第3話 一服

「いやあ、やはり風呂はいいなあ」

 軍服のズボンに上はワイシャツのみというラフな格好で、フレッドが大部屋に現れた。金髪の毛先からは、しずくが垂れている。その左手には、インクの乾ききらない紙束が握られていた。

 レジスタンスの代表たちはすでに仲間のもとへ戻り、集合場所としていた古びた旅館には、スコーピオン搭乗員五名と、ロベルトのシャーク中戦車隊員がいるのみだ。数時間前、緊張の説得の舞台となった大部屋では、今は銘々自室で風呂を済ませたスコーピオンクルーたちがくつろいでいる。

 椅子の下で足をぷらぷら揺らしていたニメールが、はと背筋を正し、隣に座った将軍に紙片を手渡す。

「閣下。姉さまからなのです」

Dankeダンケ! おお、そうそう。こいつが欲しかった」

 中に素早く目を通すと、自分の目の前の卓上に丁寧に置く。右隣にかけたマリーが前かがみになり、不思議そうに覗いてくる。

「何のメモなの?」

「作戦成功に有用な情報だ」

 そうこたえ、にやりと口角をあげた。意味が分からないが、特に興味をひかれない回答に、技師はふーんと鼻を鳴らし、背を椅子に預ける。フレッドの正面に座ったカールは、いかにも貴族らしく優雅に葉巻に火をつけ、風呂あがりの一服をじっくりくゆらせる。その横の一番ドアに近いところに座るシモンは、もうもうと煙をかぶり、かすかに眉をひそめた。神経質な将軍が左右の女性の顔色をさり気なく確かめ、紫煙を吐き漏らす元大公に渋い表情を向ける。

大公グロース・ヘルツォーク。この場では禁煙いただこう。過半数の反対票が集まった」

 シモンとニメールが控えめに首肯する。マリーは、え? と意外そうに呟き、左でフレッドが一番嫌そうな顔をしているのに気が付いて慌てて口を閉じた。

 三人の表情を見ると、カールは素直に葉巻の火を消す。

「これは失敬」

「いや、構わん。だが、今後はやめてくれ」

 鼻をむずがゆそうにかきながら念押しする。それから部屋の中を見渡し、ニメールに尋ねる。

「ロベルトは?」

「宿周辺の警戒指揮にあたっているのです。しばらくしたら、こちらに来る予定なのです」

「そうか。じゃあ、作戦についての話はそれからだな」

 そう言うと、あらかじめ用意してきた手書きの資料を机の下でめくり目を通す。説明の順番を確認しているのだろう。時折眉間に皺を寄せ、紙の順番を入れ替えたり、額をかいて、半分に折り曲げたりしている。ニメールは、普段は見られない将軍の裏の準備姿を、真横から興味深げに観察し、カールも対面ではあるが、同じように物珍しい光景を見つめた。撃つものがないシモンは相変わらず一つあくびを漏らす。そして、沈黙を知らない技師マリーが、唐突に口を開く。

「ねえ、フレッド。どんな戦車を作ってほしい?」

 少し間が空いて、問われた将軍が、んあ? と間の抜けた声を返す。手元の資料を、角をそろえてから、裏向きに机の上に置いた。右を向けば、マリーの青い瞳が目の前だ。

「何て?」

「どんな戦車がいいの? ダッハウブルクの兵器工廠で作るのは」

 技師の頭の中は、目前の戦いをすっ飛ばし、未知の戦車の妄想でいっぱいのようだ。目は暗い部屋の中で宝石のように輝き、鼻息は馬のように荒い。

 フレッドは真顔で注文を伝えた。

「仮想敵をしのぐ火力と装甲を有し、機動性も十分に確保されているもの。加えて、量産性に優れていること」

「それって、もしかしてスコーピオン!?」

「戦車の最低限の定義は、全周旋回砲塔を有することとする」

 シモンが強く首を縦に振った。ええ、それじゃあスコーピオンは戦車じゃないって言うの? と設計者が頬をふくらませるが、フレッドは一切迷わず即答する。

「機構的に言えば、あれは戦車じゃなくて、駆逐戦車だ」

「でも、いいじゃない。ティーゲル・ドライの後継重戦車として開発したんだもの。立派に戦車よ!」

「まあ、たしかに運用は、一般的な重戦車とさして違いはないがな。接近戦が御法度なのも変わらんし」

「じゃあ、スコーピオンを量産するということで!」

「より簡単に扱えるものにしてくれ。砲塔の件もだが、蒸気機関はおろせ。ああ、あと装填時間はもっと短く」

「ええ、つれないわねえ……」

 と、いたずらっぽく微笑む。その脳内で、どんな戦車を構想しているのか、不安に思い問い詰めようとするが、正面のカールが咳払いして割り込んできた。

「随分と余裕があるようだが、ウルム以上に厳しい戦いとなるのではないのか? 連合王国軍に対した際とは、戦力比がまるで異なる。油断大敵だと思うのだが」

 元憲兵の率直な言葉は、まさにその通りだ。意義の大きい困難な戦いの前夜としては、浮ついていると言われても仕方がないだろう。だが、装甲師団の師団長は、そんな小言を片手を振って払いのけた。

「ウルムとは違う。ウルムでは不意打ちを食らったが、ダッハウブルクでは我々が主導権を握る。しかも、その状況は、すでにほとんど完成済みだ。たしかに困難な作戦に違いないが、あとはしっかり寝て、明日集中力を保てれば勝てる。あまり不安には思っていないよ」

 アイアン公爵・デュークを前にした時とは随分違う余裕のある態度に、カールは目を丸くした。

「貴殿は、マクドナルド少将と、第一四機甲師団を過小評価しているのではあるまいか?」

「随分とまあ偉そうに。お前さんこそ、何を知ってるんだ。知ってることがあるなら、教えてくれ」

 不機嫌そうに鼻を鳴らして突っかかる。少し興奮気味に上擦った声音には、彼の中で未だ晴れないカール個人に対する猜疑心と、野戦憲兵への軽蔑がにじみ出ていた。マリーは口をへの字に曲げてフレッドを咎めるように横目で見つめ、ニメールは二人を緊張した面持ちで見守る。だが、シモンは、真横から元大公を、胡散臭そうに見ていた。

 カールは、敏感に将軍の精神の荒立ちを感じ取り、最年長者らしく丸く振る舞う。

「失礼した。たしかに私は門外漢だ。差し出がましいことであったな。申し訳ない」

 誠実に頭を下げられ、フレッドは言葉を詰まらせながら、分かればいい、と静かに返す。他三人は妙な緊張の糸が解け、ひっそりとため息をついた。

 一節ついたところで、すかさずマリーが口を開く。ここで自分が沈黙すれば、次に話し出すのは陰険な皮肉屋だと分かっていればこそである。

「ねえ、フレッド。ダッハウブルクには、どんな人たちがいるの?」

「それは町に、ということか?」

「違うわよ。収容所」

「収容所? ……太った、バーガー好きの豚みたいな合衆国軍人じゃないか?」

「ああ、そうじゃなくて――ええっと、第七装甲師団のフレッドの元部下が捕まってるんでしょ? どんな人たちなの?」

 ああ、そっちか、と前髪をかき上げる。そしてそのまま、しばらくつむじをゆっくり掻いた。唇の端がわずかに下向きに下がり、目線は五人の中心あたり、何もない卓上の虚空をさまよっている。マリーは隣で首を傾げた。正面からは、カールがカイゼル髭の先をなで上げながら、グレーの瞳を真っ直ぐ向けてくる。ニメールは将軍の横顔を見つめて目をしばたたき、彼女の対角線上に座るシモンは背筋を伸ばして戦友を見守る。

 なお少しの間、脳天をぽりぽりと掻くと、ようやくその手をおろし、机の上で両手を組んだ。金色の前髪がはらりと額に戻ってくる。

「どんな人たち、かと言うと、本当に頼れる奴らだ。厳密には俺の命令に必ずしも忠実でない者も一部いたが、それを含めても、彼ら以上に頼りになるのはいない。信用していたし、彼らもまた、俺を信用してくれていた。ただ、一度だけ裏切られたがな」

 マリーが、先ほどまでとは逆側に首を傾げる。

「何があったの?」

 将軍はまた脳天を少し掻いてから、口を開いた――。

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