第6話 唐突な終戦
およそ三か月前の1945年5月7日。マンシュタイン将軍率いるプロイス国防軍第七装甲師団は、第二次世界戦争中、二度目となるガーリー首都、パリスへの入城を果たした。
前年11月11日の黒の森作戦において、ガーリー軍主力ボナパルト将軍指揮の第二機甲師団と合衆国軍多数を粉砕し、電撃的に北上して他の西側連合軍もことごとく壊滅に追いやり、“西部戦線の覇者”の異名をとった彼と、その部下たちにしてみれば、ガーリー遠征は季節外れのバカンスへ赴くようなものであった。何しろ道中にいるはずの敵軍は、すでに前年のクリスマスまでに自分たちで片づけてしまっており、あくびの出るような西征だった。
しかし、入城の翌日8日になって、事態は一変する。パリスのホテルに設けられた師団長の執務室に、マンシュタイン将軍の声が響いた。
「無条件降伏しただと!?」
電報の走り書きを手にした通信兵が、思わず肩を震わせる。
「そうです、閣下」
「敵の欺瞞情報ではないか?」
「いえ閣下。私も信じ難く、念のためと思いラジオを確認したところ、全ての放送局が同じ事実を伝えています」
「全ての放送局とは?」
眉間に皺を寄せ、苛立った様子で前髪をかき上げ、額をこすり出す。
「連合王国放送協会、合衆国国際放送、オロシー連邦国営放送、イタリー王国放送協会、スイス・アルペン共和国放送協会、そして、プロイス国民ラジオ放送……。いずれもプロイス国防軍最高司令部長官カイテル元帥が、全連合軍に対する無条件降伏文書に代表として署名し、プロイス全軍の降伏に同意した、と伝えています」
「はあ? あのカイテル元帥が全権代表? 髭だけ立派な人形のくせに。
「自裁なさったそうです。総統地下壕にて」
初めて聞く知らせに、手を額に当てたまま口を開けて硬直する。あまりに大きく、あまりに急な事態の変化に、体が追い付こうとしているのか、心拍数が高まってゆく。座っているだけなのに息が上がり、耳元が拍動の轟音で埋め尽くされる。頭が白飛びしかけるが、大きく深呼吸して意識を保つ。
言いたいことは山ほどあるが、この通信兵に言うべきことは一つだ。
「ブリュッヒャー大佐とザイトリッツ大佐をここに。あとシモンだ」
戦友と呼ぶにふさわしい三人が駆けつけると、将軍は青白い顔で、大きなデスクに両肘をついて腰掛けていた。しっかりと組まれた手は、口元に押し当てられている。もともと神経の細いところがあることは承知していたが、ただならぬ様子に三人とも自然と緊張した面持ちになる。
六つの目が金髪の少将を見つめる。なおもしばらく無言で、虚ろな目をしていたが、肘をついたまま、震える声が話し出す。
「プロイスが敗北した」
三人が声にならない風を漏らす。
「総統が自裁し、カイテル元帥が全権代表として、連合軍に対する無条件降伏文書に調印したそうだ」
燃えるような赤髪のブリュッヒャー大佐が叫ぶ。
「連合軍ということは、ガーリー軍も含まれているのですか?!」
「そうだ」
金髪の美貌をたたえるザイトリッツ大佐が肩をすくめる。
「首都を占領されている状態でですか? こちらがチェックメイトを指している――いえ、キングを取ったのに、戦争に勝ったとは……その根拠がありませんよ」
「運よく勝ち組に入れたからだろう。事実、ガーリーは我々の足元で負けている」
皮肉を言いながら、ホテルの床を、数度音を立てて踏みしめる。
中央の突然の決断に理解が追い付かず、現状の勝利と、祖国の敗北という報せのギャップが、頭の中でまったく処理できない。全員が困惑している中、小さな声が冷静にささやかれる。
「……第七装甲師団が、一番危険」
下士官で、一介の砲手に過ぎないシモン・ヴォルが、無表情のまま士官三人を見やる。その視線をすがるように見つめ、深呼吸して、心と頭を整理したのは、若き師団長であった。
「シモンの言う通りだ。我々は、
「シャンゼリゼ通りに転がるゴミは、僕たち第七装甲師団ということですか」
そうだ、とマンシュタインはうなずく。すかさずブリュッヒャー大佐が前のめりになって叫ぶ。
「閣下! それならば、いち早くお逃げください!」
「分かっている。早く部下全員を逃がすんだ」
真正面から互いの瞳がぶつかる。数拍後、二人とも眉根を寄せた。
「何を言ってるんだ、大佐。私は師団長だ。責任者として最後まで部下に対する責任を果たさなければならん。全く理解できないし、抗いたいところではあるが、敗北宣言に署名されてはそうする他あるまい。憤り衝動的になる者もいるだろうが、かくなる上はこれ以上の流血を避けなければ……」
「ええ、そうです。もはや流血は不要です。ですから、閣下はお逃げください」
「何のつもりだ? 私に職務放棄しろと言うのか?」
「分かりませんかっ?! プロイスをやっとの思いで、無理やりにでも降伏させた連合軍の次の狙いが!」
肩で息を整え、大佐は歯ぎしりして指をさす。
「閣下! あなたですよ! “西部戦線の覇者”たるあなたの命です!」
しかし、マンシュタインは自嘲を浮かべる。
「残念ながら俺を叩いても埃一つ出ないさ。勝者とて、法の束縛からは逃れられない。一軍人が、ただ軍務を遂行しただけで死刑されるようには、国際法はできていない。捕虜・市民の虐殺やら人道によほど反することやらをしない限り、裁くことはできないさ」
「分かっておいででない! そんなこと無視して閣下を血祭りにあげることなど、勝利者には造作もないのです! 証拠などなくとも、勝ったという事実一つで、勝者は敗者を裁けるのです! それが戦争の実態だ!」
……実際のところ、聡明な若将軍は、口では建前を並べたが、大佐の指摘するような敵の思惑くらい分かっていた。随分急な終戦だからひずみも多かろう。その一番のゆがみが、ガーリーを占領している“マンシュタイン将軍”の存在だ。連合軍の勝利を名実ともに確固たるものにするためには、自分の心臓が間違いなく求められる――。しかし、懸命に呼吸を整えながら、冷静に返す。
「だからと言って、私に逃げろというのは合理的でないだろう。師団長には最後まで務めがある。かくなる上は、できる限り多くの部下を故郷へ生きて帰らせ、取るべき、まあ或いは、負わされるべき責務を、果たさなければならん」
若干二八歳の将軍に、覚悟を持って言い切られ、もはや反論も見つからず、赤髪のブリュッヒャー大佐は戦意喪失してうなだれた。
まだ若い声が静かになって続く。
「これが最後の命令だ。部下全員を、安全に祖国へ帰せ。お前さんたちもだ。特にアレクには、妻と二人の娘がいるだろう」
言われてブリュッヒャー大佐が顔を上げる。
「閣下にも……奥様がいるではありませんか。それに直に子供も……」
「幸い貯金はあるし、なんとか不自由しないように手配するさ。夫として、父として、最期の務めだな。ああ、父としては最初で最期か」
咳払いすると、何かを振り払うように立ち上がり、背後の窓を大きく開けた。パリスの穏やかな春の風が舞い込んでくる。セーヌ川が輝き、暇を持て余した部下の兵士たちが堤防を散策しているのが見える。エッフェル塔や凱旋門へ出かけ、カメラを構えている者もいる。やがて彼らも衝撃の事実に触れ、慌てて帰国するだろう。あのうすら寒い祖国へ。それでも、晴れやかなラテンの空より、プロイスの曇天の方が恋しいものだ。
三人は板のように伸びる将軍の背中を見つめ、それから互いに目配せすると、敬礼して部屋を出て行った。
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