第4話 招かれざる客
ドアを閉めて面を見せた男は、どう見ても合衆国の兵士ではなかった。黒いスーツを神経質に着こなす壮年の紳士で、立派なカイゼル髭を蓄えていた。
「ここの常連さんじゃないの?」
マリーが身を乗り出し、フレッドの耳元で囁く。少将は無言で肩をすくめ、場違いな紳士を見つめた。
すると、グレーの瞳がじっと見返してきた。そうして目線をそらさず、規則正しい足取りで近寄ってくる。シモンが様子をうかがいながら、ゆっくりと右手を握ったり開いたりする。宙に浮いたその手は、拳銃のある懐中へ忍ぼうか、忍ぶまいかと迷っていた。
ついに紳士が、机の前に立った。フレッドは咳払いし、椅子をそちらに向ける。
「ここは満席だが?」
「ご忠告どうも。しかし、生憎、コーヒーを飲みに来たのではないのだ」
渋みのある声で丁寧にこたえると、背筋を正し、敬礼した。
「私はカール・アルプレヒト2世・アレクサンデル・ヘルベルト・アントン・フォン・ヴュルテンベルク元国防軍中尉だ。野戦憲兵の小隊長を務めていた」
元師団長の顔がゆがむ。規律を重んじ石頭とあだ名されていた少将だが、野戦憲兵とはことごとく反りが合わなかった。彼らは往々にして法の番人でなく、政府の番人であったためだ。将軍マンシュタインが石人間と呼ばれたのは、総統の命令に背いてでも、頑なに国際法や普遍的慣習を厳守したためである。この守るべき“秩序”に対する姿勢の違いが、強烈な嫌悪を生み出していたのだ。
しかし、あろうことか、元野戦憲兵は笑顔でフレッドに挨拶した。
「貴殿が第七装甲師団の師団長になられたばかりの頃、ちょうどあの師団の憲兵小隊を指揮していたのが私だったのだが、覚えているかね?」
「顔を覚えるのが苦手でね……。あと、中尉の場合、名前もとても覚えられそうにないな」
それは仕方のないことだ、と静かに返し、穏やかな微笑を見せる。しかし、フレッドの警戒は解けない。シモンの手は懐の手前で一応止まっているが、爪の先はすでに懐中にわずかに潜り込んでいる。マリーは訝しげな目線を向けて外さず、ニメールも険しい視線で見つめている。
壮年の紳士、ヴュルテンベルク元憲兵隊中尉は、微笑みを絶やさず言葉をつなげた。
「今日うかがった理由は、幾つかあるのだが、少し話をしても良いだろうか?」
「話を? 一体どんな?」
怪訝な表情で聞き返すと、元中尉は一転して真剣な顔になった。
「まずは、貴殿らの目的だ。フロイデンヴァルトで連合軍の戦車隊を撃退したという噂だが、合衆国とガーリーを本気で怒らせた張本人が、今はこうしてコーヒーを飲んでくつろいでいる。一体何をするつもりなのだ?」
「機密に関わることだ。回答は控えさせてもらう」
将軍は機械的に即答する。カールは驚いた表情で身を乗り出し食い下がろうとするが、少将の背後で、鋭い眼差しでこちらを睨みながら懐中に手を伸ばした男に気が付くと、咳払いして姿勢を正した。
「では、質問を変えよう。君たちの目的は、一般公衆の目から見て、正義にもとるものではないのか?」
「当然なのです!」
今度は奥からニメールがこたえた。カールは意外そうにその少女を見つめた。
「この問いにこたえる人物がフロイラインとは……。マンシュタイン元少将か、あるいは、そちらのピエヒ元中将が、何かしら計画しているのだと考えていたのだが……」
「いや、私たちもあるにはあるわよ? 大切な計画がね」
「マリー。黙っていろ」
「なんでよ! 別に正義に外れたことじゃないんだし、いいじゃない!」
「いいから黙ってろ」
有無を言わさぬ力を込めて睨みつける。すると、さしものマリーも血相を変えて黙り込んだ。深くため息をつくフレッドの姿を、元憲兵は直立不動のまま興味深そうに眺めた。
「さしずめ別々の二つの計画があり、偶然双方を引き受ける形になった、といったところか? 恐らくはベルーンでピエヒ元中将から、そして、フロイデンヴァルトでそちらのフロイラインから、という順番で」
「なんだなんだ。いきなり占星術師の真似事か? 気味が悪いな」
「つまり、正しいわけだ」
フレッドは素直にうなずいた。まるで自分は巻き込まれただけだと言わんばかりである。
しかし、いかに憐れを誘おうと、元憲兵の鋭い目は誤魔化せない。
「しかし、攻撃を指揮し、合衆国軍とガーリー軍に少なからぬ損害を与えたのは、貴殿であろう」
「いかにもそうだな。ただし、相手の攻撃意思が明確であったからこそだ。彼らは無関係の住民を性奴隷のごとく扱った挙句、その隣人を救出に来たレジスタンスを戦車で追い回した。フロイデンヴァルトの住民を守るために、両国の部隊を迎撃するのが、いかんと言うのか?」
若干苛立ちながら、大雑把な話で反駁するが、すかさず足をすくわれた。
「無関係とはどういう意味だ?」
何? と無自覚なフレッドは、眉間に皺寄せ問い返す。
「連合軍側が“無関係”の住民を性奴隷のごとく扱ったと言ったが、それはどういう意味かと訊いたのだ。逆に言えば、少将の言う“関係者”は何者なのだ」
唖然とした表情で見上げる。同時に、目の前に突っ立つ元憲兵が初めに見せた穏やかな笑顔は、見せかけのものだったのではないかと勘ぐり出す。
将軍は咳払いし、不愉快そうに体を前後にゆする。
「その“関係者”を知って、どうするつもりだ?」
「尋問するとでも思うのかね?」
「そうか、そうするのか」
「そうは言っていない」
「では、居場所を連合軍に通報するのか? その場合は、俺に情報手数料を払ってもらわないとな」
「マンシュタイン元少将は、金に目がないという噂は、本当のことのようだな。さながらシャイロックだ」
「俺から言わせれば、肉一ポンドなんて何の実利もないがね」
シモンが緊張した面持ちで、戦友の背後から睨みをきかせる。
その獣のような眼光が、一歩踏み込みたいカールを結局踏みとどまらせた。
「それでは、質問を改めよう」
いささか柔和な声音に戻り、元憲兵は詰問を続ける。
「君たちは目的を回答できない。しかし、それは一般公衆から見て、正義に当たるものだと言う。その正義を担保するものはあるのか?」
これにはすかさず、ニメールがこたえた。
「今はまだありません。ですが、近い将来、わたしたちの正義は、自ずと市民自らが保証することになるのです」
「近い将来、ですか。フロイライン、それは一体どれくらいでしょう?」
「欲を言えば、数ヶ月以内なのです」
マンシュタインの名声とスコーピオンを初めとする武力を頼みに、全国のレジスタンスを急速に糾合する――民宿前のトーチカで、フリッツの乗機を前に聞かされた計画だが、具体的な数字が出たのは初めてであった。表情を崩さないよう努力しながら、フレッドは内心指折り数えて、肝を冷やした。
「なるほど、数ヶ月以内ですか。そのような短期間で、どのように支持を得るのでしょう?」
「わたしたちは、抑圧されている市民の希望の星であると、名実ともに宣言するのです」
「実、とは?」
憲兵が一瞬ほくそ笑む。目がいやらしく細められる。さながら追い詰めた獲物を見据えるように――。頭に血が上った若きレジスタンスリーダーは、勢いそのまま口を割りそうになる。そのとき、
「あっ」
マリーが唐突にカップを落とした。あちゃあ、と嘆息しながら屈む。四人の目が、一斉に机の淵からはみ出て揺れる、金髪のポニーテールに向けられる。背を丸めた技師は、床に広がるコーヒーを見つめていた。
「手が滑っちゃった……。ああ。これは、参ったわね」
戦後の困窮の時代において、コーヒーは高級品であった。それ故、代用コーヒーが一般化していたが、それだって惜しいことに変わりはない。麦一粒無為にはできない貧しさなのだ。だからこそ、マリーの嘆息は心の奥底から出てきていた。狼狽した様子で顔を上げる。
「もう。どうしよ、フレッド……。どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ」
ようやくマイペースさにつっこみが入る。しかし、これで止まる彼女ではない。
「でも、コーヒーが……」
「お前さん、それどころじゃないだろう。話聞いてなかったのか?」
「正直、あんま」
は? とフレッドが低い声で睨む。
「だって途中からよく分かんなかったもの。このおじさんが何をしたいのか、さっぱり言わないんだから」
「おお! たまには、いいことを言うな」
「でしょ?」
と胸を張ってから、たまには? と首を傾げた。が、特に周りは取り合わない。
フレッドが再び元憲兵の方に向き直り、鋭い視線を突き立てる。二人の目線が交錯したとき、おもむろにシモンが車長の背をつついた。
「……時間だ」
はっとして腕時計を確かめる。時刻は9時35分になったところであった。
カールが眉をしかめる。
「何の話をしている?」
「お客だ」
フレッドが顎で店の入り口を指し示すと、騒々しくドアが蹴り開けられた。
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