第12話 将軍の失望
シャーク中戦車を各々整備していたレジスタンスたちも、異様な空気を察してどこか落ち着きを失っている。しかし、フレッドは動揺することなく、約束した時間通りに客が来ただけ、とさも当然のように落ち着き払っていた。土砂降りの雨音の中から聞こえてきていた敵戦車の耳障りな足音が消える。遠ざかったのではない。その場に止まったのだ。どの場かと言えば、マンシュタインらが身を潜める教会の廃墟の周りである。
一斉に砲撃される――次の瞬間、轟音に押し潰されることを覚悟し、震え出すレジスタンス。マリーもハンマーを握りしめながら、周囲を狼狽した様子で見まわしている。シモンは相変わらず無言の能面だが、カールとニメールは真剣な眼差しで将軍を見つめていた。そのフレッドは静かに建物の入り口を見据えている。
雨が煙る向こうから、二人の人影が近づいてくる。ぼんやりした影が一定の速度で大きくなってきて、滝のような雨の中から姿を現した。
雨衣の水を滴らせながら、二人は敬礼をした。額に添えられた手は、手のひらが前を向いている。
「We are Britick soldiers! We have a message for your commander. Where is your commander?!」
雨によくお似合いな音だ、と内心皮肉って、フレッドは自ら進み出た。
「
ブリティック連合王国の兵士二人が再び敬礼し、母国語でメッセージを伝える。
「アルフレッド・マンシュタイン元少将。あなた方は完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて、投降しなさい。これ以上の流血なく事態が打開されることを、強く望みます」
「流血なく? 随分と心根の優しそうなことで。それが本当なら喜んで手を取りたいが……握手すると見せかけて張り手をするのが、お前さんたち連合王国の常套手段だ。今更そんな手は食わん」
お得意のアイロニックな毒舌で返す。が、さすがに本場は一味違う。連合王国兵士は真面目腐った表情で吐き捨てた。
「舌が肥えているはずの我々でも、“最後の割譲要求”には騙されたがね」
一本取られたと肩をすくめる。しかし、突然目を険しくすると、一人の耳元に寄って言い放つ。
「バルフォアの件、よもや忘れたとは言わせまいぞ」
その声はあまりに低く、片方の兵士の、その片耳にしか入らなかっただろう。しかし、突然酷く驚いた様子で叫ぶので、取り残されたバディは思わず半歩後ずさった。けれども、フレッドは飄々と笑い飛ばす。
「何。二枚舌が三枚に進化した瞬間の話だ。君らの外交が最も成功を収めた時だろう? そんな悪魔の舌を持つやつの約束なぞ、到底信じるわけにはいかんということだ」
連合王国の二人が互いに顔を見合わせる。そうして一つうなずくと、再びフレッドに向き直った。
「我々が何両で諸君らを取り囲んでいるか、理解しているのか?」
「……さあ? ざっと十両程度か?」
「三十両だ」
「三十両?」
唖然とした顔で口を開ける。
「そうだ、三十両だ」
対して連合王国の兵は、将軍を見下ろさんと背筋をますます伸ばした。
フレッドは困ったとき、髪をかき上げ、頭頂部を掻く癖がある。戦友のシモンは幾度となく見慣れてきた仕草だが、彼の静かな黒目に同じように右手が動いて見えた。ニメールが驚き、息をのむ。マリーがもの言いたげにハンマーを握る手を震わせる。フレッドはそんな背中の反応など気にせず、しばらくぽりぽりと頭を掻く。それからゆっくりと腕をおろし、深くため息をついた。
「三十両ねえ……」
普段は鉄板のように真っ直ぐな背が、丸く縮まる。
「先ほどからそう言っているだろう」
もはや癖を知らなくとも狼狽していると分かる明らさまな反応に、兵士二人はほくそ笑む。
「安心したまえ。我々の将軍は鬼ではない。十両しかない相手を慈悲もなく破って、功を誇れるお方ではないからな。降伏するか否か、回答を二時間待つ。時間になったら、また聞きに来る。よくよく考えておくことだ」
余裕たっぷりに言い残し、最後は律義に敬礼をして帰ってゆく。フレッドは雨の向こうに消えていく姿を、うつむき加減に見送った。
煙る景色の向こうには、三倍の数の戦車砲がこちらに狙いを定めている……。冷たく湿った風が、廃墟内に流れ込んできた。
合羽が散り散りに引き裂かれそうな嵐の中、使者の役を果たした二人は戻ってきた。
オリバー巡航戦車の傍らに立つ、大柄な副官に敬礼し首尾を報告する。
「マンシュタイン将軍は完全に怯んでおります。彼我の戦力差が三倍であることを、繰り返し嘆息していました」
「二時間後、泣きべそかいて降伏する姿が容易に目に浮かびます」
副官は豪快に口を開けて笑った。その大きな笑い声たるや、雷鳴と勘違いしそうなほどである。
「それは愉快っ! 実にいいっ! いっそすぐにでも急襲してしまえば、勝てるに違いないっ!」
ぴちぴちの雨合羽で、暴風雨の中、突然準備体操を始める。たぎる血を抑えきれないようだ。
「どうでしょう、閣下っ! 我ら
天をも破らん大声で、壁のように大きな歩兵戦車の上に座る上官に呼びかける。期待に満ちた目で見つめ続けると、静かな声がこたえた。
「建物の正面に、さらに五両移動させましょう。ブレナム歩兵戦車を」
「それは……突入の支援と言うことですかっ?!」
「いえ、継続して包囲です」
打ち付ける雨よりも冷たい声が降ってくる。副官はむっと眉根を寄せて、不服そうに叫んだ。
「なぜですっ?! 敵の将が怯んでいる今こそ、最大の攻勢のチャンスでしょうっ!」
呆れたように水色の瞳が見下ろしてくる。
「我々の目的は敵の撃滅ではない。生け捕りです。男爵は悩みが少なそうで、結構なことだ」
物静かだが、ゆっくりと出てくる辛辣な言葉には、有無を言わさぬ迫力がある。中世のハイランドの戦士のように猛り狂っていた副官は、思わず気圧され沈黙した。
それを見下ろすと、嘆息して独り言のように囁いた。
「やはりマンシュタイン将軍は名将だ。思った通りの手を、素早く打ってきましたね。ですが……」
敵が立てこもる廃墟を真っ直ぐ見つめる。
「まだまだ三流俳優だ。シェイクスピアの舞台には立てますまい」
刹那、稲光が落ち、特徴的な鷲鼻の影絵が浮かび上がった。
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