第20話 大蠍vs.軍隊蟻

「さあ、お出ましだ!」

 ブレナム重歩兵戦車と、オリバー巡航戦車が、林道上で車体ごと旋回する。スコーピオンに照準を合わせると、雨あられと鋼鉄の弾丸を次々叩き込んでくる。その砲弾の直径は野球ボールよりも巨大だが、並みの戦艦を凌ぐこの超重戦車の正面装甲には小気味良く弾かれ、軽快なカスタネットのような音を奏でるだけだ。

『装填完了!』

Feuerフォイエル!(撃て!)」

 歩兵がまだ密集しているトラックの手前に榴弾が打ち込まれる。巨大な一個の砲弾は、火を噴いて無数に炸裂し、辺りの兵士を千々に吹き飛ばした。追い打ちをかけるように、シモンが砲同軸機銃のペダルを踏む。直径7ミリを超える銃弾が豪雨のように叩きつける。歩兵たちが絶叫し、血しぶきを上げながら倒れ込む。

『装填完了!』

 Feuer! の声と同時に、また榴弾が弾け飛ぶ。鉄の暴風雨に翻弄されながら、それでも敵歩兵部隊は数に物言わせ着実に距離を詰めてくる。その後ろからは、戦車部隊も林道を下りてゆっくりと前進を始め、崖を背にするスコーピオンを半包囲にかかる。

 次弾の装填が完了するまで、シモンが必死に戦車砲の根元についた機関銃一丁で対抗するが、とても追いつかない。フレッドが頭を掻きむしって車体側に叫ぶ。

「マリー! 近接防御兵器はあるのか?!」

「Sミーネがあるわ! 後部席左右と、砲塔右側の三つ!」

「当たるか?!」

「今、敵の歩兵どこいんのよ? とりあえず、射角は左右60度ずつ、仰角は40度までとれるわ!」

「上等! あと、機関銃は!?」

「今撃ってる同軸機銃と、フレッドの背後にない? 車長用のが」

 驚いて振り返ると、確かに壁面に短機関銃が備え付けられていた。手を伸ばしながら眉をひそめる。

「これを、車外に出て撃てと?」

「しょうがないじゃない! 車載機銃は砲塔側だけだもの! だいたいスコーピオンって本当は試作戦車なのよ? こんな本気の戦闘に使われるなんて、設計してる時は思いもしなかったわ!」

「こいつで出るって息巻いたの、お前さんだったよな……?」

 ええっと、まあ、そ、そういう話もあったわね、と女史は口笛を吹きならす。苛つきながら嘆息すると、若干裏返った声が上がってくる。

「ほらまあ、あれよ! „Glücklich ist, wer vergißt, Was doch nicht zu ändern ist!(どうにもならないことを、忘れてしまえる人は幸せ!)“」

 故郷を代表するオペレッタの歌詞を、節をつけて口ずさむ。すると、渋い表情で固まっていたフレッドの面に、ふっと苦い笑顔が浮かんだ。

「まったくヴィーン人の刹那主義には呆れたものだ」

「これが明るく生きるこつよ。どんな絶望的な時代でもね。たとえ千年帝国が滅びようが、たとえ戦争に負けようが……」

「それでも、弟のことは諦めんのだな」

「当然じゃない! フリッツは生きてる。まだどうにかなるわ!」

 いつもなら皮肉の一つや二つつきたいところだが、敵歩兵と戦車部隊に包囲されつつある切迫した状況では、さすがに時間が惜しい。車長は壁面から機関銃を剥ぎ取ると、頭上のハッチに手をかけた。

「マリー!」

 Wasヴァスッ?!(なにっ?!) と足元から叫び返される。

「上に来い。左の近接防御兵器を任せる。大公グロース・ヘルツォークは右を」

「フレッドはどうするの?」

 はしごを登ってきて、顔だけ覗かせる。そして、車長席の上に立つ将軍を見上げた。

「近接防御兵器だけでは不十分だ。そのための短機関銃だろ?」

 そう言うと、左手でハッチを押し上げ、静かにスライドさせた。ひんやりとした雨上がりの夏の夜風が吹き込んでくる。

「ちょっと! 危険すぎるわよ! フレッドが死んだらどうするの?!」

「どのみちこうでもしなければ、全員敵の餌食になる。このスコーピオンもな」

 マリーの叫び声を足の裏に感じながら、彼は車外に上半身をさらし、ふわりと後部席の天板に腰掛けた。


 はるか前方では、ごついアーモンド形の砲塔がゆっくり旋回しながら、機銃の閃光を激しく明滅させている。夜風に乗って、敵の戦車砲の砲撃音と血を噴く歩兵たちの悲鳴が聞こえてくる。その細かな音の集まりを、雷鳴のような14センチ砲の砲撃音が打ち砕いた。耳栓もヘッドホンもしていないフレッドの鼓膜から、一瞬全ての音が遠ざかる。砲の先端、大きなマズルブレーキから、真っ赤なガスが四重に横へ噴き出す。網膜を焼き尽くすような爆炎に目を細めた瞬間、激しい震動とともに巨大な榴弾が炸裂した。歩兵が千々に吹き飛び、ようやく断末魔が耳に届く。

 目を見開き、短機関銃を構える。そして、一番近づいていた一団を狙った。

 深呼吸の後、引き金を引く。


 凶悪な砲塔にばかり気を取られていた敵歩兵の小隊長が、後ろだっ! と叫び血だるまになる。動揺する部下たちに向けて、弾を吐き続ける銃口を流れるように動かす。対戦車ロケットランチャーを担いだ歩兵が、フレッドを凝視する。しかし、目が合った刹那、機関銃に貫かれ後ろへ倒れ込む。駆け寄る歩兵たちも、次々短機関銃の餌食となる。

 手元の機関銃の音が止む。慌てて空になった弾倉を引き抜き、交換する。再装填中であることに気づいた一団が、今がチャンスとフレッド目掛けて小銃を構える。しかし、同時に後部席の左右から、発砲音が鳴り響いた。

 突然の音に、車長は驚き肩をすくめる。続いて鳴った炸裂音と断末魔に、目までつむった。はっとして目を開け周囲を見渡すと、先ほどまで自分を狙っていた敵歩兵の数個小隊が、泥の上で亡骸となっていた。

「いいぞ! もっとだ!」

 マリーとカールに発破をかける。立て続けに左右から、影が飛び出す。そして、敵歩兵集団の頭上までくると炸裂し、鉄の散弾を天からばら撒いた。

跳躍S地雷マインだ! 上から来るぞ!」

 下士官は叫ぶと同時に、鉄帽の隙間から血を垂れ流して倒れる。転がった鉄兜には穴が空き、脳天には無数の鉄の刃が突き刺さっていた。これこそが、プロイス戦車の歩兵に対する最後の砦、空中から広範囲に散弾をばら撒く近接防御兵器である。真っ黒い巨体に凶悪な攻撃力と傾斜した重装甲を備え、微動だに移動せず、攻め落とそうと迫りくる歩兵をひたすらなぎ倒し、敵弾を弾き続ける――この異様な様は、敵に対戦車戦ではなく、攻城戦をやっているのかと錯覚させるほどであった。

 しかし、連合王国側は、すでに多量の出血を強いられながらも、歩兵をますます接近させ、戦車隊の半包囲の幅を狭めていく。

 対戦車ロケットを肩に構えた歩兵が、左右それぞれに現れる。見つけたフレッドは、装填を終えた機関銃を手に、どちらを狙うか逡巡してしまう。その瞬間に、右の歩兵に対しては14センチ口径の榴弾が炸裂し、左の兵士には跳躍S地雷ミーネの散弾が降り注いだ。覗き窓から確認したマリーの歓声が聞こえる。車長は首を振って、再び迫りくる敵を見据えた。

 深夜の森に、敵の言葉がこだまする。その口々の叫びを塗りつぶすように、無数の戦車砲がけたたましくいななく。鋭い砲弾は、一部は地面に吸い込まれ、一部は背後の崖に突き刺さり、残りは頑強なスコーピオンの装甲に弾かれる。その中に身をさらし、フレッドは短機関銃を腕に抱え込む。

 鋭い視線で見回す。刹那、右手にロケットランチャーを構える歩兵を捉える。すぐさま銃口を向け、浅い一呼吸を挟み引き金を引く。今まさに発射しようとしていた対戦車ロケットは、天を仰ぎ、あらぬ方向へ飛び去ってゆく。担いでいた歩兵は、後ろへ倒れ込み、虚空での大爆発を虚ろな目で見やる。火炎に照らされる青白い顔は、まだ青年と言うべきものだ。車長は思わず、その光景に目を閉ざした。

 しかし、マリーの絶叫で覚醒する。

「左! 来るわよ!!」

 車長用のキューポラは、後部席の右側についており、左には一定の死角がある。仮に目を見開いていたとしても、これは見逃していただろう。後部席天板に寝そべるようにして、左下を見やる。すると、ちょうど対戦車ロケットの引き金を引く敵歩兵の姿が目に入った。

「間に合わないわよ!?」

 近接防御兵器は直前に一発撃ったばかりである。細長い対戦車兵器が爆炎を噴きながら、発射される。今更機関銃を撃っても無意味だ。車長はとっさに十字を切った。

 炎の尾を長く引きながら、60ミリ口径の成形炸薬弾が迫ってくる。そして、車体側面に命中した。鋼鉄のサイドスカートを貫いて高温のガスが吹き荒れる。すぐさま、マリーは操縦席側面の計器に目を通す。

「ボイラーと、一番から四番シリンダー、全て圧力安定。水位異常なし。電圧正常。まったく損害なし!」

「空間装甲に感謝だな!」

 心の底から張り叫ぶ。着弾した対戦車ロケットの矢のようなガス流は、サイドスカートと本体装甲の間の空間で勢いを削がれ、スコーピオンの心臓部には一切届かず終いだった。天板に腹ばいになったまま、フレッドは短機関銃で憎きバズーカの射手を撃ち殺す。

「しのげ! しのぎ切れ!」

 叫ぶ声が、14センチ砲の砲撃音にかき消される。車長は半ば聴覚を失いながら、四人の乗員を励ます。

「歩兵の攻撃はもうじき限界だ! しのげ! 耐えろ!」

 砲塔が重々しく左に振られながら、機銃を放ち続ける。Sミーネが宙を舞い、数を減らしてきた歩兵の頭上に襲い掛かる。恐れ知らずの歩兵が倒れるごとに、ぬかるんだ地面に無数の血がにじむ。

 地獄のような光景に、新兵のような嘔吐感を覚えながら、フレッドは大音声で乗員を励ます。腹に力をこめ、めいっぱい叫ぶ。そうやって無理やり、煮えくり返る胃液を腹の底に押し留める。冷たい汗を滝のように流しながら機関銃を振り回す。奮戦する将軍を――闇の奥から一つの冷静な瞳が見つめていた。

 泥に這いつくばり、数多の火炎が照らす敵将の青い顔を確認する。機械じみた視線が、スコープのガラス超しにフレッドの胸部をとらえる。数度深呼吸し、闇にまぎれた狙撃手は、音もなく引き金を引いた。

 連合王国製のスナイパーライフルが小さく火を噴く。細長い弾丸が、超音速で飛翔する。しかしその音は、火山の噴火のような戦車砲の連打の中では、蚊の鳴くごとし。誰にも悟られることなく、蜂の毒針のように一直線にフレッドの命を奪いに行く。

 金髪の将軍は気付かない。目前に見えるロケットランチャーを持つ歩兵こそ、最大の脅威なのだ。もう五年以上戦場に身をさらしてきた彼からすれば、狙撃手の存在は当然想定されていただろう。それでも、生死の本能は、合理的な判断をはるかに超越してしまうことがある。一瞬先の死を見ても、一秒先の死は見落とすのだ。

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