第23話 泥まみれのエクスカリバー

 敵重戦車との距離は明らかに近づいている。包囲網は一時的に組み直しを余儀なくされていたが、それでもこちらが攻め入っていたのだ。だが、後背を襲われたことで、形勢は一気に逆転した。連合王国の包囲網は今や、マンシュタイン将軍の手により、挟撃の危機に陥っている。起死回生の機会も、もはや完全に潰えた。

 大きなため息をつき、ブレナム公は副官に新たな指示を飛ばす。

「男爵。背後のシャーク隊の右翼側に、間隔が空きすぎている部分があります。敵右翼端から二両目と三両目の間です。そこに火力を集中しながら突っ込み、突破口を開きなさい」

『なぜ後ろに攻撃をっ? 目標戦車は正面ですっ!』

「分かりませんか? 撤退だ」

 息を呑む声が聞こえる。

「私とて無念ではあるが、戦闘データは十分に取れました。現時点で、及第点は取れたでしょう」

『ですがっ』

「ここで戦闘を継続しても無意味です。鹵獲は現在の戦力と状況では不可能。これ以上は、いらぬ損害を出すだけだ。及第点から赤点に転落することだけは避けなければ」

 戦闘が始まる前から予見していた最悪のパターンに接し、師団長は潔く決断を下した。彼は、アフリカ戦線にて乗機を撃破され重傷を負い、以後、ドーバー海峡の彼方の病室から、マンシュタイン将軍率いる第七装甲師団に弄ばされる自国軍を、歯ぎしりしながら見守っていたのだ。このプロイスが生んだ銀行家上がりの名将を打倒するべく、戦中より必死に研究を重ね、この戦闘に挑んでいた。負傷が癒えた暁に機会あれば、彼の祖先が成した大陸での軍事的栄光を、自らも掴むべく……。


 ――不意に、研ぎ澄まされた軍人の直感が、命の危機を察知した。


 冷静なアイアン公爵・デュークが、本能的に叫ぶ。

「緊急回避!!」

 教練書にはない咄嗟の造語に、訓練された操縦手は敏感に反応した。車体を小刻みに揺らしながら、大きく後退する。どう操縦したのか、本人にも分からない挙動だ。一秒後、轟音とともに凄まじい衝撃が砲塔を襲う。そして、背後で七両目が爆轟を上げた。

 酷い眩暈にふらつき、公爵は咄嗟に手についたものを握って、深呼吸を繰り返す。心音が耳元で鳴り響く。だが、それを突き破る砲手の上擦った悲鳴が聞こえた。

「ほ、砲身が……なくなりました!」

 ――にわかには理解しかねる報告だ。頭を左右に振り、公はたった今撃破された七両目をキューポラの覗き窓越しに見やる。爆発炎上するブレナム戦車の前に、さながらエクスカリバーの如く、一本の17ポンド砲が突き刺さっていた。

 抜いた者が王になるはずの剣は、深々と泥に刺さり、その母国の伝説をあざ笑っているようだった。

 公爵は顔を両手で覆い、深く嘆息する。それから無線機を掴み取り、攻撃的な副官に呼び掛けた。

「男爵。もう突破口は開けたのだろうな? ブレナム公爵家の名を地に落としたい野心があるのなら、開かなくても良いですが?」

 連合王国らしい強烈な皮肉の効いた言葉に、一斉にオリバー戦車が背後のシャーク隊へピンポイントに攻撃する。公の見立て通り、微妙に空いた隊列の隙間は砲火の集中によりさらに広がり、その穴に俊足のオリバー巡航戦車隊が迷わず突っ込んでいく。

「皮肉や嫌味の才まで負けてはたまりません。さあ、これ以上出血を強いられる前に、撤退を」

 公爵の冷たい声とともに、鈍足のブレナム重歩兵戦車は、あらん限りのスピードで走り去る。スコーピオンはぎりぎりで八発目を放ち、しんがりの八両目を炎上させた。




『敵が撤退してゆきます』

 シャーク隊を率いるロベルト青年から通信が入る。

『追いますか?』

 フレッドは即座に返答した。

「追撃不要。我々の本来の目的は、ダッハウブルクの奪還にある。もう寄り道は十分だろう」

 スコーピオン車内に複数のため息が漏れる。緊張から解き放たれた安堵の息だ。

「やっと整備ね」

「そういうことだな」

 疲労困憊といったマリーの吐息交じりの声にうなずく。無線越しに9両のシャークを率いた青年の、安心に浸った嘆息も聞こえてくる。

「一応聞くが、各車被害は?」

 若干の沈黙の後、九人から無事の報告を受けた。最後に火力が集中したシャーク隊の右翼側もだ。フレッドは今夜一番のため息をついた。

 と、そこへ悔しそうな砲手の独白が届く。

『……見たことのない回避だった』

「あれには驚いたな。撃つ前に察した、という挙動だった。シモンの殺気が溢れすぎてたんじゃないか?」

 冗談めいて言うと、唸り声と笑い声が入り乱れる。

『ですが、砲身を吹き飛ばした上で、他の一両を撃破したのです。一発で二両を無力化したのですから、やはりシモンさんは凄腕なのです!』

『……スッキリしない』

 なかなかに不服そうな声音に、ニメールがえぇ……と戸惑う。フレッドは地図でウルム市街までの道順を確認しつつ、同情を示す。

「分かるぞ、シモン。おそらく撃破し損ねたのは、アフリカでもやり損ねた相手だからだろう?」

 無言がこたえる。マリーとカールは何かを察したように息を呑む。ニメールだけはよく理解できていない様子だ。

「シモンの百発百中の砲に二度狙われて生き残るとは、ブレナム公アーサー・ウェルズリー将軍は、大層悪運が強いようだ。まあ、あれが本当に公爵の乗機だったのかは、定かではないがな」

『アフリカで公爵を戦線離脱させたのは、シモンさんだったのですか?!』

『……自慢にもならない。悪運の強弱は知らないが、やり損ねたのだから』

「――それより、悪運強いと言えば、貴殿も他人のことは言えまい」

 無線を聞いていたカールが、フレッドの方を振り向いて目を細めた。

「スナイパーライフルの命中弾を胸に受けながら無事など、人をやめたのか?」

「ほんとよ! びっくりしたんだからね!」

 足元から叫び声があがってくる。言われて、フレッドは胸元をまさぐった。それから一つ息をつく。

「まあ、不思議な運命の巡り合わせ……そういうものは、あるのかもしれんな」

「どうゆうこと?」

 しかし、マリーの疑問を無視して、操縦手に地図を押し付ける。

「ウルムの街までの経路は? 確認済みか? 無駄にできる時間はもうないぞ。マリー、ウルムまでの燃料はあるな?」

「燃料? ええ、あるわよ」

大公グロース・ヘルツォーク、準備は?」

「整っている」

「よし。じゃあ再度ウルムに戻ろう。スコーピオンが先頭、シャーク隊は後に続け。敵は撤退したが、各員周囲の警戒は怠らないこと」

 何かをごまかすように矢継ぎ早に指示し、了解の回答がくる。車長は黒いパンツァージャケットの襟を正すと、一言命じた。

Bewegungベヴェーグング(出発)」

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