第9話 雷雨到来

 フロイデンヴァルトを8月19日朝に出立した十両の戦車は、捕虜収容所と兵器工廠のあるダッハウブルク合衆国軍占領軍駐屯地の奪取を目指し、東方へ道を急いでいた。と言っても、一直線に向かったわけではない。追跡をまき、かつ、こちらの目的を悟らせないよう、強行軍をしつつも、ジグザグに進路を取っていた。

 フロイデンヴァルトから黒の森の道を50キロ東進し、森のバンカーにてスコーピオンのみ補給。バンカーから90キロ東へ進み、トゥットリンゲンにて全車補給。すぐに出立すると、南東に進路を変え、国の南端フリードリヒスハーフェンで一夜を超す。20日朝、やっとの思いで尻尾を掴んだ合衆国兵を血祭りにあげると、北北東へ転進し、100キロ先のウルムを目指した。ダッハウブルクまで残すところ140キロの予定である。

 フリードリヒスハーフェンからウルムまでの移動は、全行程中、最長の移動距離であった。すでにだいぶ無理をしていた鉄騎たちにとっては、死に体一歩手前である。

 100キロなど、自動車でアウトバーンを飛ばせば、一時間もかからない“短い”距離であろうが、四つのタイヤで軽快に走る車と、抵抗力の高い履帯で地べたを這う戦車を同一視してはならない。それに重量が桁違いだ。重ければ重いほど、走行装置には負荷がかかり、頻繁に点検整備を要する。150トンの重さなら、普通はウルムまでの道程100キロなどとても踏破できない。だが、それは機構が複雑なガソリンエンジンやディーゼルエンジンを積んでいればの話で、ここはスコーピオンの単純故頑強な、変速機を廃したスチーム・エレクトリック・ハイブリッド方式の真価が発揮されていた。

 とは言え、全行程460キロに及ぶこの東進作戦自体が、シャーク中戦車を含め、戦車に想定される行軍距離をはるかに凌ぐ無理な運用であり、ウルム到着後は一晩かけて全車両の点検と整備を行う予定であった。

「装甲部隊の運用史上に残る大作戦だ」

 地図をあらためて睨みつつ、フレッドが頭を抱える。

「移動だけで全滅したら、戦史上に残る愚行と化すがな」

 将軍の自嘲にカールが乾いた笑いを返す。

「仮に成功しても、教科書にはこう書かせるよ。『装甲部隊の長距離移動には、使えるなら、やはり鉄道を使え』と」

「教科書には原則を載せるものだ。その方が良い」

「でも伝記には、特異な偉業の方が載るわ」

 車体側の座席に収まったマリーが、工具類を確かめながら明るい口調で飛び込んでくる。それに対して、お馴染みの通り、苛立ちをはらんだ毒舌が降りかかる。

「英雄はとかく蛮勇を好むが、将軍に必要なのは、確実な作戦の立案と実行だけだ。ただでさえ霧に覆われがちな戦場で、自ら不確定要素を増やすなど、愚行以上の何ものでもない」

 行員上がりという不利を跳ね除け、感覚で判断せず、徹底的な情報収集と合理的計算によって勝利を築き上げてきた彼らしい言葉だ。ところが、そんな叩き上げの名将でも弱るものがあった。

「降り出したな……」

 開けたままだったキューポラから顔を出すと、大粒の雨が、重苦しい空から一直線に落ちてくる。次第に数が多くなり、点は線へ、線は束へと成長していく。ぎりぎりまで外で街を具に見続けていたフレッドも、さすがに濡れた肩が重くなり、後部席内へ潜り込むと、キューポラのハッチをスライドさせ頭上でぴっちり閉めた。

「天候だけはどうにもできんな。特に雨は嫌だ。道はぬかるむし、風邪はひくし……ライン川は増水するし」

 唯一、シモンだけが思い出したように、何か感嘆詞的なものを吐いたが、外の雨音にかき消される。

「周囲の状況が確認しづらいが、雨宿りできるところを探さねば。隠さなきゃならんし、点検もままならん」

 髪をかき上げると、しずくが散る。車長席には座らず、そのまま立ってペリスコープに目を当てる。

「マリー。後続車両に連絡。隠れられそうな建物を探せ」

「分かったわ」

 そう言うと、少し考え込んでから、無線機に触り交信を開始する。事前にフレッドから教わった手順を慎重に踏み、無事連絡はできたようだ。ほっと胸をなでおろす。

 その時、彼女の頭上で、訝しむような唸り声が聞こえた。

「どうしたの?」

「……いや。ちょっと分からん」

 要領を得ない回答に、カールは操縦竿を握りながらちらと振り返る。ヘッドホン越しに聞いた砲塔内の二人も、妙な言葉に顔を見合わせた。ニメールが咽喉マイクをつまみ尋ねる。

「何か見えたのです?」

『……そんな気がしたが、見間違いかもしれん。いかんせん正体を掴み切れなくてな』

 シモンは無言のまま、砲に向き直り照準器を覗き込む。特段緊張している雰囲気はないが、まるで獲物を狩る前の猫のような静かでしなやかな動きだ。歴戦の砲手のスムーズな構えに、隣に座るニメールの心臓は早鐘を打つ。

 フレッドは、雨が叩きつけるペリスコープから必死で外の様子を探る。一の目的は建物の見繕いであったが、ここに来てそれに代わる重大事の予感が鎌首をもたげていた。

 戦中の激しい空爆で瓦礫と化したウルムの街、周囲に広がる廃墟のに目を凝らす。

 合衆国軍への脅迫文は、しっかりとフリードリヒスハーフェンに置いてきた。これ以上の損害は、マクドナルド少将の沽券に関わる。おそらく彼は無闇な攻撃を止め、時期を待って前回以上の物量戦で挑もうと考えを改めるだろう――。そう踏んで、この合衆国軍占領域の道中の安全を確信していた。彼らの好む物量戦には一定の準備時間を要する。午前中に決断して、昼に戦場へ投入するなどといったスピードでできるものではない。そもそも合衆国軍が、スコーピオン隊の行方を掴み切れているのかさえ怪しい。それなら、ピンポイントでウルムに投入するなど、ますます考えられないことだ。

 ――いや違う。さっき見えたのは……

 廃墟の闇の狭間に目を凝らす。心臓が高鳴り、手が震える。

 遠くで稲光が走った。その閃光の中に、ついに角ばったフォルムを見つけた。


 ――あれは!


 遠雷が轟くより先に、一区画向こうで砲声が響いた。


Haltハルト!(停止!)」

 カールが必死の形相でブレーキペダルを踏む。すると、砲塔で砲弾をはじき返す鋭い音が聞こえた。

『……75ミリQF砲。徹甲弾』

「ご名答だ、シモン。あれは合衆国軍じゃない。シャークはもっと丸いし背が高い。あいつは……」

 ペリスコープに強く顔を押しつけ、頭を掻きむしる。

「オリバー巡航戦車。連合王国軍だ!」


 長大な71口径14センチ砲を載せた砲塔が、ゆっくりと敵戦車の方を向く。しかし、軽量な巡航戦車はステップを踏むように路地裏へ後退する。

「逃げたか」

 とフレッドが一息ついた途端、今度は後部席側面が砲弾を震えながらはじき飛ばす。先の攻撃とは逆、左側からの砲撃だ。車長は慌てて振り返り、左のペリスコープにしがみつく。雨が滝のように流れるレンズの向こうに、かすかに巡航戦車の霞が見える。

『囲まれているのです!』

「二両だけなら挟まれているに過ぎん」

 ニメールの悲鳴に威勢よく返すと、後部席の前面装甲がまた砲弾をはじいた。右斜め前方、三両目の攻撃だ。

「よし、囲まれた」

「よし、じゃないでしょ!」

 マリーが悶絶しながら叫ぶ。

「何、75ミリ砲などスコーピオンの装甲をもってすれば、敵ではないだろう」

「しかし、シャーク中戦車が危険ではないか?」

 カールの懸念の通り、後続の九両については、正面装甲なら距離があれば何とか防げるかもしれないが、側背を撃たれたらたしかに危険だ。すでに冷静沈着な青年ロベルトの指揮で、各車左右いずれかに砲塔正面を振っている。だが、大ぶりな車体は無防備に側面をさらしている状態だ。

Panzerパンツェル vorフォー!(前進!)」

 立ち止まっていては格好の標的になる、フレッドは全車前進の指示を飛ばす。同時に道の左右と正面の三方から、進ませまいと敵弾が降り注ぐ。が、ことごとくスコーピオンの戦艦並みの装甲がはじき返し、問答無用で道を切り開く。電気仕掛けの砲塔が静かに斜め前方へ指向する。その動きは、正面のペリスコープを覗いていたフレッドからも確認できた。

 大粒の雨が叩きつけ、風が唸り、雷鳴が轟く。キューポラの小さな覗き穴から見る景色は、滝の裏から見る世界のようだ。それでも目を強く押し当て、敵の姿を必死に探す。

 稲妻が落ちる。その刹那の閃光に、敵戦車の影が映った。

「一時方向、距離35メートル。Feuerフォイエル!(撃て!)」

 怪物が火を噴く。直径14センチの鉄の弾は、瞬きする間もなく、正確に巡航戦車の顔面へ吸い込まれていく。派手に火柱が上がる横を、一行は駆け抜けていく。

「次は左だ! 八時から九時方向」

 怪物がゆっくりと、ごつい頭を左へ振る。砲塔内ではニメールが、子供ほどの重さがある砲弾と装薬を、全身から汗を噴き出しながら装填する。

「目標、八時方向。距離25メートル」

 フレッドが、今度は左後方のペリスコープを覗きながら咽喉マイクに叫ぶ。

『装填完了なのです!』

「Feuer!」

 再度14センチ砲が吠える。全速力で並走してくるオリバー巡航戦車の側面を、際どい角度でえぐり飛ばす。

「目標撃破! 次! 右に砲塔回せ!」

 車体とほぼ同じ全長の砲を、反対側へぶん回す。それは見ていて、酷くもどかしい挙動であったが、どのみちこの豪雨ではすぐには敵を発見できない。

 最後の一両となって怖気づき、逃げ出した可能性もあるが、落ち着いて整備するために、ここは極力三両とも屠っておきたい。フレッドは血眼になって右サイドのペリスコープを次々覗いていく。泥交じりの雨の中、視界の隅で木造の小屋が不自然に倒壊した。

「シモン! 五時の方向、20メートル! 見えるか?!」

 砲塔が右いっぱいに振れる。しかし、後部席の端をこすりそうなところで、限界を迎えた。

『……端に見えるが、射撃不能。旋回域外』

「マリー! 後続車に連絡。倒壊した小屋に最後の敵戦車がいる。全車停止して、火力集中! 撃ちまくれ!」

 ええっと、額の汗をぬぐいながら、無線をいじる。数十秒後、ようやく全車が停止し、砲塔を右に振り向け、次々に小屋の辺りを撃ち始めた。スコーピオンも巨体をその場で旋回させ、どうにかターゲットを射角に収める。

 14センチ砲にはすでに徹甲弾が詰め込まれ、今か今かと発射の時を待っている。しかし、シモンはあくまで落ち着いて、合衆国製の砲弾が乱れ飛ぶ小屋の辺りを、照準器越しに静かな瞳で見据える。そして、鋼鉄の雨に耐えかねるようにもぞもぞ動き出した影を見つけると、すぐさま引き金を引いた。発砲の衝撃が腹に響くより早く、土砂降りの中に花火があがった。

「最高の花火だ。土砂、鉄鋼、そして人肉交じりだ」

「最低に汚い花火ね」

 フレッドの皮肉にマリーは真剣にため息をついた。




 三両目を撃破すると、もうどこからも砲弾は飛んでこなくなった。ただ雨が装甲を打つだけである。

「さて……」

 フレッドが大げさに一息つく。

「整備する場所を探そうか」

「攻撃された件はスルーなの?」

 工具を準備しつつも、律義に突っ込む。それに対して、車長は肩をすくめた。

「正直、予想外だった。が、思えば、あの国はいつでもそうだったな」

 カールが不思議そうに振り向く。

「連合王国の紳士は、列には並ぶが、約束は守らない」

 これには全員が、黙って苦笑する他なかった。

 だが、将軍は直感していた。すでに舞踏会は始まっていると――。ジョン・ブルは、嘘をつく度に、植民地を増やし、富を蓄えてきた。終戦条約に定められた合衆国の占領地域を侵犯した今、世界はすでに、彼らの思う通りに踊らされているのだろう。

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