第9話 最終点呼

「閣下はお怒りだろうな。俺らに、裏切りに近い命令違反をされて」

 アレクこと、アレクサンデル・エーミール・フォン・ブリュッヒャー元大佐は肩をすくめた。

 同僚がそれに同調して首を縦に振る。

「それに、職業軍人でも志願兵でもない徴兵組だし、将軍にも成り行きでなってしまったに過ぎないと自ら言う人だ。今度は僕たちが、やりたくもないことを押し付けてしまったわけさ」

 ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ元大佐は、伯爵グラーフとあだ名されるのも納得なアンニュイな笑みを浮かべて自嘲した。

 しかし、ロマーヌが二人の顔を見て、あえて断言する。

「お怒りではありません。もし本当に不満に思っていらっしゃるなら、私をこうしてここに寄こさないでしょう。妹にも協力はしなかったはずです」

 二人の元連隊長は、静かにうなずく。

 それから燃えるような赤髪のアレクは、思い出し笑いを浮かべた。

「しかし、今でもパリスを引き渡した時の、敵の顔が忘れられなくてなあ! お目当ての将軍が、いなくなった後だったと知ったあの面よ! あの表情を見られただけでも“命令違反”した甲斐があったというものだ」

「どのような表情だったのですか?」

「そうだなあ……まず驚愕に顎が外れそうになり、次に悔しさに歯を食いしばって、最後に怒りで唇が震えていた。ずっと俺らは、そんな連合軍のおかしな表情を、にやにやしながら見守っていたな。なあ伯爵グラーフ

「そうだね、アレク。マンシュタイン将軍ゆずりのにやにや顔さ」

 真似をして口角を吊り上げる。ロマーヌはフレッドのこの表情を見たことはない。だが、既視感があり、ごく自然と首を上下に振っていた。その表情は、幼いころ、かわいい妹がいたずらを思いついたときの顔とそっくりだったのだ。――昔はこのにやにや顔で、年相応なお遊びを思い付いていただけだったのだが、今は同じ表情で嬉々として敵を殺戮するようになってしまった。どこに責任を求めればいいのか、姉ながら悩ましいものである。


 とその時、屋外からラッパの音が響いてきた。同時に英語の怒鳴り声が外でこだまする。バラック内の捕虜たちが一斉に背筋を正し、身なりを最低限整えだす。

 ロマーヌが周囲を驚いて見回し、小声で二人にたずねる。

「何が始まるのですか?」

 ブリュッヒャーが小声で返す。

「就寝前の最終点呼だ。全員、屋外に並ばされて脱走者がいないか確認される」

「お嬢さんはバラックの中にいれば問題ないよ。通常、このタイミングで中まで点検することはないからね。減っていれば気付かれるが、増えている分には隠れていれば分からないさ」

 ザイトリッツがウィンクをして微笑む。あの用具入れなら隠れられる、とブリュッヒャーが顎で部屋の一隅を指し示す。ロマーヌはDankeダンケと頭を下げ、捕虜たちの間を掻き分け、部屋の奥にたたずむロッカーの中へ急いで入る。金属製の戸を閉めた直後、バラックの木戸が荒々しく開け放たれた。合衆国軍の兵士が何か喚きながら入ってきて、捕虜たちが追い立てられるように出て行く。ロマーヌは真っ暗なロッカー内から、ちょうど目の高さに作られた戸の覗き窓越しに様子をうかがう。険しい表情の兵士は、小屋の中をぎろついた目で一瞥すると、乱暴にドアを閉め外へ消えた。

 しばらくすると、プロイス語で番号が叫ばれ出す。バラックごとにカウントするのか、広い敷地内の各所から元軍人たちの大声が聞こえてくる。それをじっと聞きながら、ロッカー内の暑さに耐える。しかし、捕虜の数は、一個師団を優に超え三万名以上おり、収容定数の四倍近い。いくら分散しているとは言え、気が遠くなるような時間がかかる。

 少しだけ……と思い、慣れないパンツァージャケットを汗で濡らしながら、そっと用具入れの戸を開けようと手を伸ばす。


 が、同時にバラックの木戸が突然蹴り開けられ、慌ててその手を引っ込め、口元へやった。小さな悲鳴が両手に吸われる。

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