第7話 血文字の声明
「しかしなあ……」
フレッドがその姿から目を外し、滅茶苦茶に破壊された店内を見渡す。
「一体損害額は幾らくらいだ? こんなことなら、金貸しだけじゃなく、損害補償についても勉強しておくべきだった」
頭を掻いて、今財布にある金額を考える。マリーから弟探しの契約金として頂戴した小切手があるが、それではさすがに多すぎるであろうし、かと言って、現金はさほどない。いや、正確にはそもそも、適正な金額が分からない。
髪を一層強く掻きむしっていると、意外な声があがった。
「その点については心配無用だ。このカール・アルプレヒト2世に任せてもらおう」
は? と将軍の鋭い眼光が再び睨みつける。
「そもそも私がここに参上したのは、貴殿らと会って話してみたい気持ちもあったが、それ以前にこの店のマスターからの一報だった。マスターとは昔馴染みで、その彼から、例の将軍たちがうちに来た、やっとの思いで開店した店が荒らされは叶わない、何とかして欲しい、とのことであった。それで飛んできたのだ」
カールは嘆息して、言葉を続ける。
「しかし、結果として防ぐことができなかった。これは私の過失だ。時間の猶予はもっとあると考えていたが、甘かったようだな。だから、ここは私に償わせてもらいたい」
マリーは万事解決と思い、腕に仮の包帯をまいたまま、ぱあっと明るい顔になる。が、あの男が納得するはずがない。
「抜かしおって。元中尉は、その前は作家志望だったのか? よくもまあ、嘘八百を」
軽蔑しきった表情で毒を吐く。けれども、カールは引かなかった。
「どう言ってくれても結構だ。しかし、元少将閣下が何を言おうと、我が一族の歴史と名声が揺らぐことはないのだ」
「歴史と名声? 元憲兵風情が、貴族か何かのつもりか?」
「事実、私は貴族だった。第一次世界戦争後の貴族制度廃止で、廃位となったのだが」
そこまで聞いて、ニメールがぴくりとする。
「も、もしかして、あなたは……」
「フロイラインはお気づきのようだ。そう、我が名は、カール・アルプレヒト2世・アレクサンデル・ヘルベルト・アントン・フォン・ヴュルテンベルク。現在のバーセン・ヴュルテンベルク州は半分が我が領地、ヴュルテンベルク大公カール・アルプレヒト2世と昔は呼ばれたものだ」
わざとらしい名乗りも、本物の貴族の品格を持つと、自然に見える。マリーの目が驚きに丸くなる。そして、これには一介の行員から将軍に成り上がったマンシュタインも、首を垂れる他なかった。
「なるほど、これは失礼した。まさか最後のヴュルテンベルク大公ともあろうお方が、憲兵にいたとは、思いも寄らなかった」
「あの独裁者は貴族が嫌いだったからな。私は父上のように騎兵を……もとい、戦車兵を希望したのだが」
「騎兵は戦場でも輝いているが、戦車兵はオイルまみれで臭いし汚いぞ?」
「だが、貴殿は救国の英雄だ」
真剣な眼差しを向けられ、かぶりを振る。
「よしてくれ、馬鹿馬鹿しい。結局、負けてるじゃないか」
「ならば、これからなるのだ」
そのために、このカール・アルプレヒト2世、幾らでも援助をしよう、と言って手を差し出す。マリーが純粋な笑顔でしきりにうなずく。フレッドは一度、ニメールの方を振り向く。彼女は一つ首を縦に振った。当時、惜しまれながら退位した元大公の政治力と発言力を借りれば、彼女の計画は予定より数段早く進むだろう。そんな計算をしたに違いない、と考えながら、フレッドも内心で国内有数の大貴族の財力に期待を膨らませ、手を強く握り返した。撃つものがないシモンは、そっぽを向いてあくびを漏らした。
「さて、」
新たな仲間を迎え入れたところで、フレッドは手を叩いた。
「店の修繕代は
任せてください! といたいけな少女が、ターコイズブルーの目を輝かせる。
「さすがに他人の店の庭に埋めるのはなしだ」
苦笑いして首を左右に振るが、ニメールは興奮して手をぶんぶんする。
「いえ! よいことを思いついたのです!」
透き通る瞳の下で、唇が恐ろしい形にゆがむ。
咄嗟にマリーはフレッドの袖を掴んだ。
「分かってるわよね?」
「何がだ……」
「大人には止める責任があるのよ。こんな小さい、かわいい子、これ以上汚しちゃダメだからね」
「――と、とりあえず話を聞こう。頭ごなしに否定してはいかん」
まあ、話だけなら……と引くマリーこそ、守られるべき子供かもしれない。話を聞いたフレッドは一切逡巡することなく、そのアイデアにのった。
数刻後、激しい銃撃に見舞われたカフェのマスターは、店の軒先のおぞましい光景に失神することになった。
店先にできた近隣住民の黒山の人だかりを掻き分け、通報を受けた合衆国兵士がたどり着く。軒先を見上げて唖然とし、新兵はあまりのことにむせび泣き、その場で嘔吐してしまう。
「す、すぐに師団司令部に連絡を。奴が現れました、しかし取り逃がし、同胞十二名が戦死しました、と」
隊長らしき人物が、立ち尽くす無線手に告げる。はっと我に返り、背負っていた無線機をおろし交信を始める。
それを確認して隊長は、今一度ゆっくり振り返り、無残な姿になった同胞を仰いだ。
「酷いことしやがる……」
粉砕されたショーウィンドウの前に、惨たらしい穴だらけの兵士の死体が、ずらりと吊るされていた。さらに、風に揺れる仏たちの首元には、血文字が書かれたプラカードが下げられていた。曰く――
「ス、スコーピオン……さそり座? 俺らが、おごれるオリオンだと言うのか?」
血文字の宣戦布告に慄き、じりじりと後ずさる。しかし、突如、歓呼を上げた群衆に突き飛ばされ、地面に倒れ伏す。起き上がろうとした瞬間、無数の手と足が迫ってきて――すぐに視界は真っ黒に、体は真っ赤に染め上げられた。
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