第16話 戦場に女神はいなくとも……
『Skorpion, von Robert. Nr.2 hat einen Motorschaden. Alle Panzer halten, und wir reparieren den Motor. Kommen(スコーピオン、こちらロベルト。二号車にエンジントラブル発生。全車停止し、修理を行います。送れ)』
『Robert, von Skorpion. Nochmal? Was ist mit der Panne des Nr.3 passiert? Kommen(ロベルト、こちらスコーピオン。またか? 三号車のトラブルはどうなった? 送れ)』
『Nr.3 repariert. Kommen(三号車は修理済み。送れ)』
『Hast du eine Tankstelle gefunden? Kommen(給油施設は見つかったのか? 送れ)』
『Noch nicht. Kommen(まだです。送れ)』
『Schnell! Skorpion kann nicht kämpfen! Vom Schlamm getötet. Kommen(急げ! スコーピオンは戦えないんだぞ! 泥に殺されてな。送れ)』
『Jawohl. Sie sind unter der Klippe, oder? Kommen(了解です。例の崖下にいますよね? 送れ)』
『Ja. An der Forststraße……Warte mal, Welche Frequenz ist es jetzt?(ああ、林道の脇だ……ちょっと待て、今どの周波数だ?)――Scheiße! Stell eine andere Frequenz als die nächste ein! Wie werden abgefangen! Ende(くそっ! 次から違う周波数にしろ! 傍受されるぞ! 通信終わり)』
雑音混じりの無線の音が途絶え、連合王国軍側の仮指揮所に、黙考の一呼吸が下りる。
否一番に静けさを破ったのは、筋肉質な男爵だった。
「今こそ攻撃の好機っ! シャーク中戦車九両の分離は、偵察結果と合致していますっ! 奴らが給油施設を探して彷徨っている間に、孤立した目標を、“スコーピオン”を全力で叩けば勝利は確実ですっ!」
ご命令を! と将軍を急かす。机の下ではすぐに駆け出せるよう、アキレス腱を伸ばし始める。
しかし、表情を変えず黙って思考に沈んでいた
「確かに偵察結果と、傍受された内容は合致しています。おそらくかの超重戦車が――林道脇の崖下で孤立しているのも間違いないでしょう。こちらは未発見ですが、地図をたどれば、位置はすぐに知れる。問題は、全てが明らか過ぎるということです」
「いいことではありませんかっ、相手の
副官の威勢の良いだじゃれに、何人かが噴き出す。しかし、師団長は呆れて嘆息した。
「男爵。君のジョークのセンスがパッシェンデール並みに酷いことは一度置いておこう。ですが、無線が傍受できたことを、本当に相手のミスだと思っているのですか?」
「当然ですっ! ミスでなく、わざとだとしたら、自ら孤立していることを明かすなど、愚の極みっ! 到底考えられませんっ! これは勝利の女神が我らに味方したと考える以外ないでしょうっ!」
が、北アフリカの地獄を味わった将軍は苦笑して首を左右へ振った。
「戦場に悪魔はいても、女神はいないのですよ。これは敗北主義者の戯言ではなく、将軍としての現実主義だ。そして、悪魔祓いは指揮官の重要な仕事の一つです」
悪魔祓い? と、副官が眉根を寄せる。公爵の高度に文学的な表現は、男爵の筋肉質な……ああ、筋肉質な男爵の脳みそには、少々難しかったようだ。
「悪魔祓い――要は、リスクヘッジです」
ため息交じりに解説をしてやり、紅茶を飲み干す。陶磁のカップがソーサーに置かれ、無機質な音を立てた。
「これは明確にマンシュタイン将軍の罠です。動けば負ける」
力強く断言する。
だが、副官の不満は増す一方だ。
「閣下っ! 今動かねば、国民や兵士たちは落胆しますっ! 士気の低下は敗北より恐ろしいことですっ! 戦わず逃げ帰ってきた将軍を、称賛の声で迎える国は、連合王国以外にもありますまいっ! 閣下、今ですっ! 今こそ、攻撃の時ですっ!!」
顔を赤らめ、拳を振りかざして迫ってくる。閉口して副官を見つめた後、周りを見やれば、取り巻きの瞳も皆、血の色に染まっていた。
――戦場に女神はいないが、悪魔はいる。そう思ってはいましたが、本物の悪魔と相対することになるとは……。私の部下の心は、いや銃後の者の意見さえ、完全にマンシュタインというサタンに掌握されてしまった。
背筋に人生で一番の悪寒を感じ、全身を一度震わせる。が、直後、鷲鼻の将軍は微笑をたたえた。
――これはおもしろい夜になりそうだ。
また体に震えが走る。しかし、今度は寒気でなく、紅茶のような熱さがほとばしったためであった。
「分かりました」
ようやく下された決断に、おおっと歓声が上がる。ところが、すぐには出動命令は出ない。
「増援の到着を待ってから出撃します」
「増援?」
副官が眉根を寄せる。と、将軍はため息をついた。
「私が撤退だけを考えていたとでも? あらゆる可能性を想定し、良く準備する者こそ、最良の将なのです」
落ち着き払って言うと、また静かにティーカップを持ち上げる。少し冷めた紅茶が、たぎる心にかかり、蒸気と化した……。白い霧に包まれながら、プロイスの真夏の夜が始まろうとしている。
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