第13話 撤退か転進か

 鹵獲した戦車の榴弾と、スコーピオンの大口径徹甲弾が飛び、無数の機銃弾が舞う。鉄の嵐吹き荒れる中、次第に日が高くなってゆく。そして、真夏の太陽が地表をあぶり始めると、将軍の額に冷や汗が浮かび出した。

 フレッドは戦車九両の猛攻撃で、正門の敵を一時的に封じ込められると目論んでいたが、時が経つにつれ、合衆国軍は着々と落ち着きを取り戻し、門を開いて戦力を着実に送り込み、強く撃ち返すようになってきていた。想定外のリカバリーの速さだ。こうなっては、根本的な戦力差から状況は悪化する一方である。

『……フレッド』

 目論見が外れたことを察し、普段無口な戦友が、砲撃の合間、ヘッドホン越しに一言呼びかけてくる。それを聞いたマリーが、再び訝しげに振り返って見つめてきた。その女史の表情を真っ直ぐ見返してから、肩をすくめる。

「間違いなく不意は突けたが、こちらも不意を突かれた。まさか敵に、まだ冷静さを残した指揮官がいたとはな」

 敵の初動以降の対応を素直に認めつつ皮肉を言うが、戦況は不利になるばかりだ。マリーは眉をハの字にして、ため息を漏らす。

「だからさっき渡っておけば良かったのに……」

「あまり過去のことを言うな。事態の解決にならん。それに、底なしの前向き思考が、お前さんの唯一の取柄だろ」

「いっつも一言余計よね」

「一言だけならいい方だ」

「ええ、そうね。そう言えばそうだったわ」

 冗談を放つことで、心の片隅に余裕を生み出す――フレッドは自嘲しつつ、内心では心拍を落ち着かせ、次取るべき手について考え進める。本来なら正門を突破して突入したいところではあるが、このまま敵の勢いが増す一方ならば、早いところ攻めるポイントを変えなくてはならない。スコーピオン率いる十両の戦車打撃群がまごついていては、同調する他部隊に敵戦力が集中し、作戦全体が瓦解しかねない。

 ――スコーピオンがもっと軽ければ……。

 キューポラのペリスコープから、忌々し気に小さな橋がかかる小川を見つめる。マクドナルド少将の予想した通り、西側から攻め込むマンシュタインにとって、この川は実に厄介な存在であった。

 が、急に戦車に痩せろと言っても、一朝一夕で軽くならないのは人間と同じである。また、渡れたところで無数の敵に囲まれる未来は変わらないだろう。フレッドは計画的に増えてゆく門前の敵を見やりながら、脳天を掻きむしった。

 ちょうどそこへ、後部席の車体側から通信手席のカールが呼びかけてくる。

「シャーク隊から、突入はまだか、と問うてきているが、どう返答する?」

 頭を掻く右手が一層忙しなく動く。深呼吸して心を落ち着かせてから、こたえようとする。が、その時、真正面から爆轟が響いてきた。巨大な衝撃波は分厚い装甲を揺さぶり、全身を震わせる。フレッドは咄嗟にペリスコープを覗き込む。


 数刻前まであった正門前の古びた橋が、すっかりなくなっていた。


 小川の両岸には、粉塵が霧となって立ち込めている。

「橋を爆破したのか?!」

 車長が目を見開いて叫ぶと、操縦手が上擦った声を出す。

「前もって仕掛けてたってことよね?」

「だろうな。工兵が出てくる様子はなかった……」

 ペリスコープから顔を離し、首を横へ振る。

「奇襲を読まれてたのかしら?」

 振り返った技師が首を傾げるが、車長は即座に否定した。

「あの初動の慌てようだ。それはないだろう。考え得ることは……捕虜脱走の防止策として仕込んでいた、という感じか」

 うつむき加減に呟いて、一度深く嘆息する。それから、一転して背筋を正すと、声音に威厳をこめた。

「いずれにせよ、これで進退定まった。ここは一旦退こう。大公グロース・ヘルツォーク、シャーク隊に連絡。先行して、地点Beethovenベートーヴェンまで後退せよ。マリー、スコーピオンは殿を務めるぞ」

「バックで行く?」

「もちろんだ」

 シャーク隊が砲撃を止め、急速に町の方へと離脱を始める。対岸の合衆国軍側は撃退したと喝采を上げるが、マンシュタイン将軍からすれば、橋が落ちたことで追撃をかけられず、安全に逃げられるため、これに関してはありがたい話であった。

「奴ら、撤退と転進の区別もつかんとはな。呆れたものだ。まあ構わんが」

『……敵の失策は己の好機』

Genauゲナオ(そういうことだ)。林に集結後、別地点へ急行し、仕切り直そう。追撃されないのは好都合だが、転進自体は憂慮すべきことだ」

 シャーク隊が全て後退したことを、カールがヘッドホン越しに伝えてくる。Klarクラー(了解)と返すと、マリーの黒い作業着の背中に叫んだ。

Zurückツリュック! Schnellシュネル!(後退! 急げ!)」

 マリーが加減弁レバー外側の逆転機を左右同時に手前に引き、パーキングブレーキを押し下げ開放する。そして再び手を中央に戻し、一番長い一対の加減弁レバーを手前に引いた。

 四つのシリンダーへ一気に蒸気が送り込まれ、スコーピオンは爆蒸気を足元から噴き上げ全速後退し始める。白煙をまき散らす漆黒の怪物は、合衆国兵の口汚い歓声を、武骨な顔面に受けながら、悠々と町の中へ消え去っていった。

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