第2話 マクドナルドの脂汗

 合衆国軍ダッハウブルク駐屯地の師団司令室に、師団長の罵声が響き渡る。

「この腐れ紳士がっ! 今度会ったら、中指をケツに突き立ててやるっ!!」

 顔を真っ赤にして、受話器を電話本体へ投げつけた。コードの繋がった受話器は、支えに接触すると大きくワンバウンドし、そのまま本体を道連れにデスクの向こう側へ落ちていく。黒電話は派手な音を立てて割れ、床に破片や部品が飛び散った。

 眼鏡をかけた副官が驚いて、書類から目を上げる。通話中から、ただならぬ雰囲気ではあったが、まさか電話が破壊されることになろうとは……と、床の惨状と、マクドナルド少将の鬼のような形相を交互に見やる。何があったか尋ねるまでもなく、興奮しきった少将は、唖然としている副官に向かって吠え始めた。

「連合王国のジョン・ブルどもが、ウルムに無断で侵入したそうだっ! 俺たち合衆国軍の占領地域と知ってな! 挙句、俺らが見つけられなかったスコーピオン一行を捕捉し、圧倒的優勢の状況で二度も戦闘した末――」

 副官が息を呑む。

「敗走したそうだ」

 少将が痛快そうに口角をあげる。が、純粋な副官は、斜向かいのデスクに座ったまま、戸惑って問い返す。

「敗走……ですか? それは、マンシュタイン将軍が?」

「そうだとしたら、俺はドーバー海峡を渡って、あの鷲鼻をへし折りに行くぞ! もちろんあの“アフリカの英雄”こと鷲鼻ノージー公爵が惨敗して逃げ帰ったんだ!」

 机を叩きながら大声で下品に笑う。しかし、正直な副官は青ざめた。

「あのブレナム公爵アーサー・ウェルズリー将軍が……? かのアイアン公爵・デュークが優勢にも関わらず撃退されるなんて……少将は、なぜ喜べるのですか?」

「俺自身の手で復讐せねば、気が済まんからだっ!」

「それは勝てれば無論そうでしょ……いえ、そうですね」

 自然と他国の将を基準に、自身の上司を低く評価してしまい、慌てて言い直す。

 が、マクドナルド少将の耳にはしっかり聞こえていたようだ。

「よもや負けると思ってるのか? この俺が、二度も?!」

「いえ、そのようなことは。ですが、用心は肝要です」

「はっ! 秀才ぶりおって、この若造がっ!」

 叩き上げの将軍を自負するマクドナルドは、軍靴を履いた足を、机の上に投げ出して組んだ。

「どこの士官学校で学んだか知らんが、この俺に説教するつもりか? 俺は偉大なる合衆国が欧州の戦いに参加して以来、ずっと前線を駆けずり回ってきた。貴様のような青二才が、まだママのケツを追っかけてた頃からだ! 同じ頃、俺はアフリカでプロイスの装甲部隊を追っかけてとっちめてた。あの時は、おしなべて言えば、イーブンの戦いだった。確かに合衆国軍の戦車隊は初め練度で劣ったが、数では勝っていたし、意気地なしの連中は俺が鞭打って鍛え上げた。最後は当然、勝てた。今回はどうだ? 相手は、最大でも戦車十両だそうだ。今、俺の指揮下には何人いる? 何両ある? 何門ある?」

「将兵一五〇〇〇名、戦車三〇〇両、対戦車砲二〇〇門です」

 秀才らしく素早くこたえる。それに対し、マクドナルド少将はわざとらしく驚いてみせた。

「おおっ! 知ってたのかっ! 驚いたよっ! それで俺が負けると思ったのか!?」

 話にならん、と肩をすくめる。

「しかし、出撃して叩くにも、捕捉できないことには……」

 言いかけたところで、目の前の電話が鳴った。また不服そうに膨らむ上官の顔を横目に、慌てて電話を取る。

「Hello?」

『マクドナルド少将はご在席ですか? お電話したのですが、なぜか繋がらなくて……』

 交換手の言葉に曖昧な相槌をうちながら、部屋の中央の床に広がった黒電話の破片を眺める。それから、Wait a minuteと言って、少将を呼ぶ。

「お電話です」

 タバコをくわえ、マッチをすったばかりの少将は、しばらくあほ面をさらして固まる。副官が受話器を取るよう一度高く持ち上げて催促すると、盛大にため息をつきマッチを振って火を消した。タバコをその辺の床に吐き捨て、副官のデスクまで歩いてくる。でかいケツが、大きな仕事机の三分の一まで乗っかった。

「Hello?」

 苛ついた声で応答する。交換手が何事か話し、マクドナルド少将の顔が怪訝にゆがむ。副官はその様子を、背後からただ見守ることしかできなかった。


 電話の相手が交換手から変わる。少将の耳に、訛った英語が聞こえてきた。

『ダッハウブルクのマクドナルド少将でスか?』

「そうだ。貴様は誰だ? 名前を教えろ」

『そレは諸般の事情によりできマせん。私自身につイて教えらレることは、一つは、ガーリー軍の人間であルこと、もう一つは、閣下の味方であルということデす』

 少将はこめかみを掻きむしる。が、その様子は電話の向こう側には見えない。謎の人物は話を続けた。

『閣下、これは忠告の電話デす。差し出がましいとは思いまスが、必勝のため、万全を尽くしていたダきたい』

「何の話だ?」

 声にあからさまに苛立ちが混じる。しかし、流れこんでくる言葉は、非常に冷静だ。

『閣下が血眼になって探されてイる、あの憎い怪物のことデす』

 少将は一転して真剣な声音になり、身を乗り出す。

「マンシュタイン将軍とテロリストのことか? 何か知ってるのか?!」

『知っているというヨり、これは予知デす。ですが、必ず到来する未来デす。お笑いになるのナら、それも結構でスが、その時は必ず後悔することになるデしょう』

「いいから、早く用件を言え!」

 額に脂汗がにじむ。

『分かりまシた。マクドナルド少将とテロリストでスが、彼らは閣下の今いるダッハウブルクを攻撃しマす。そレも数日内に』

「F*ck! Are you serious?!(マジで言ってるのか?!)」

『信じていただかなくても構いまセん。それで泣き面をかくノは私ではない。あなたなのですカら』

「俺が泣き面かくと思うか? このダッハウブルク駐屯地には、第一四機甲師団一五〇〇〇名の将兵がいるんだぞ?! しかも、周りは塀で囲まれている! たかが戦車十両で、ここが落とせると言うのか?」

『“プロイス陸軍最高の頭脳”なら、問題なく成し遂げるデしょう。とにかく閣下の最善の努力に、期待していマす。それデは』

 おい待て! と叫ぶも、無慈悲なツーツーという機械音が応答するだけだ。

 副官が固唾を飲んで大きな背中を見つめる。と、左手が高々振り上げられた。

「どいつもこいつも、馬鹿にしやがってっ!!」

 怒鳴り散らし、受話器を今度は床にフルスイングで叩きつけた。当然、黒電話本体もあっという間にデスク上から消え去り、派手な音を立てる。副官が慌てて立ち上がり、机の向こう側を覗き込むと、床の上で、電話だったものが見るも無残な粉微塵と化していた。

 マクドナルド少将は、新しいタバコに火をつけ、数倍機嫌を悪くしながら部屋の中を歩き回る。歩く度に、電話の破片が小気味いい音でさらに粉々になっていく。

「貴様の次は、ガーリー軍の人間を名乗る奴が、おかしなことを言ってきやがった」

 しっかり副官を罵倒しつつ、電話の内容を共有する。黒電話の破片を絶望的な表情で見つめていたが、眼鏡を押し上げ、上官の話に集中する。

「その男が訛りながら言うには、マンシュタイン将軍とテロリストは、ここダッハウブルク駐屯地を攻撃するつもりだそうだ」

 副官は口をあんぐり開けた。

「まさか! そんな訳……」

「ふんっ。これには慎重に度が過ぎる貴様でも、さすがに驚かざるを得んようだな」

 タバコの煙を吐き出しながら睨めつける。副官は言葉を詰まらせ、静かにうつむいた。それをあごを突き出し、タバコを大きな肺いっぱいに吸い込みながら見下ろす。それから、ため息をつくように、長く臭い煙をたなびかせると、タバコをくわえたまま副官のデスクに近づいた。

「地図を出せ」

 眼鏡を押し上げながら、地図ですか? と聞き返す。

「そうだ。この駐屯地付近の。早くしろ」

 タバコの煙を吹きかけながら催促する。副官は慌てて引き出しから、ダッハウブルク駐屯地を中心とした町の地図を取り出し、デスク上に広げた。マクドナルド少将は眉間に皺を寄せ、それを睨みつける。

「まったく馬鹿馬鹿しい話だが、貴様のような青二才にはいい図面演習の機会だろう。奴らがここを攻撃すると仮定して、今は西から向かってきている。こちらとしては好都合だ。分かるな?」

 副官は反対から地図を覗き込みつつ首肯する。

「駐屯地と収容所の敷地の西側には、大きくはありませんが、無視できない川が南北方向に一本流れています。防衛する我々にとって有利です」

「見たところ、マンシュタイン将軍の乗る戦車は、相当の重量があるように思えた。むしろこのちょっとした川にかかる橋程度では、どれも渡れないだろう」

 紫煙をくゆらせながら、冷静に分析する。まるで人が変わったようだが、仮にも合衆国軍で随一の機甲師団指揮官なのだ。本来、驚くには値しない。

「さて、それで貴様なら、今確認したような条件下で、圧倒的多数の防衛戦力を有する砦を攻め落とす場合、どこから攻め入る? もちろん手元の戦力は、戦車十両だ」

 問われた副官は、迷わず地図の一点を指し示した。

「駐屯地北西側の、この森林から奇襲します」

 ダッハウブルク基地と書かれた縦長の長方形。その南西側は、街道や鉄道線路が充実し、川を超えて入る正門がある。一方、北西側は、プロイス特有の深い森が広がっていた。それはちょうど、基地内北側の捕虜収容バラックが立ち並ぶエリアと、北北西に斜めに突き出した兵器工廠の敷地の間に挟まれる場所だ。

 少将は満足気にうなずいた。

「俺も同感だ。こちらの見通しが利かず、大兵力を展開しづらい森ならば、奇襲の可能性はあるだろう。もっともそれで駐屯地を攻略できるとは、到底思えないが」

 慎重論を唱えていた副官も、その意見には素直に首を縦に振った。どう考えても、第一四機甲師団のダッハウブルク駐屯地は、戦車十両で動揺する代物ではない。仮に現地の協力者を得たとしても、一五〇〇〇名の訓練された将兵と、何百という整備された兵器に、敵いはしないだろう。

 ――マンシュタイン将軍は乱心したのか? あるいは、ガーリー人のでまかせか……?

 眼鏡を持ち上げ考え込んでいると、上官の命令が頭上から降り注いだ。

「念のためだ。偵察兵を森へ配置しろ。部隊の選出は任せる」

 はっとして顔を上げる。少将は憂鬱そうに、紫煙を嘆息まじりに吐き出す。

「ここに押し込めている捕虜は、大半が第七装甲師団にいた連中だ。名将の上官が戻って来たと分かれば、どんな反抗的態度を示すか分かったものじゃない。たった十両とは言え、可能な限り遠くで撃退するべきだ」

 リスクを避けなければ、今度は最高司令部から何を言われるか……と、深く息をついた。

 副官は、上官の危惧を理解し、即座に立ち上がり敬礼する。そして、ばねのように部屋から駆け出そうとする。それを大声で少将は引き留めた。

「おい待て、どこに行く!?」

 副官は扉に手をかけたまま振り返る。

「偵察に出す部隊長のところです。指令を伝えませんと」

「電話があるだろう!」

 そう叫び、タバコを口にはさむ。副官は生真面目な顔をして、その場に姿勢を正した。

「Sir! もう電話はなくなりました!」

 一瞬ぽかんとしてから、先ほどまで自分が歩き回っていた部屋の床を見下ろす。広い司令室の床の真ん中には、黒い破片や銀色の細かな部品が、至る所に散らばっていた。それを見て、深くため息をつく。背筋を正して直立する副官を視界の上端にとらえると、手でしっしっと追いやる。

「早く行ってこい、目障りな奴め」

 副官が一度敬礼して走り去ってゆく。残された少将は、何度目になるか分からない嘆息を、紫煙で誤魔化しながら吐き出した。

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