第11話 ブラコン暴走
「まだ子供の頃の話よ。家から少し行ったところにこんもりした丘があってね、その丘から郊外に建ち並ぶ工場が見えたの」
「工場?」
「ええ、そうよ。何の工場かは分からないけど、大きな煙突が何本も、森みたいに生えててね、教会の尖塔よりずっと高く黒煙を噴き上げていたわ。離れたところにある丘まで、駆動する機械の轟音が聞こえてきて、お日さまと風を浴びながら聞く重々しい音と、力強い光景が大好きだったの。あ、今もだけどね」
ほお……とフレッドは戸惑ったように相槌をうつ。シモンは装甲版を持ちつつ、あくびをした。
「それでね、あの日もいつもと同じように丘に行って、じっと座って工場の景色と重低音にひたっていたの。いつもそうだったけど熱中しすぎてて、気づき損ねたのよ。真上に雷雲が迫ってたことに」
ボルトを一つ外し終え、もう一つに取り掛かる。
「突然だったわ、私にとっては。工場から漏れてくる心地よい機械のワルツを引き裂いて、雷鳴が轟いたの。迷惑な観客ね、と思ったら、すぐそこに稲妻が落ちたわ! すっかり腰を抜かしちゃって、そしたら大粒の雨がすぐに降りだして、頭をバシバシ叩いてくるの。さすがに工場鑑賞どころじゃなくなってね、踏ん張って立ち上がって、逃げるように丘を下りたのだけど、あまりの雷雨に結局途中で足がすくんじゃって……かと言って、木の下で雨宿りなんて命とりだから、野原の真ん中にしゃがみこんで泣くしかなかったわ。大雨が服を貫いて背中を叩いて痛いし、雷はもう出鱈目に鳴るし、稲妻はそこら中に落ちるし、この世の終わりかと思ったわよ。『雷鳴と電光』とかあるけど、あんな明るくて楽しいもんじゃないわ! もう真っ暗よ! お先真っ暗! いつものフレッドみたいに!」
は? と低音で抗議するが、尊い思い出につかる彼女に届く言葉ではない。
「そこにね、日の光が差したのよ。いや、本物の太陽じゃないわよ? でも、私にとってはアポロンよりはるかに嬉しい、神々しい存在だったわ! 分かる? フリッツよ! フリッツが心配して、捜しに来てくれたの! もう足にすがって泣いちゃったわ。そしたらね、フリッツったら、王子様みたいに手を差し出して、『帰ろう、姉さん』てイケボで!! もうどこでそんな口説き文句覚えてきたの! ってなったけど、しっかり握っちゃったわ! 今でもあの時の感触は忘れられないもの。ちょっと情けないけど、ほんとに嬉しかったわね。それ以来、雨の日は何か素敵なことが起こりそうって思うようになったわ」
一気に語り、ご満悦の表情を浮かべる。それに対して、フレッドはむず痒そうに鼻をすすると、一言だけ返した。
「それは本当に情けない話だな」
ちょっと何よ、その言い方! とすぐ大音声で抗議されるが、少将は至って真面目だ。
「いやだって……フリッツ弟だよな? 普通、年上が年下を助けるだろ……。俺がおかしいか?」
思わず戦友の方を見やる。シモンはしばらくうつむき、それから顔を上げマリア女史を数刻見つめる。そしてフレッドの方を向き直ると、おかしくないと首を横に振った。
「だいぶ気を使ったな、シモン」
はっはっと笑い声をあげる。マリーは頬を膨らませ、何よお、と不満そうだ。
「だから言ったじゃない。ちょっと情けないけど、って」
「ちょっとじゃないんだよ、ちょっとじゃ」
両肩を落としてため息をつく。
「俺だってお姉ちゃんに守ってもらったことはあっても、守ったことはないぞ? そういうもんじゃないか? 姉弟って」
ほんとに昔から世話を焼かせる姉だったんだな、と心底から嘆息する。普段のマリーなら一層むくれるところだろうが、今ばかりはまったく別のところに引っかかっていた。
「え、何? お姉ちゃん? フレッドって弟だったの……?」
「欲情するな! この変態!」
「してないわよ!」
さすがに顔を真っ赤にして反論する。ただ、怒りで赤いのか、羞恥でなのかは知れないことだ。
「これから俺とは1マイル以上空けてくれ」
「なんでマイル!?」
「よく分からんが、1キロより遠そうだから」
サイドスカートを支えながらも、ずりずりと後ずさる。もう! と頬を大きくしながら、マリーはスパナを繰り返し回した。
ようやく三枚目の追加装甲をはずし終えると、今度はハンマーで鉄の履帯と転輪を叩き出す。こうして異音がしないか確かめるのだ。さすがにおしゃべりは一旦やめて、三人とも黙々と金槌を振るい、鈴のような甲高い音を響かせる。
分厚く長大なサイドスカートの裏から現れた転輪は、緩衝ゴムを軸部に内蔵した直径1メートルにもなる大型転輪であり、これが2枚一組でオーバーラップ式に二列並べられている。片側だけで、一見8枚に思えるが、実に16枚の転輪を有し、これに加えて、最後方により大きな起動輪、先頭にはより小さな誘導輪が配されている。履帯も幅1メートルと150トンの巨体にふさわしいビッグフットだ。
およそ10メートルにわたって居並ぶこれらの鉄輪と鉄帯を、片手用の小さなハンマーでちまちま叩いていくのは想像以上に時間がかかる。三人でやっても、同時に三つの腕と肩がくたびれるだけだ。
否一番にフレッドが疲れた様子で、右腕を回した。首を左右に振りつつ、他の二人を見やる。シモンは常と変わらない無表情でハンマーを打ち続けていた。マリーも負傷の痛みを額の汗ににじませながら、懸命に叩いている。――この三人の中で、おそらく最も体力がないのは将軍ではなかろうか。まあもともと運動とは縁がない人種だし、士官学校を出たわけではなく、図らずも銀行家から将官に転じた身だ。無理もない。
だが、さすがに恥じ入ったようで、頬をかくと再びしっかり金槌を握りしめる。
とその時、ニメールの声が響いた。
「閣下! 敵なのです!」
はっとしてハンマーを床に投げ捨て、壁の穴から外を見張る二人の元へ駆けつける。背中越しに、あちょっと! 投げないでよ! と怒られるが、今は気にしない。
「数は?」
「確認できただけでも、戦車が六両いた」
カールが即座にこたえる。しかし、その間にも敵は増えていく。
「九両……いえ、十一両なのです。この建物の正面方向に向かって移動しているようです」
「通り過ぎてくれると嬉しいんだが……」
「それどころか、この建物の裏側へ回り込む戦車もいるようだ」
元憲兵の視線の先をたどると、確かに別の一団が反対側へと向かっていた。
「これは移動ではない。展開だ」
そうは思わないかね? と将軍に問いかける。フレッドは頭を掻いて嘆息した。
「分かってるよ。たまには希望を言ってもいいじゃないか。ほんの冗談なんだし」
たじろぐカールの横で、ニメールが静かに苦笑いを浮かべた。
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