第5話 マンシュタインという将軍

「心配しなくとも、下のつながりはなかったよ」

「冗談きついぜ。あってたまるか」

 そうして二人してくつくつ笑う。その姿を、将軍の作戦に従うロマーヌは、疑心暗鬼に見つめる。

 しかし、その視線に気づき、二人の士官は慌てて首を横へ振った。

「ああ、別に将軍が嫌いだとか、苦手だとか、そんなことはないぞ」

「たとえ目の前に本人がいたとしても、同じように話すよ、僕たちは」

「忠誠心に欠けてるように見えたか?」

 ロマーヌは逡巡した後、隠しきれず首肯した。赤毛の方が口を開けて笑う。

「無理もないな! そう見えても。こんな風に上官の軽口を言えるのは、世界広しと言えど、第七装甲師団くらいのものだろう」

「そうだね。マンシュタイン将軍ほど信頼できる上官はいなかった。だが、尊敬だけとは……確かに軍人として尊敬の念は抱いていたが、それだけではなかったな」

「俺らより七つも若かったしな。それに、俺らは士官学校を出て軍人になったが、あの人は銀行家やってて、徴兵されて嫌々入隊した口だ。それがふたを開けてみれば、素質と努力と運命の歯車がかみ合わさって、あっという間に国防軍最年少にして最高の将軍になっちまったってわけだ。本人としては甚だ不本意だったろうがな。まあともかく、そんな背景があるから、純然たる出世をしてきた軍人たちにとっては、少しばかり面白くない面もあった」

「けれど、非難する士官ほど、大した人物ではない。要は本人の能力不足か努力不足による嫉妬だね」

「ほんとそうだったな!」

 お二人は違うのですか? とロマーヌが問う。二つの首が縦に振られた。

「マンシュタイン将軍は、自分が士官学校の教育を受けずに将軍になった、言わば正規のルートではないことを負い目に感じていたようだね。それ故に、我々のような存在に気を遣っていた」

「若造なら大抵勘違いして、自分は叩き上げだと謎に胸を張って、尊大に振る舞う。それで嫌われるんだが、そういったところが全くなかった。むしろ謙虚に、教えを乞うてきたほどだ。あと、本人は隠していたつもりだったのだろうが、戦闘前には少し弱っていることもあったな」

「皮肉屋とか金好きとか言われているけれど、根は呆れるほど真っ直ぐで、誠実で、謙虚な方だったね。だから、僕たちは崇敬する一方で、どこか年の離れた弟を見守る気持ちでもあったよ。あの人も、内心それが嫌ではなかったようだ」


 マンシュタイン将軍の周りには二種類の人間しかいない。狂信者か暗殺者だ――時の国家元帥が言い放ったこの言葉こそ、異様なキャリアの将軍が置かれていた環境を端的に表している。

 志願兵でもなく徴兵された分際で、あっという間に――初陣から一年ちょっとで国防軍最年少の将官となった元銀行家。彼は老将以上に頑固で厳格な若将軍であり、合理的でない命令や態度は、一切許さなかった。たとえ相手の戦歴が自分の人生の倍あったとしても、たとえ相手が上官だったとしても、たとえ相手が軍上層部だったとしても。もちろん相手が総統フューラーである場合も、同じだった。だから、年食ったお偉方からは、生意気な若造と酷く嫌われており、国防軍でも最大級の戦功を誇る割に少将止まりだったり、褒章や勲章が明らかに過小だったり、時には刺客を送られ密かに排除されそうになったりもした。

 他方で、部下からは彼ほど慕われた将軍はいなかった。その誠実で、謙虚な人柄は自然と人を惹きつけたし、有名な毒舌は主に上から降ってくる理不尽と戦うために、すなわち、配下の兵を守るために振るわれた。無理な作戦で部下を犬死させることを忌避し、確実に勝てるタイミングを待って短期集中の攻撃で勝利をもぎ取る――そんな一方的に敵に損害を強いる彼の戦い方は、部下たちが最も喜ぶものだった。上官を仰ぐしかない兵士が、心底で一番求めているのは、勝利でも名誉でもなく、生き残ることなのだ。

 そうして部下から絶大な支持を得て、戦えば勝利を持ち帰るため、上層部としても表立って攻撃や嫌がらせをすることはできず、ますますそれが苛立ちに繋がっていた。国の中枢のそうした複雑な心境は、当時の最高権力者たる総統フューラーが、マンシュタイン将軍に初めて会った後に放った、次の言葉に集約されていると言えよう――曰く、「有能だが、信用しない」。

 結局、プロイスで最後まで勝ち続けた将軍の最後の勝利であるパリス再入城は、敵からも味方からも黙殺され、プロイスの中央政府はマンシュタイン将軍と部下たちを敵国首都に置き去りにしたまま、降伏宣言に署名したのだ。プロイス市民が降伏に鼻白み、まだ負けていないと叫ぶのも、至極当然である。

 ロマーヌは顔を上げ、気になっていたことを尋ねる。

「マンシュタイン将軍は第七装甲師団を指揮し、パリスを再占領していた際に、敗戦の報を受け取ったのですよね?」

 二人の男がJaヤーと返す。

「敗戦を知ったときには、将軍とお二人は同じパリスにいらっしゃったにも関わらず、どうして将軍は捕まらず逃げおおせたのでしょう? 連合軍にしてみれば、絶対に捕縛しなければならない人物のはずでした。何しろ敗戦のその時まで勝ち続けていた英雄なのですから。下手に逃げられては、いずれ国民がその旗の下に団結して蜂起しかねない。まさに私たちの企図しているように。余程連合軍の犬は鼻が悪かったのでしょうか?」

 赤毛が愉快そうに声を立てて笑う。その横で笑顔を浮かべながら、金髪がこたえる。

「連合軍の犬は普通だったと思うよ。さすがに空の上は、捜索圏外だろうからね」

 空の上、ですか? 真っ直ぐ目を見て、首を傾げる。すると今度は赤髪がにやりと口角を上げた。

「ああ、そうとも! 将軍を無理やり空に逃がした。俺ら以下、第七装甲師団全員でやった、たった一度の謀反だ」

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