攻撃と、続く捕虜蜂起が最優先だ」

「え? でも、“待てを知らないケルベロス”がいるんでしょ? 蜂起を扇動してるんじゃないの?」

 案の定なマリーのとぼけ顔に、舌打ちを飛ばす。

「それが確実だと証明できるか?」

 すると、当然口ごもる。皮肉屋は続けた。

「先ほど言ったように、捕虜が先んじて蜂起している可能性はたしかに否定できないが、それが命令秩序の例外に当たり、かつ、楽観的な可能性でしかない以上、行動判断の根拠には、本来、織り込むべきではない。捕虜は蜂起していないという前提に立った上で、迅速にこれを実行させるべく、当初作戦の近似値をとる」

『……スコーピオン一両で、本当にシャークの大軍に勝てるか?』

「いい質問だ、シモン。じゃあ検証してみよう。スコーピオンのもっとも装甲が薄い部分は、底面を除けば、車体背面、ちょうど大公グロース・ヘルツォークの背後だな、ここが傾斜込みで実質140ミリ厚。次いで薄いのが、車体側面175ミリの垂直装甲だが、ここはその外側に60ミリ厚のサイドスカートと空間装甲があるから無視していいだろう。となると、実質的な二番手は、砲塔背面が傾斜込みで210ミリ厚相当となるが、敵弾の平均貫通力は?」

『……一般的な75ミリ砲なら、徹甲弾で90ミリ、硬芯徹甲弾で130ミリ。より強力な76ミリ砲なら、徹甲弾で130ミリ、硬芯徹甲弾で180ミリ』

「さすがシモン。淀みないな。つまり、脅威となるのは76ミリ砲搭載型の硬芯徹甲弾のみということになるが……該当車両は極めて少ない。しかも、76ミリ砲はマズルブレーキを必ずつけているから、見分けやすい。見つけたそばから撃破していけば、敵はいないも同然だ」

 そもそも真後ろへ回り込めなければ、敵に機会はない、と付け足す。すると、今度はニメールの不安そうな声がヘッドホンを揺らした。

『履帯を撃たれたら、行動不能となるのではないのですか?』

 この質問に、車長は一瞬深呼吸する。それから、心雑音の除かれた、落ち着いた声で返す。

「たしかにその危険性はある。だが、それ・・しき・・を恐れて攻撃を躊躇するのでは、本末転倒だ。無論、これは賭けだよ。背伸びをするのだから、ある程度のリスクは背負わなければならない」

「好みじゃないんじゃないの?」

 マリーが振り返り、見上げてくる。そのいたずらっぽい笑みに、思わず苦笑を浮かべた。

「正直な。しかし、これは仕事だ。私情より、成果を優先するべきだ。これもまた、俺の信条だしな」

 なるほどね、と女史がうなずき、前を向き直る。その横顔はすっかり真面目に前を見つめ、両手は加減弁レバーに添えられていた。砲塔の二人からも、異論はないようだ。フレッドは大きく深呼吸すると、足元のカールに叫んだ。

「シャーク隊に連絡! スコーピオンと分離し、来た道を戻り、収容所正門の対岸に展開せよ。ただし、敵にバレないようにだ。いずれ敵は正門から逃げ出す。攻撃は、その時まで待て」

 大公はすぐさま無線を通じ、交信を始める。元師団長の命令は、自信にあふれ、苛烈でさえあった。要は、機会が巡ってきた際には、すでに逃げ出した敵の側面を叩け、ということである。戦果の極大化を狙っての追撃、いや、最後のダメ押しとでも言うべきものだ。隙なく徹底的に攻撃し、戦力を最大限削り取ることで、基地陥落後の合衆国軍の報復意思を完全にねじ伏せるつもりであろう。

 けれど、人は理性だけでなるものではない。強烈な徹底攻撃を命じる内心には、大きな賭けへの不安が同居していた。危険は何も、履帯が切れることだけではないのだから……。

 ――だが、今行かないというのは、最悪の選択だ。それだけは、はっきりしている。

 勇気と知性のバランスこそ、英雄や名指揮官の要件であるとの論は、古代以来の定説である。その点では、マンシュタイン将軍はまさに、“陸軍最高の頭脳”とうたわれる知性と、“西部戦線の覇者”たる勇気の均衡が取れた名将と評されよう。本来の姿は、フクロウの脳を持った羊だとしても――。

 湧き上がる恐怖で自ずと手が震える。握りしめた拳の中に、冷や汗が不快な水溜まりを作る。心底からの震えを、深呼吸で無理やり落ち着かせ、固まった拳を開く。理性で本能的な恐怖をねじ伏せ、己の計算に自身を従わせる・・・・・・・・・・・・

「シャーク隊の了解を確認した」

 カールの紳士的な声音を聞くと、背筋を伸ばし、咽喉マイクをつまんだ。

Alleアレ Panzerパンツェル, aufアオフ geht`sゲーツ!(全車、作戦開始!)」

 深い呼吸の後の声音に、もはや脅えの色はなく、鋼鉄の騎兵たちはすぐさま各々の責務に基づき行動を開始した。


 シャーク戦車八両が来た道を引き返し始めるのと同時に、スコーピオンは巨体をその場で旋回させ、頭を川へ向けた。巧みに加減弁と逆進装置の四本のレバーを操る女史に、車長は問う。

「渡河に当たってふさぐべき箇所は?」

 外に出ようと頭上のハッチに手をかける。しかし、その素早い行動は、開発者の声に止まった。

「特にないわ」

「……本当か?」

 キューポラの分厚いハッチに触れたまま、眉根を寄せる。マリーは心外そうに口を尖らせた。

「私はスコーピオンの設計者よ! 間違い言うと思う?」

 いや、まあ……と口ごもるフレッドに対し、まくし立てる。

「スコーピオンの開口部は、14センチ砲と同軸機銃、車体天板の吸気口一本と煙突二本だけで、どれも地面から2メートル以上の位置にあるわ。150トンの巨体だから、渡れる橋は少ないだろうってことで、初めから水密性は高い設計なのよ」

 そ、そうか、と反応し、黙り込む。

 車内に妙な沈黙がおりた。

 マリーが背後の様子に不審を感じ、眉根を寄せて振り返る。と、青い顔をした元少将が、その細い腕をさすっていた。さながら重い風邪でも引いたように震えている。この真夏に、閉め切られた鉄板の中で……。腕を震えさせる寒気が、内なるものであることは明らかだ。

 女史の右手は自然と伸びていた。

「大丈夫よ」

 そう言いながら、こけた左腕に優しく触れる。フレッドは声もなく驚いて、マリーを見つめ返す。年上の彼女は、優しい微笑みを浮かべていた。

「大船に乗ったつもりでいて。過去のトラウマなんて、この希代の天才と戦車にかかれば、ちょちょいのちょいよ!」

 さながら聖母のような笑顔に、フレッドは唾を飲み下し、心拍を落ち着け……

「そうだな。希代の天才はともかく、この戦車は信頼しよう」

 平常運転な毒のあるジョークを吐いて、操縦手を憤慨させた。しかし、難儀なことだが、乗員五名にとっては、この辛辣な冗談こそ、安心できるものなのだ。リラックスしたクルーの笑い声がヘッドホンに響く。

 フレッドは調子を取り戻し、いつの間にか少しずれていたヘッドホンを当て直す。それから咽喉マイクを掴み号令を発した。

Panzerパンツェル vorフォー!(戦車前進!)」

 スコーピオンは、爆蒸気を上から下から噴き上げて、増水した川へ突入した。

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