第13話 鉄公爵
フレッドは雨の降りしきる外を、じっと立ち尽くして見つめていた。使者たちの去った後を、不気味に静まり返ったまま。稲光が一瞬、外を照らすが、もう人影はまったく見えない。将軍は背筋を伸ばし、中へ体ごと振り返った。
緊張した面持ちのレジスタンスらが、痩せこけた元少将の顔を見上げてくる。カールが名将の土気色の表情に、落胆した様子で肩を落とす。ニメールがぱくぱくと口を開け閉めし、一度引き結んで唾を飲み込む。それから意を決して、問おうとする。
「あの……」
「
ところが、それを遮って、ヴィーン訛りの巻き舌が飛んだ。フレッドはびくりと肩をすくめる。それから、ゆっくり灰色の瞳で、上気した技師を見やる。スパナを握る拳は震え、顔はほのかに赤く、スコーピオンの蒸気機関のように湯気を噴き出している。
「
まくし立て、肩で息をする。皆が黙って将軍を見つめる。
……すると、英雄の口から低い笑いが漏れた。レジスタンスらは唖然として互いに目を見合わせる。その間にも笑い声は続き、次第に大きくなって、ついには口を大きく開けて笑い出す。
「フ、フレッド……?」
一歩後ずさりながら心配そうにマリーが呟くと、指揮官は深呼吸して目の端の涙を指先でぬぐった。
「いやあ、気持ちいいなあ。ここまですっかり騙せると。敵の使者も、さぞ大喜びで報告してるだろう。“プロイス陸軍最高の頭脳”“西部戦線の覇者”アルフレッド・マンシュタインが、三倍の戦力に恐れおののき、戦意を喪失していたとなあ!」
技師は目をぱちくりさせる。唯一、感嘆の声をあげたのは、うら若きニメールであった。
「さすがなのです!」
「え、なに、どういうこと?」
理解がまったく追い付いていないマリーは、困惑して周囲を見回す。それを見るに見かねて、ずっと眉一つ動かさなかったシモンが一言発した。
「……敵を騙すには、まず味方から」
「まあ、そんなところと言っておくか」
それでも、大半のレジスタンスは整備の手を止め、呆然と少将を見つめている。それに眉をひそめると、元師団長の威厳を発揮し大音声で号令を発した。
「なぜ手を止めている?! 敵は二時間待ってくれるそうだ。だが、人を待たせては良くない。一時間半で準備し、出撃するぞ!!」
ようやく飲み込み、そこら中から
およそ一時間かけて最低限の整備を終え、各車乗員は小休止を得る。休息とか自由時間とか言えば聞こえは良いが、要は死ぬかもしれない大舞台前の心の準備の時間だ。硬い表情で祈りをささげる者、家族の写真を眺める者、いつもと変わらぬ日常を装って必死に談笑にふける者など、様子は様々だ。
そんな異様な空間の真ん中で、フレッドは偵察結果を書き込んだ周囲の略図を睨んでいた。背は板のように真っ直ぐ伸び、眉間に皺をよせ、そのちょうど上あたりを人差し指で神経質に掻いている。指先が金髪の前髪に触れ、白いふけがふわりと台上の地図に舞い落ちた。それを慌てて払いのけると嘆息し、手を腰に当てる。
「正面にブレナム歩兵戦車が十両。その両脇にオリバー巡航戦車が五両ずつ。そして、反対の裏側にはオリバーがもう十両。しめて三十両による包囲だ、たしかにな。わざと包囲にゆるい部分まで作って教科書通りだ」
「だけど、オリバーは75ミリ砲でしょ? 真っ直ぐ出て行っても、まったく問題ないわ!」
「だが、フロイライン。シャーク中戦車の側背面は貫通される危険性がある」
カールが丁寧な口調で指摘する。
「その通りだ。それにブレナムの17ポンド砲なら、正面からでも簡単に撃破できる。何しろあのティーゲル・アインスを破壊できる性能の持ち主だからな」
「スコーピオンの装甲は耐えられるのです……?」
「余裕よ! 背面だって大丈夫じゃない?」
「根拠を示せ、根拠を」
にわかに信じがたく車長が険しい顔を向ける。
「えーと、後部席背面が200ミリ厚の傾斜30度、その下の車体背面が120ミリの傾斜30度ね」
つまり……? と考え込み、文系の車長は理系の砲手を見やる。と、戦友はすぐに口を開き助け舟を出す。
「……後部席側が実質230ミリ厚相当、車体側が140ミリ厚相当。対して、17ポンド砲は、平均貫通力が200ミリ」
「駄目じゃねえか」
「いやいけるでしょ、後部席は」
「いけないだろ、車体側が」
とは言え、今更口論しても仕方がないだろう。性能上覆しがたい問題は、頭でどうにかするしかない。
普段は雨が嫌いなフレッドも、この時ばかりは天に感謝していた。
ところで、と切り出し、偵察をしていた二人に尋ねる。
「敵戦車に何かマークがなかったか? 部隊章のようなものとか」
しかし、両者ともに首を傾げるので、スコーピオンにも描いてあるだろ、ほら、あの白い点と線のさそり座みたいな、と指さして説明する。と、カールが得心いって報告した。
「赤い小動物が描かれていた」
「へえ、小動物! かわいいわね」
「ねずみだったと思うのです」
うへえ、とマリーが舌を出す。その横でフレッドは、苦い表情を浮かべ、頭を掻いた。
「赤いねずみのマーク……デザート・ラッツか」
「砂漠のねずみ、なのです?」
ニメールの言葉に首肯する。
「連合王国軍の精鋭、第七機甲師団の部隊章だ。北アフリカ戦線で活躍し、プロイスのアフリカ軍団を壊滅させた」
「でもその部隊って、ノルマンディー上陸後に、なんか大敗してなかった?」
「ああ、まあ、俺の部下がな……」
と呟き、つむじを掻く。
「北アフリカでは最終的に栄光を欲しいままにしていたが、それは師団長が優秀だったからだ。なあ、シモン」
突然ふられて無言で驚く。目だけで、何だ、と訴えかける。それににやっと笑い返すと、話を続けた。
「しかし、その師団長は、アフリカ戦の終盤で重傷を負って首都の軍病院に強制入院となった。それからデザート・ラッツは名ばかりで、ぼろぼろになった。が、どうも今日は動きが違う。俺の知っている弱い第七機甲師団ではない――俺はアフリカを知らんのだ」
ゆっくりと理解が行き渡り、カールが確かめるように聞き返す。
「つまりは、アフリカで師団を率いていた指揮官が戻ってきた、と言いたいのか?」
「おそらくな」
どんな人なのです? とニメールがかすかに震える声で問う。
「堅実な指揮で、敵に付け入る隙を与えず、陽動にも乗らない。積極果敢な防御的戦闘で、手堅く勝利を掴む。その師団運用はさながら鉄の鎧だ。連合王国の紳士にして貴族、
過去のある偉大な軍人は、敵将を褒めるを良しとしなかった。特に部下の前では、むしろつとめて見下してやることが、将兵の士気を保つ秘訣だと考えていたようだ。そのような視点に立てば、このマンシュタイン将軍の振る舞いは愚行と非難されるだろう。事実、賛美に近い言葉に、ニメールは顔を一層青くし、カールも怪訝な表情を浮かべている。マリーは歩兵戦車の名前の人じゃない! と嬉しそうで、シモンは無表情だ。……この二人は特殊と言えよう。
十分、恐怖を植え付けてしまっているにも関わらず、少将はまだしゃべり続ける。
「結局、戦中に対決することはなかったが、彼の戦い方をどう崩すか、盤上で何度か考えてみたことがある。だが、どうにも俺との相性が悪そうでな……」
前髪をかき上げ、掻きむしる。
「餌を撒いて敵を泳がせ、泳ぎ疲れたところを一網打尽にする、というのが俺の好みなんだが、それが通用する相手ではどうにもないようだ。俺の演技なんてすぐに見破るだろうし、決して陽動には乗ってくるまい。鋭い洞察力と堅実さこそ、
「でも、行くしかないじゃない」
女史の力強い青い瞳が見つめてくる。そうでしょ? と口が動く。
フレッドは頭を掻く手を止め、静かにおろし、ズボンのポケットに半ば差し入れる。
「まあ今回は脱出すれば合格なわけだからな。やりようはある」
「もう心配したじゃない。あるなら、あるって言いなさいよ」
マリーが口をとがらせる。と同時に、両肩から力が抜けた。こりをほぐすように腕を回す。ニメールやカールの顔からも険しさが消え、信頼の眼差しに変わる。フレッドはその変化を目の当たりにし、咳払いすると戦友の方へ目をやった。相棒は不変の無表情で見返してくる。それは彼にとって、貴重な精神安定剤だった。幾度強敵を下し覇者だ何だと讃えられても、一介の神経質な元銀行家には、いつまで経っても荷が重いというものだ。
しかし、時の政府に徴兵され、今度は二人の女史に頼られては、今更責任を放棄することはできない。大きく深呼吸すると、覚悟を決めて言い放った。
「敵は三倍。だが、出口は一つ。成すべきことも一つだ」
それから振り返って、廃墟中に響き渡る大声で命じた。
「総員乗車!! 出撃するぞ!!」
頼もしい号令に、レジスタンスたちが歓呼の声でこたえる。フレッドは震える手を握りしめて背中側へ隠し、満面の笑顔を見せた。
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