第24話 怪物と怪人

 8月21日になって程ない深夜、つまり、マンシュタインのウルムの挟撃により連合王国軍が敗走していた頃、プロイスの首都ベルーンに置かれたガーリー軍占領軍司令部の一室には、不穏な空気が流れていた。

「今、何と言ったのだ?」

 戦傷から復帰したボナパルト将軍が、新しい作戦参謀を振り返って睨む。窓際の机には、冷めきったコーヒーと、自身が敗北した戦場図が置かれていた。

 新参謀ルイ・ランヌ大尉は、背筋を正し言葉を繰り返す。

「フロイデンヴァルトより姿を消したマンシュタイン将軍は、合衆国軍の一大拠点たるダッハウブルクを攻撃するつもりに違いありません。第二機甲師団に救援に赴く準備をさせるのがよろしいと存じます」

 呆れて将軍は嘆息する。

「何を根拠にダッハウブルクの危機を唱えているのか、気になるところではあるが、聞いても意味はない。なぜなら、そんなことはあり得ないからだ! あのマンシュタインともあろうものが、彼我の圧倒的な戦力差を理解していないはずがない。彼の下にいるのは、ど素人の民兵を入れても戦車十両。対してダッハウブルクの合衆国軍は、戦車だけでも三百両ある! 三十倍以上の敵を攻撃しようなど、考え難いことだ!」

 もちろん彼とて再戦の機会を欲してはいる。だからこそ、自身の敗北を部屋にこもって振り返り続けている。だが、新任の参謀のあまりに突拍子のない意見には、さすがに心が躍らない。むしろ呆れの方が強かった。

「加えて、万一マンシュタイン将軍の最高の頭脳のネジが飛んで、ダッハウブルクの駐屯地に攻め入ったとしても、軽々撃退されるだろう。幾らマクドナルド少将でも、三百両いて負けるようなことはあるまい。対戦車砲も十分にあるはずだし、物量で押し潰すだろう。救援を要する事態にはならないと思うが?」

 ボナパルト将軍の発言は、まったく間違っていない。常識的に考えれば、マンシュタイン将軍が圧倒的寡兵で要塞化された合衆国軍の駐屯地を攻めるなど、夢でも笑い飛ばされるような話だ。ところが、大尉は一歩もひかない。

「閣下。私が申し上げていることには、十分な根拠があります」

 有無を言わせぬ口調に、将軍は鼻を鳴らしながらも一応耳を貸す。

「マンシュタイン将軍とレジスタンスの一行が、フロイデンヴァルトより東に向かったことは間違いありません。フリードリヒスハーフェンで合衆国軍の歩兵部隊と接触し、惨殺した件はすでにご報告した通りです」

「それは聞いた。だが、肝心の戦車はどうした? 決定的な目撃証言がない以上、徒歩でスイス・アルペンへ亡命を試みている可能性は捨てきれない」

 避けたい事態だが、とつい本音が小声で漏れるが、大尉はあまり気にしていないようだ。

「それについて、最新の情報が入りました。20日午後、ウルム市街にてマンシュタイン将軍率いる戦車部隊が、連合王国軍第七機甲師団に包囲され、その後、損害なく逃げ切ったとのことです」

 聞いて大きくため息をつく。目は机の戦場図を泳ぐ。

「今度は包囲網からの脱出に無傷で成功ときたか……。――待て、連合王国軍だと? 合衆国軍ではなく?」

「はい。ブレナム公指揮下のデザート・ラッツです。ウルムは確かに合衆国軍の占領地域で、連合王国軍が活動をしていることは咎められる事態ですが、あの島の紳士たちの肝は据わっていますから」

 まあ、そうだな、とボナパルト将軍はごく自然に首肯した。

「それより、戦車を引き連れて東進していることは分かったが、なぜそれがダッハウブルクへの攻撃に結び付く? その論理の飛躍が分からない」

「難しい話ではありません。まず、ダッハウブルク基地併設の捕虜収容所には、マンシュタイン将軍の指揮下であった第七装甲師団の将兵が多く捕らえられています。彼らの救出を目論む可能性は高いかと」

「何のために? 義理人情でそんな危険なことをする男ではあるまい。冷徹な合理家と専らの評判ではないか」

「それは無論、元部下たちを解放し味方につけ、徒党を組んで占領軍と分割占領の統治体制に、反旗を翻すためです。黒の森にて、レジスタンスと共闘して閣下に立ち向かってきた際の要求を思い出してください」

「しかし、人がいても兵器がない」

「ダッハウブルクには合衆国軍が新たに兵器工廠を建設しました。この工場ごと乗っ取れば、造兵基盤をも手にすることになるでしょう」

 ボナパルト将軍は黙考する。確かに現在の統治体制に不満を持ち、占領軍の排斥を望んでいた彼らが、前回以上の大規模な武装蜂起を試みるというのはあり得る話だ。そのためには、人も武器もいる。それがダッハウブルクならば一度で大量にそろう……。単純に並べれば、一見合理的に思えるが、すぐに首を振った。

「ダッハウブルク攻略を試みる筋書きは理解した。だが、攻略に成功するはずがない。圧倒的な戦力差をどうするつもりだと言うのだ?」

「閣下、私もそれが分かればと思いますが、プロイス陸軍最高の頭脳は、世界に二つとないのです。ただ分かるのは、マンシュタイン将軍は、過去勝機を見誤ったことがありません。その彼が自ら戦場へ移動を始めた以上、確実に勝つ算段と自信があるのでしょう」

「それで説明がつくとでも? 現実問題、圧倒的な戦力差に変わりはない。防衛でも至難な差だぞ? だと言うのに、攻勢で勝つなど不可能だ!」

「ガーリー語の辞書には、不可能の言葉はなかったはずでは?」

「……それならば、非常識と言い換えよう」

「非常識こそ勝利の鍵です、閣下。圧倒的劣勢なら、なおさら敵の意表を突く大胆さが不可欠でしょう。マンシュタイン将軍は、その非常識なまさかを、物にする達人です。先年の11月11日、黒の森での大敗北を、その後の西部戦線での奇跡としか言えない巻き返しを、そしてパリスの再占領を、閣下もお忘れではないでしょう――」

 ボナパルト将軍の拳が机に叩きつけられた。階下まで響くような凄まじい音がする。

「差し出がましい口を叩くな! 誰に物を言っているのか、分かっているのか!?」

 軍人たる己の生涯の恥をしつこく突かれ、顔を真っ赤にして叫ぶ。怒りで上擦ったままの声でまくし立てる。

「と、とにかく! 救援目的の出撃など不要だ! 救援要請がくるなど考えられないし、こちらから勝手に合衆国軍の占領地域に侵入すれば国際問題になる。我々がプロイス占領統治に参加できたのは、合衆国の後押しのおかげでもあるのだぞ? 大尉の提案は、ガーリーの外交上の立場を脅かす危険性さえ孕んでいる。時代は戦後になったのだ。軍人とは言え、戦場のことのみならず、広い視野で考えたまえ!」

「……それは閣下なりの自制心ですか?」

Quoiクワ?!(なに?!)」

 血に滾る本心を見透かされたような質問に、一瞬呆然とする。こちらを見つめる参謀の瞳には、どす黒い炎が揺れているように思えた。危険な目の色に、鼓動が早まる。

「わ、私は軍人だ。私心で動くようなことはしない。常に国家に忠実たれ、だ。それだけだ」

「結構です。分かりました」

 何かに得心したようにうなずくと、敬礼をして回れ右をし、部屋を出て行こうとする。

 が、将軍は咄嗟に呼び止めた。参謀がその場で立ち止まり、ゆっくり振り返る。その不気味な顔を直視しながら、深呼吸を繰り返し、心拍を落ち着ける。

「貴様の危険なまでの闘争心は、そのマスクに関係するのか?」

 ルイ・ランヌ大尉は、そっと自身の顔の左半分を覆う白い仮面に触れた。オペラ座に巣くう怪人さながらの不気味な容貌で、かすかに嘆息する。

「これは単純に戦中の火傷痕を隠しているに過ぎません。生涯人の顔を取り戻せないそうですが……」

「マンシュタインに化け物の顔にされたのか?」

「いいえ、違います。しかし、あのプロイスの怪物を、この手で倒してやりたいという熱望は、ボナパルト将軍と同じです」

 冷静な声音でこたえると、再度敬礼して部屋を後にする。今度は将軍が呼び止めることはなかった。

 マンシュタイン将軍に対する二人の軍人の血濡れの執念は、理性の檻の中で燃え躍るばかりだ。

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