第5話 待ちわびた来客

 迷彩服を着こんだ男たちが、無遠慮に店に上がり込む。ガムを音を立てて噛みながら、小銃を携えフレッドたちの方へ近寄ってくる。カールはかすかに固唾を飲むと、落ち着いた表情を保ったまま、合衆国軍の兵士たちに正面を向けた。

 四名と一名は、すぐに十名近い兵士に囲まれた。

「お初にお目にかかる。マンシュタイン少将、ピエヒ中将、それに、そこのお下げのテロリストもだ。早速だが、ご同行いただこうか」

 にやにや笑いながら、取り囲む兵士たちがなおも近付いて来る。ニメールとシモンは、流れるように拳銃を抜き、机の下で撃鉄を起こす。マリーはきょろきょろ見回しながらも、強気な表情で威嚇する。巻き込まれたカールは静かに事態を見守り、そして、フレッドはただ一人、落ち着きはらって冷めたコーヒーを一口流し込んだ。

 ガムを噛む兵士がほとんど隙間なく近寄る。一人の膝が机に触れ、カタンと小さな音を立てた。将軍は息をつくと、音もなくカップを置いた。

「いきなり銃を持って、平和な食卓に押しかけてきて……何のつもりだ? 注文なら、こっちじゃないぞ」

 目線を下げたまま、フレッドが英語で言い放つと、兵士のリーダー格がわざとらしく笑う。

「はっ、勘違いされては困りますな。別に食事に来たんじゃありません。捕まえに来たんですよ、厄介な将軍様をねえ」

「なるほどな。で、お前さんたちは誰なんだね? 初対面の相手に、自己紹介もなしか?」

 初めて碧眼が、相手を見据えた。その瞳には、まったく動じる様子はなかった。あまりに静かな瞳に、むしろ歩兵たちの方がわずかにたじろいだ。

 咳払いしてリーダー格が応じる。

「我々は、合衆国陸軍第十四機甲師団第二十一歩兵連隊の精鋭部隊だ」

 胸を張った名乗りに、むしろプロイス語の小馬鹿にしたような囁きが広がる。

 それを雰囲気で感じ取り、何がおかしい!? と怒鳴り散らす。すると、フレッドが柔和な表情を浮かべ口を開く。

「いや、第十四機甲師団には、先日、世話になったばかりでな。マクドナルド少将の部隊だったな? あの猛将で知られる……」

 プロイス陸軍最高の頭脳から、猛将という言葉を引き出し、少しだけ誇らしげになる合衆国兵士だが、すぐその顔は上気した。

「彼の部隊と、小競り合い・・・・・があってな」

 ――ガーリー政府を恫喝して百名の将兵と二十両の戦車を無理やり送り込んでおきながら、九割以上の死傷者と戦車全両の喪失という歴史的大損害を出した戦いを、“小競り合い”と言われては、世界に冠たる合衆国として面子が丸潰れである。事実、フレッドやニメールにとっては、赤子の手をひねるようなものであったが、この正直な感想はいたく合衆国兵士のプライドを傷つけた。

 拳を握り、震わせながら、ピンク色に気色ばんだ顔が怒鳴り散らす。

「立場が分かってねえみてえだなあ!」

 拳が将軍のコーヒーカップのすぐ横に突き立てられる。ソーサーの上でスプーンが震えた。

「貴様は、もう英雄でも何でもねえ。ただの戦犯だ! 犯罪者のくそ野郎だ! これからお縄になって、裁きを受けんだよ!」

「言葉遣い汚くない?」

 マリーが小声で囁く。歴戦の勇者でもあるまいに、まるで動じていないそのマイペースさに、驚きを通り越しいっそ感心しつつ、フレッドは苦笑いで首肯した。

「にやにやしやがって、何がおかしい!」

「ああ、すまんね。昔から笑うと、こうなるんだ」

 口角を吊り上げた顔で、敵を見据える。

「腹立つんだよ、その顔――」

 合衆国兵士が心底嫌そうに舌打ちをすると、フレッドは飄々と肩をすくめる。

「よく言われるよ。この表情のせいで、会社でも軍隊でも、上司からちょくちょく睨まれた」

「貴様の身の上話に興味なんかねえ。さあ、おとなしく着いてこい」

 リーダー格の兵士が合図をすると、十人ばかりの兵が捕縛しようと、恐ろしい形相で一層距離を詰めてくる。

「ここまで逃げおおせたが、今日で貴様もお終いだ。フロイデンヴァルトの借りを、きっちり返してもらうぜ」

「フロイデンヴァルトの借り? それはどっちのことだ?」

 冷めた碧眼が、小馬鹿にするように兵士を見回す。

「一昨日の件か? それとも、昨年の件か?」

 ピタリと合衆国兵士の足が止まった。みるみるうちに顔が上気していく。リーダー格の両肩が怒りに震え出す。

「どっちのことだ? ん?」

 およそ十か月前の44年秋、黒の森とフロイデンヴァルトでの大敗北は、合衆国率いる連合軍がノルマンディーから築いてきた西部戦線の優位を瓦解させ、プロイスに一転攻勢を許し、ガーリー再占領までさせてしまった屈辱の象徴。

「戦中のことと、戦後のことを一緒にされては叶わん。捕縛の理由はどっちなんだ?」

 今、合衆国兵士を我を忘れるほど激怒させたいなら、この言葉ほど効果的なものはない。

「さあ、どっちの“フロイデンヴァルト”の件なんだ?」


 プロイス陸軍最高の頭脳と呼ばれた師団長は、目をつむって地雷原でタップダンスを踊るかのように合衆国兵士の怒りを無限に煽る。一見蛮勇にも思える行動は、その実、計算されたものだ。彼は敵の意識を、思うままに操る。見せたいものを見せ、見られたくないものを見落とさせる天才だからこそ、彼は“西部戦線の覇者”たり得たのだ。

 だが、そんな天才でも誤算はある――。


 ついに音を立てて堪忍袋の緒が切れた。

 雄叫びをあげ、リーダー格が拳銃を数発ぶっ放す。しかし、その銃口はフレッドを向いてはいなかった。彼らに課せられた任務は、マンシュタインとピエヒ、それにテロリストを、生きたまま法廷へ引きずり出すこと。決して殺してはならなかった。

 手を震わせながら拳銃を下げる。

「これは威嚇だ! 次はないぞ!!」

 そうして半歩近づき、将軍の眼前に銃口を突きつける。

 そのとき、女性のうめき声が響いた。

 驚いて皆の目が、音の主に集まる。その女は目を強くつむり、唇を引き結んで痛みに耐えているようだった。リーダー格の顔が真っ青になる。彼女は、自分の左の二の腕を掴んでいた手を、ゆっくりと離した。

「い、威嚇って……腕撃ち抜くのはありなの?」

 マリーの左腕から大量の血が流れ出る。開いた右手は、べっとりと赤く汚れていた。

 Scheißeシャイセッ!(クソッ!) フレッドの顔がゆがむ。敵の怒りを煽って、そこにつけ込んでと思ったが、煽り過ぎたか……こんな事故が起きるなんて! と言うか、どこ狙って撃ったら、威嚇射撃が腕に当たるんだ。敵の練度がこんなに低いなんて聞いてないぞ!


 皆が呆気にとられ、意識が流れる血に集中する最中、将軍は冷静に号令を発した。

「ニメール!」

 少女の瞳がはっと目を覚まし、強くうなずく。それからフレッドは大声で怒鳴った。

Hinlegenヒンレーゲン!!」

 同時にニメールが、手榴弾のようなものを取り出し栓を抜いた。すると、もうもうと濃い桃色のスモークが噴き出し、たちまち店内を覆いつくす。

「ガスかっ!?」

「発煙弾だ!」

 英語の叫び声が響く。

「奴ら逃げる気か!? よく見ろ!」

 小銃を構え、気配を探す。乱射すれば当たるかもしれないが、そのときは相打ち全滅間違いなしだ。

「何も見えない!」

 そう、彼らには何も見えなかった。だから気付かなかった。プロイス語話者の五人が、将軍の号令の後、床に伏せていたことに。


 スモークの中での戸惑いは、すぐに終わった。


 突然道沿いの窓が粉々に吹き飛び、銃弾が嵐のように店内へ舞い込んだ。


 合衆国兵は、何が起きたか理解する間もなく、悲鳴を上げて息絶えてゆく。鉄の通り雨を全身にまともに食らい、文字通り蜂の巣にされては、もうどうしようもない。ものの十秒ほどで悲鳴は途絶え、鉄の嵐もしばらくしてやんだ。スモークが割れた窓から外へ吸い出されてゆく。

 完全に霧が晴れると、穴だらけになった店内は合衆国軍の墓場と化していた。

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