第12話 朝霧
「ロベルト隊より通信。予定通りの状況で、敵との交戦状態に入ったとのことだ」
カールがスコーピオンの後部席車体側で無線を受け、咽喉マイクを摘まんで報告する。
と、ヘッドホンと頭上から、同じ声が聞こえてくる。
「敵の陣容は?」
「戦車五〇両と、機械化歩兵一五〇名程度だ」
「物量で押してきたな……」
将軍がため息とともに前髪をかき上げる。
「レジスタンスは結局、八〇名ほどだったし、歩兵は単純計算およそ倍だな。加えて戦車五〇両か……」
「大丈夫なのよね?」
銃撃の負傷が早くも癒え、たった二日で操縦手席に戻ってきたマリーが振り返る。眉の端が垂れているが、青い瞳は力強い。大丈夫以外の回答は許さない、とばかりに真っ直ぐ見つめてくる。
フレッドは苦笑を浮かべつつ、一つ首肯した。
「並みの指揮官なら全滅間違いなしだが、ロベルトの冷静さなら問題ないだろう。攻撃側は防御側の三倍の戦力がなければ勝てないという法則がある。我々こそ攻め入る側だが、あの森に限っては逆だ。ロベルトは、戦術的に有利に戦える。懸念であったレジスタンスたちを、きちんと従えているようでもあるし、心配なかろう」
安心したようにマリーが肩をおろす。ヘッドホンには、前方の砲塔に隔離されたニメールの安堵の息も聞こえてくる。それぞれの反応を受け止めると、フレッドは一転して厳しい声音になった。
「だが、容易ならざる状況に置かれているのは明白だ。あの森は本命でないにしても、命がけなのは変わらない。だから――」
黒いパンツァージャケットの襟を正し、車長席から立ちあがる。
「早速、行くとしようか」
カールが八両の鹵獲シャーク中戦車隊に出発する旨を無線で伝え、マリーが操縦手席左側の壁面に並ぶ計器類に目を通す。水位計、ボイラーと四つのシリンダーそれぞれの蒸気圧計、電圧計、ブレーキ用空気圧計、全て正常だ。一人うなずくと、軽く左拳を握る。銃創はもう痛まない。唇を引き結ぶと、左右の加減弁レバーに手を重ね、細く小さな覗き窓から前方を見すえる。暗い後部席より見やる外の世界は、朝日に真っ白に輝き、目が焼けた。カールが八両から了解が取れたことを少将に報告すると、車長の声が背中とヘッドホンから聞こえてくる。
「
マリーは座席左下のパーキングブレーキを掴み、押し下げた。視界の左端でゆっくりと空気ブレーキの圧力計の針がゼロに近づいていく。左手を左加減弁へ戻すと、両側のレバーを手前へ引いた。1500馬力のハイブリッド・エンジンが目を覚ます。高温高圧の蒸気がボイラーからシリンダーに叩き込まれ、四つの強力な心臓が拍動を始める。鎧の中で、四本のピストンが忙しなく前後し出し、電気モーターがかすかな唸りを上げ、150トンの巨体を前へと動かす。すかさずマリーは左足のペダルを踏み、ドレン弁を開放する。前方左右の履帯裏から、鋭い音で白煙が噴き出し、白いカーテンを早朝の木立に立ち昇らせる。天国のように白く輝く早朝の林を、地獄の使者のごとき漆黒の怪物が、鉄の音を響かせ疾走する。その後ろを追うように、八両の鹵獲中戦車が一列で続く。
木立を抜け、まだ寝ぼけ眼の住宅街をトップスピードで突っ切って行く。鉄の履帯が石畳を踏み砕く音が家々にこだまする。小さな宅地を走り抜けると、視界に、きらめく小川と、石造りの橋と、わずかな歩兵と戦車がたむろするだけの門扉が――ダッハウブルク基地の正門が飛び込んできた。
「
橋の手前で九両が急停止し、スコーピオンを中心に横一列へ並び直す。合衆国軍側はマンシュタイン将軍の奇襲に不意を突かれ、若い歩哨が何もできずに右往左往している。
「相手は慌てふためいている。落ち着いて狙え。スコーピオンは徹甲弾装填。シャーク隊は榴弾装填。先手必勝だ! 全車、装填終わり次第、各個に攻撃開始!」
一つ深呼吸を済まし、マンシュタイン将軍の命令が飛ぶ。直ちにシャーク隊は機銃と榴弾のシャワーを、逃げ惑う敵歩兵に浴びせかけた。スコーピオンの14センチ砲は二十秒近く遅れてようやく必中必殺の砲弾を放ち、敵のシャーク一両を火にくるむ。業火をまとい絶叫しながら、敵戦車兵が飛び出してくる。しかし、その断末魔は、すぐにスコーピオンの機銃によって断たれた。シモンは暗い砲塔の中で、冷たい目をして燃え盛る戦車を見つめ、影を見るたび左足でペダルを踏み、脱出してきた敵に淡々と機銃弾でとどめを刺していく。右隣では小柄なニメールが、子供ほどの重さの砲弾と装薬を二度に分けて砲身へ押し込む。
「装填完了なのです!」
『
シモンは即座に14センチ砲の引き金を引く。ようやく動き出した敵戦車が、たちまちエンジンから火を噴いて止まる。
正門側には来ないと信じ切っていた合衆国軍側は、蜂の巣をつついたような大騒ぎで、その毒針をほとんど外敵に向けることができていない。銃を持ってとりあえず走り出す者、慌てて戦車のエンジンをかける者、負傷し泣き叫ぶ者、死亡しもはや声のないもの……いかに奇襲とは言え、戦中に多くの熟練兵を失ったことが、よく分かる地獄絵図だ。
しかし、敵の地獄は、攻める側には好機である。楽天家の操縦手が、待ちきれないように加減弁レバーに両手を置き、席の上で体を揺する。
「ねえ、まだ渡らないの? 早く対岸に行っちゃった方がいいんじゃない?」
細い覗き窓から川向うの混沌とした正門前を見つめ、そう漏らす。が、慎重な車長は固い声で返した。
「いや、対岸の戦力はあれで全てではない。大半が門の内側にいると考えるべきだろう。それを外へ引きずり出して叩く。そうでないと渡った後が続かないし、そもそも渡る際に無駄なリスクを負うことになりかねん。スコーピオンの150トンの重量を、あの小さな古い橋が受け止め切れるかどうか疑問だしな。シャークはあっちにいる以上、大丈夫なんだろうが、蜂に刺されながら橋ごと川に転落しては、いかに大サソリでも無事では済まんだろう」
戦力比のことを言い出しては、キリがないように思えるが、まだマシになるなら、その時を待った方が良い――これが彼の計算である。特に渡河の失敗は、将軍マンシュタインにとって、唯一の軍事的失敗であり、最悪のトラウマだ。晴れ渡った夏の朝、ライン大河とは比べようもない町中の小川であっても、足がすくむ。決して怯えだけから渡河を渋ったわけではないが、心の一隅に雨の夜に聞いた幾千もの断末魔がよぎったことは否定できない。
マリーはかすかに眉をひそめたが、いかんせん専門外だ。もう意見することはできず、仕方なく黙って目の前の小窓を覗き続ける。
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