第18話 不毛な取り合い?

 何なのです? とニメールが興味津々に問う。

「フリッツだ」

 ニメールの方を向いて短くこたえ、すぐにマリーの方へ向き直る。今度ははっきりと、重みを持って――。

「フリードリヒ・ヨアヒム・ピエヒ。俺が呼び寄せた。運命的な出会いを感じて。もちろんキューピッドもいたがな」

 そう言って一瞬シモンを見やるが、戦友は車長の話に興味を失っており、ぼうっと逞しい14センチ砲を見上げていた。

 姉が両腕で上半身を掻き抱く。

「ちょっと……弟を汚さないでくれる? そっちの気はお姉ちゃん、許さないわよ」

「そういうんじゃねえよ! ああ、俺のたとえが不味かったな!」

 慌てて否定するが、カールの目には疑心暗鬼の色が灯り、ニメールの瞳にはクエスチョンマークが浮かんでいた。

「要は欠員補充の必要があって、優秀と聞いたから、ぜひ指揮下にと上層部に頼み込んだんだ。本来彼の独立重戦車大隊は政府親衛隊で国防軍とは別所属だったが、無理を言って組み込んでもらった。まあ遠い昔の話だ」

 最後は皮肉っぽく言い捨てて口を閉ざす。しばらく缶詰の中を見つめると、それを裏返して残りの豆をすべてかき込んだ。大きく開けた口から冷たい雨水が一緒に流れ込む。ぱさぱさの豆が多少は飲み込みやすくなった。

「マリー、大公グロース・ヘルツォーク。フルコースを楽しんでる場合じゃない。早く食べ切れ」

 厳しい口調で呑気にもぐもぐやる天然と貴族を煽る。シモンは完全に待ちくたびれ、車体によじ登っていた。

「あ、シモンさん! 登る前に、わたしを上にあげてください! 全然届かないのです!」

 2メートルの高さがある車体の下で、ニメールが飛び跳ねる。二つ結びもかわいらしく何度もジャンプし、一六歳の少女相応の小柄な体……の割によく実った二つの果実は激しく上下する。思わず目を吸い寄せられたフレッドだったが、技師の咳払いで、はと視線を逸らした。

「この節操なし」

「何のことだ」

「弟に手を出したと思ったら、今度はこんな年端もいかない少女に食指を伸ばすなんて!」

「待て。フリッツの件は誤解だと――」

「あ、そう。本命はニメールちゃんなのね?」

「な訳あるか。未成年は対象外だ」

「……じゃあやっぱりフリッツじゃない」

「なぜそうなる……」

「渡さないからね! 私の大切な弟なんだから!」

「渡すも何ももう死んだ……」

「死んでないわよ!」

 カールは缶詰の魚を頬張り、距離を取って不毛なやり取りを見つめている。その間に、シモンは即座に泥の中へ飛び下り、スマートにスカートを履いたニメールを車体の上へ押し上げた。Dankeとはにかまれても、かすかにうなずくだけである。彼の頭の中は、すでに砲撃のことでいっぱいだ。

 しばらく口撃戦を繰り広げていた将軍と技師であったが、フレッドの方が砲塔側の二人が乗り込んだことに気づき、カールとマリーを急かす。

大公グロース・ヘルツォーク、食べ終わったのなら早く乗れ。マリーはまだ食ってるのか? しゃべる暇あったら、とっとと飲み込め」

 眉間に皺を寄せてまくし立てると、カールは反射的に背筋を正し大慌てで後部席へ這い上がる。マリーは目を白黒させながら、缶詰を逆さにして喉奥へ流し込みむせ返る。そんな姿を尻目にフレッドは、直径1メートルある転輪の半ばへ右足をかけた。

 死に物狂いでキャベツを飲み下すと、女史は不意にいたずらな笑みを浮かべ、からかい半分に年下の将校に声をかけた。

「ねえ、フレッド? 私も登るの手伝ってくれないかしら?」

 フレッドが半身上がりかけた姿で振り返る。

「馬鹿言うな……」

 肩をすくめて吐き捨てる。ヴィーンの女史は、小悪魔ちっくにちろと舌を出してみせたが、プロイス軍人は真面目腐った表情で右ひざを叩いた。

「早く来い。乗せてやるから」

 Wasヴァス?(え?) と言って刹那固まる。そんな彼女を怪訝そうに見つめ、車長は首を傾げた。

「なんだ。もう左腕の傷は大丈夫なのか?」

 そう訊かれると、不思議なもので、突然痛みを思い出す。雨水が巻き直した布巾を貫いて銃創に沁みるようで、思わず傷口を掴んだ。浅い息が引き結んだ口から漏れ出す。

「お、お願いするわ」

「分かってるから早く来い」

 あごで右ひざを指し、再び踏み台にするよう促す。

 マリーは顔を背け、二の足を踏む。が、どうした? と問われると、その場で足踏みを続けるわけにもいかず、腕の傷も痛むし、泥をはね上げながら駆け寄った。そして、フレッドの太ももに足をかけ、2メートルある車体の上へと右腕を伸ばす。

「う、上見ないでよ!?」

「……お前さん、スカートじゃないだろ」

「ああ、そうだったわね」

 とぼけたやり取りをしながら、女史は無事に後部席へ這い上がり消えてゆく。フレッドは、小雨で、泥だらけになったズボンを少しもみ洗いしてみてから、肩を落として這い登る。


 雨は次第に降りやみ、夜霧の中、五人は敵の大軍を音もなく待った。

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