第10話 深夜の仕事人

「くまなく探せ!」

 激しい口調の英語が飛ぶ。ロマーヌは早鐘を打つ心臓を押さえつけながら、そっと覗き窓から様子を見る。と、三人の合衆国兵がライフルを構えながら小屋の中をゆっくりと見回っていた。目はありとあらゆるところに向けられ、ライフルの先には銃剣が鈍く光っている。

 なぜ今日に限って! と唇をかむが、むしろ今日だからこそだろう。マクドナルド少将の耳には、すでに連合王国軍壊走のニュースがもたらされていたし、ガーリー軍を名乗る男からダッハウブルク基地への攻撃について警告を受け取っていた。そこで彼が一番に心配したのは、基地の失陥、ではなく、捕虜の暴動であった。工作員を送り込まれているところまで想像したかは分からない。案外、武器の類があれば、摘発しあらかじめ回収しておこうという程度なのかもしれないし、単に情勢変化を見越しての示威行動のつもりなのかもしれない。

 だが、いずれにせよ、ロマーヌは極度の緊張を強いられ、一層汗を噴き出すことになった。妹たちの戦いを助けるためにスパイ活動に身を投じて以来、はじめて死の危険が目の前に忍び寄っていた。

 風を切って銃剣が突き立てられる音がする。浅く呼吸を繰り返しながら隙間より見やれば、二人の憲兵が棚のような粗末なベッドを上から次々突き刺している。もしあそこに隠れていたら、同じことをこのロッカーにされたら……刃の通るはずがない金属箱に潜みながら、恐怖で混乱してゆく。

 ――駄目です。落ち着きましょう。

 頭を左右に振る。すると、思いのほか強く振りすぎ、クラッシュキャップがズレてひらりと落ちた。美しい金髪が長く零れ落ちる。不意の事故に、思わずあっと口に出してしまう。

 帽子をあきらめ、深呼吸をしつつ覗き窓から様子を見る。二名は相変わらずベッドを刺して回っており、今は部屋の対角線上、最も遠いところにいる。が、次の瞬間、


 隙間が二つの青目で覆われた。


 張り叫びそうになるのを必死で押さえる。瞳孔が開き、心拍数が上がる。肺いっぱいに空気を吸おうとしても、体がこわばり胸が持ち上がらない。

 静かに金属製の戸が開けられる。目の前に青年憲兵の全身が現れる。兵の口が驚きに広がる。


 咄嗟にロマーヌは青年兵の両腕を掴んで引き寄せた。着剣したライフルが体に密着し、本能的な恐怖に青ざめるが、突然抱き寄せられた青年の顔も引きつっている。今にも叫びそうになったその口を――


 ロマーヌは口でふさいだ。


 必死に自ら唇をこすりつけ、舌を突き入れかき混ぜる。予想だにしない攻撃に、青年兵は目を見開くばかりで、まったく対応する術がない。叫び声は美女の口に吸われ、荒い吐息へと変わってゆく。

 相手の目が溶けていくのを上目遣いに確かめると、片手を離し、盛り上がった下腹部へ這わせる。不意な甘い刺激に、青年憲兵は震えながら腰を引いた。妖艶な笑みを浮かべ、口を解放する。青年は叫ばなかった。もう任務など忘れ、ロマーヌに夢中である。

 魔女の美笑をたたえながら、耳元で吐息交じりにささやく。

「お願い、今は静かにして……ね? 言うこと聞いてくれたら、後でいいこと、してあげるから」

 意味深な誘いに、青年兵は生唾を呑み、黙って何度も首を縦に振る。

「いい子ね。2時に二十番倉庫へいらっしゃい。今は使われていないところで、少し汚れているけれど、あそこなら二人きりになれるの。あなたを、待っているから」

 最後にもう片方の手を頬に添え、軽くキスを落とす。同時に下腹部を軽くなで上げた。青年は興奮にぶるっと体を震わせると、顔を真っ赤にしながら戸を静かに閉じる。

「何かなかったか?!」

 部屋の奥からリーダー格の声が聞こえる。青年憲兵は足を踏み鳴らすと、大音声で報告した。

「No,Sir! Nothing, Sir!(何もありません、サー!)」

「良し。次のバラックだ!」

 六つの騒々しい足音が消えていく。最後に木戸が乱暴に閉じられる音を聞いて、ロマーヌは糸の切れた人形のように脱力し、ロッカーの底にうずくまった。


 唇に手を当て、嘆息する。


「言えない秘密が、またできてしまいましたね。特にニメール、あの子には知られないようにしないと……」


 余計な心配をかけて、妹に躊躇をさせないよう、自分が彼女を支えるために陰ながら何をやっているのか、詳細を絶対に話すことはしなかったし、これからもしないつもりである。ただ、鬱憤はたまれば晴らすほかない。ロマーヌはこれを相談や愚痴ではなく、より直接的な形で解消していた。

 彼女の美しい手には、頑丈なワイヤーロープが握られていた。


 バラックへ踏み込んだ合衆国軍の憲兵隊は、特段の収穫もなく、点呼が終わると早々に引き上げていった。その内一人だけが、深夜に人知れず営舎を抜け出したが、その後の行方を知る者はいない。

 ただ、夜のうちに、二十番倉庫近くの肥溜めのかさが、わずかに増していたらしい。

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