第10話 鉄壁スカート
焼け野原となったウルムで、ようやく一行は雨宿りできる場所を確保した。巨大な空間が広がるそこは、もともと教会か何かだったのだろう。しかし、戦火に焼かれ、煤まみれとなった石造りの廃墟に、その面影はない。
十両の戦車を何とか収める。マリーはレジスタンスの面々に一通り点検整備の方法を教えると、シャーク中戦車はそれぞれの乗員に任せ、自身は150トンの巨体をあやしにかかった。
「ダッハウブルクの工場を早く奪取しないと。履帯とサスペンションが悲鳴を上げそうよ」
「あとどのくらい持つ?」
後部席のキューポラから這い出た車長が、車体天板に滑り降り、問いかける。
「はっきりとは分からないけど、この強行軍のスケジュールに、数日のズレが出たら、赤信号じゃないかしら」
ううん、と唸りつつ、車体よりひらりと舞い降りる。そして、盛大によろけた。見上げれば、車体だけでも自分の身長よりはるかに高い。普段、顔を突き出している車長の特等席ことコマンダー・キューポラは、建物で言えば二階の床くらいにはなりそうな高さだ。あらためてその巨大さを痛感する。
みっともない着地に噴き出しそうなマリーを睨み、咳払いした。
「それじゃあ、五日のズレを許容できる程度には整備をしよう」
「えー、まずは自分の運動神経を鍛え直した方がいいんじゃない?」
「なるほど、銃創に塩を揉みこまれたいと」
「じょ、冗談よ!」
冷や汗をかいて手を振る。
それからマリーは地べたに胡坐をかくと、工具箱を開け、ごそごそと中を探り出した。フレッドはその側に立ち、密かにカールを見張る。元大公はニメールと静かに話していた。
「ねえ、フレッド。……フレッド?」
びくっとしてから、何だ? と問い返す。
「まだカールを疑ってるの?」
マリーがため息をつく。だが、灰色の将軍は、そんな簡単に信用できるのが羨ましい、と皮肉を口にするだけだった。
「で、整備だろ? どこからやる?」
「やっぱり足回りかしら」
「だな。
「監視ですか?」
ニメールが首を傾げる。
「我々はお尋ね者だ。来訪者には困らんさ」
将軍が自虐を言うと、苦笑いしながら
三人がかりで巨体の足を世話する最中も、彼らの応酬は変わらない。
マリーは天然で能天気なことばかり言い、それをフレッドが呆れて嘲笑し、女史が噛みつく。それを一言も発さない黒髪の砲手が目線だけちらちらさせつつ、作業に打ち込む。こんな三人……もとい事実上二人の難儀なやり取りを、周りのレジスタンスたちは、興味深げに、しかし決して立ち入らない距離で、耳をそば立て聞いていた。
「雨が嫌いなんて、フレッドはかわいそうね」
相変わらず謎に胸を張ってマリーが話し出す。フレッドは軍服の袖で額の汗をぬぐいつつ、技師を見やる。
「私なんて雨大好きよ! 特にこんな大雨の日は、思いっきり駆けずり回りたいわね」
「室内を?」
「違うわ! もちろん外よ」
シモンが目線を一瞬二人にやって、すぐまた手元の作業に集中する。
「相変わらず解せんやつだな」
「まーたため息ついて。雨はいずれ降るのよ。どうせ降るんだったら、楽しまなくちゃ」
「天晴なことで」
「でしょー?」
「皮肉を言ったつもりだったんだが」
「えー。何よもう……」
頬を膨らませながらも、巨大なサイドスカートの留め具を外す手は休めない。
「どうして雨が嫌いなの?」
手を休めることがないのと同様、口を休めることもないようだ。将軍は嫌そうに目を背ける。
「雨の日の思い出は暗い。いい印象がないんだ」
「日が差さないから?」
「それもあるだろうが、それだけではない。もっと具体的なこともまあ、あったりなかったり……」
ふーんと鼻を鳴らしながら、湾曲した重い鉄の装甲板を外そうとする。フレッドは反対側を、シモンは中央を持って、せーのの掛け声で車体から取り外す。ゆっくり運ぶと、少し離れたところに息を合わせておろした。
スコーピオンの足回りを全て点検するには、まずこの外側の追加装甲を外す必要がある。
厚さ175ミリの垂直な車体本体の装甲を覆うように付けられたサイドスカートは、厚さ60ミリの曲面装甲だ。登場当時、連合軍を震え上がらせた鬼のⅥ号戦車ことティーゲル・アインス重戦車の側面装甲が破格の80ミリ厚であったのに対し、その倍近い車体装甲に加えて、追加のサイドスカートまで備えている。側面にしては過剰とも言える重装甲のわけは、車体中央に鎮座する蒸気機関を守るためである。……最先端を行く装甲に、こんな旧式なエンジンが積まれていては、反応に困るというものだ。
足回りを点検する際には、履帯や転輪をハンマーで叩き、ゆるみや他の異常を検知すれば、外して整備を行う。しかし、立派な鋼鉄のサイドスカートは転輪の上半分をすっぽり覆い隠してしまっている。仕方なく三人は、留め具の頑丈なボルトをゆるめて、長さ3~4メートルになるスカートを一枚々々丁寧に外していった。片側三枚、全部で六枚を剥ぎ取る重労働だ。
汗を拭きつつ、ようやく三枚目に取り掛かる。
「左腕は大丈夫か?」
大きなスパナでボルトを回すマリーに尋ねる。すると笑顔を向けられた。
「平気よ。右手しか使ってないもの。むしろ外すとき負担になってない?」
「なってないさ。シモンがその分頑張ってくれてるからな」
黒髪が揺れ、戦友を見据えた黒目が、え? 俺? と言ってくる。口はもちろん閉じたままだ。二人の奇妙なやり取りを見て、何よそれ、と少し声を立てて笑った。
「雨の日と言えば、私も思い出があるわ」
「おお、奇遇だな。今日は不幸自慢大会か」
「いや、私はいい思い出だから! 一緒にしないでよね、まったく……」
それは残念、とおどけて見せる。しっかり両手はボルトがゆるみ始めたサイドスカートを支えていた。
額から汗を垂らしながら、マリーが幸せそうに語り出す。
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