第8話 嵐を呼ぶ風

「吊り下げて晒すなんて、やっぱりやり過ぎだったんじゃないかしら」

 フリードリヒスハーフェンを遠く後にしてもなお、マリーは不機嫌そうであった。後部席の底、車体側の機関室兼通信手席から顔だけ覗かせ、頬を膨らませている。操縦手の右斜め後ろに座る車長が、ちらと横目に流し見る。

「宣伝効果ばっちりで、ちょうどいいさ。何しろ急速に支持者を得なければならんのだからな。多少過激なくらいが程よい。合衆国軍をひるませるにも、あれくらいは必要だ」

 操縦手席背後の床から生えた顔が、頬を膨らませる。

「ニメールちゃんの発案ではあるけど、フレッドって良心ないの? 同じ人間とは思えないんだけど」

「人間としての良心を持ちながら、どうやって軍人をすればいいのか、ぜひ教えてもらいたいね」

 苛ついた様子で言い返す。

「軍人の仕事とは、いかに効率的に大量の人間を殺すかというところに尽きるんだぞ。良心など無用などころか、邪魔なだけだ。無論、国際法は守るがな。それは個人の良心からではなく、公人としての責任からだ」

「それさえ守らない不届き者も、大勢いたものだ」

 元憲兵カールが眉間に皺を寄せ、口を挟む。しかし、すぐに手元に目が移り、慌ただしく左右の加減弁レバーを押し引きする。車体が無意味に震動し、はしごに片手で掴まっていたマリーは振り落とされそうになる。咄嗟に左手で握りしめてしまい、苦悶の叫びをあげた。

「安静にしてろって」

 呆れてフレッドが嘆息する。

「下で一人だけはつまんないのよ」

「ピクニックに来てるわけじゃないんだぞ」

「あら、戦場でもワルツを踊れば舞踏会よ? 心掛け次第じゃない」

「そう思う利点がないからやめろ。緊張感を削ぐだけだ。あと、戦場のせの字も知らん奴が大口を叩くな」

 再び大きく車体が揺れる。

「まったく。恐ろしいほど操縦が難しいな……。感覚を掴みかねる。蒸気機関車に履帯をはかせて、装甲をつけたようなものだ。自動車の運転感覚とはまるで違う」

 操縦に自信を見せていた大公だが、今は額いっぱいに汗をかいている。だが、顔が見えないからか何なのか、マリーは嬉しそうに語る。

「それに電気モーターもついてるハイブリッド車よ!」

「フロイライン。失礼だが、その利点は、操縦性に良い影響があるのかね?」

「トランスミッションがないから、結構操縦が軽いでしょ? 車体重量の割に」

「ああ、間違えた。操縦性は悪くない。むしろ非常に良好だ。だが、ティーゲルで評判だった自動車感覚の操縦に、何か資するものはないのかね……?」

「特にないわね」

「じゃあ、言うな」

 フレッドにぴしゃりと言われ、むうっとなるも、また大きな震えに見舞われ、思わず両手でしっかりとはしごを掴んでしまう。拷問でも受けてるのかと勘違いしてしまいそうなうめき声が、またせり上がってくるが、全て自分のミスだ。さすがに憐れ過ぎてフレッドは何も言えなくなってしまい、左手で無遠慮に金髪の頭を押さえつけた。

「ちょっと! 何するのよ!」

 ポニーテールを揺らして抵抗する。

「いいから下に行ってろ。ご自慢の蒸気機関が静かだから、十分話はできる。それにいい加減、傷が開くぞ」

 言われた途端、撃たれた左腕が鈍く痛む。その鈍痛に一瞬目をつむり、それからゆっくり息を吐きだすと、無言で床下へ消えていった。

 フレッドが大袈裟にため息をつく。

「聞こえるのではないか?」

 カールが皮肉っぽくたしなめる。

「少しくらい聞こえてほしいものだ」

 対するフレッドは、正真正銘の皮肉だった。カールが静かに笑う。

「マンシュタイン元少将は金に目がないことで有名だったが、毒舌にも定評があったな」

「母親ゆずりだ。口から生まれてきたようなやかましい女性でね、おまけに性根が腐ってて、それはもう毒吐かせたら今でも天下一だよ」

「ご存命なのか?」

 驚いて振り返る。が、前! 前! とフレッドに叫ばれ、慌てて正面に向き直る。車長は一つ嘆息すると、足を組んだ。

「意外か? 俺は大公グロース・ヘルツォークほどの年じゃないから、生きてても不思議じゃないだろう」

「悲しいが、この時代、肉親が生き残っている方が珍しい。かく言う私は、今回ではなく、先の第一次世界戦争で騎兵の父を亡くしたのだが――とにかく何よりだ」

「何が?」

「何が……? お母さまのことだ」

「ああ……」

 微妙な返事をして、靴の汚れを爪で削り出す。

 空気を悪くさせてしまった、とカールが、申し訳なさそうに肩を落とす。どう声をかけようか、両手に神経を張り巡らせたまま思案するが、フレッドが立ち上がりキューポラを開けたことで新たな風が舞い込んだ。


 ところが、それも決して良い風ではなかった。


 金属の弦を打ち鳴らすような鋭い風切り音がする。フレッドの金髪はすぐに乱れた。空を見上げ額をこすると、舌打ちした。

「嵐の風だ。これは一雨来るな」

 車内にも湿気を含んだ生ぬるい風が、吹き込んでくる。

 目前には次なる補給地、崩壊したウルムの街が迫っていた。

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