1章終話 スコーピオン

 同じ頃、ベルーンに置かれたガーリー駐留軍総司令部は、重苦しい空気に包まれていた。

 老いた総司令官は自室にこもり、窓の外を見つめていた。歩哨がいつになく緊張した面持ちで、レンガ造りの壁沿いに行進していく。正門に立つ衛士の背中が、心なしか震えているようだ。そして、その小柄な門衛の見つめる先に、ベルーンの市街地が広がっていた。終戦の日以来、毎晩怯えるように静まり返っていた市内には、幾つも火の手が上がり、赤々と輝いて見えた。

 司令官はうな垂れ、胸の前で十字を切った。

 男の声が、不意に話しかける。

「ボナパルト少将の件は、誠に残念でございました」

 老将は嘆息した。

「精鋭が……かくも容易く……」

「それは、敵があの男でございますから。しかも、未知の超重戦車相手では、分が悪すぎるというものでしょう」

「しかし、民兵にも、してやられたというではないか」

「一口にそうおっしゃいましても、かの地の民兵はただものではありません。致し方ない面もあるかと――」

「君は、随分と肩を持つな?」

 突然、老将が鋭く言い放った。若い男の声が揺れる。

「そ、それは――ボナパルト少将には、多少なりとも、お世話になっておりますので」

 しばらく睨みつけた後、そうか、と司令官は呟いた。

「少将の容態は?」

「すでに回復し、後遺症の心配もないとのことです。軍医の話では、体当たりの衝撃で投げ出され、頭を強打したことによる脳震盪で、一時的に意識が朦朧としていたのではないかということでした」

「砲手と装填手も重傷じゃったな」

「いえ、重傷ではございません」

「何? 聞いた報告では、そうじゃったはずだが」

「両名とも、つい先刻、死亡いたしました」

 若い男が、悲痛さを避けるように早口で報告を続ける。

「砲手は、少将と同じように衝突時に投げ出され昏睡状態に陥り、そのまま目を覚ますことなく心肺停止となりました。軍医の診断では、脳の一部を激しく損傷していた様子です。装填手は砲基部の損壊に右腕を巻き込まれ、付け根から破断。すぐさま止血処理を行い、帰還後に輸血も行ったそうですが、この基地に到着した段階で、大量出血によりすでに危険な状態にあり、手遅れだったとのことです」

 重い沈黙が部屋に満ちる。老いた総司令官は窓に向かって静かに手を組み、祈りを捧げた。その後もう一度十字を切ると、咳払いして振り返る。

「ああ、ここからが呼んだ本題なんじゃが――大尉、君に新しい辞令がくだった。折角の人材だ。いつまでもわしの身の回りの世話をさせるわけにはいくまい」

 そう言って、机の引き出しから紙を取り出す。大尉と呼ばれた男は、黙ってそれを見つめる。

 老将の乾いた指が、紙を開いた。

「大尉の配属先は、明日より第二機甲師団となる。役職は、司令部付の作戦参謀」

「――つまり、ボナパルト少将の新たな軍師、ですか」

 その通りだ、そうこたえると、辞令書を折りたたんで大尉に押し付ける。彼はそれを震える手で受け取った。

 老将は咳払いをすると、杖をついて窓辺を離れる。そうして部屋の真ん中に置かれたソファへ腰を沈めた。後についてきた大尉に目配せし、自分の前のソファに座らせる。

「何でしょう、総司令官閣下」

「君は一連の騒動の根本原因を知っているかね?」

「根本原因、ですか?」

 分かりかねます、と首を横に振る。

「そもそもは、マンシュタインとマリアめを、とっとと逮捕しなかったことにあるのだ」

「……それは、居場所が分からなかったのですから、仕方のないことかと」

「いいや違う。潜伏先はとうに知れておった」

 初めて聞く事実に肝を抜かれる。が、考えてみれば、彼らは双方ベルーン市内に普通に暮らしていたのだ。連合軍の戦犯捜索は、現在、もはや全欧州規模を超え、全地球にまで及んでいる。それがベルーンにいて、分からぬはずがないのだ。

「どうして逮捕は、先延ばしにされたのでしょう?」

 大尉の冷静沈着な声に、少し震えが混じる。

「わしも詳細は知らん。だが、合衆国や、連合王国、それにオロシーなどの首脳陣が、逮捕に待ったをかけたらしい」

「自ら戦犯にリストアップさせておきながら、ですか? よもや無罪だと考えるようになったのでしょうか?」

「無罪なのは初めから分かっておる。ただ、処刑に反対の声があがったのじゃ。――プロイス陸軍最高の頭脳と、世界を恐怖せしめたプロイス鉄騎軍の聖母、いずれも若く、まだまだ働き盛りな二人だからの。どうせなら、自国の強化のために、戦後という戦乱の時代を優位に乗り切れるように、使役したいと考えたのじゃろう」

「つまり、将軍と技師を、濡れ衣を着せて捕まえた上、釈放と称して、捕縛した国が自軍の発展のために仕えさせる、ということですか?」

「左様。どの国が一番初めに、そんなことを思いついたか分からんが、皆その気になってしまったようでな。しかし、人間は、国土と違って分割占領はできん。そこで、逮捕をずるずると先延ばしにしながら、連合軍の首脳陣は二人の身柄確保をめぐって秘密会議を続けていたそうな」

 今後の国家間のパワーバランスに関わる重大問題と捉えておるのじゃからな、と付け足すも、すぐに表情を変えて吐き捨てた。

「愚かなものよ。人を一人二人拉致したところで、国際情勢が変わるものか」

 大尉は一つうなずいた。しかし、各国首脳は必死なのだ。次なる戦いのために、血眼なのである。どんな石ころ一粒でも、ダイヤの原石に見えてしまうほどに。

「しかし、そのような事情があったとは知りませんでした」

「当然じゃ。じゃから、何も知らずにマンシュタインとマリアを追跡し、逮捕を試みたのも、致し方ないことであろう。秘密会議の調整が完全に水泡に帰したがな」

「今回、合衆国が無理にシャーク中戦車を送り込んできたのは、ガーリーだけに二人を独占させたくなかったから、ということでしょうか?」

「そうじゃろうな。かの国の上層部が慌てて、あの青二才を送り込んだのじゃろう。今後、二人の身柄拘束は、早い者勝ちとなったわけだ。図らずも我々ガーリー軍の手によって」

 ガーリーは連合軍の一員として一応戦勝国側に数えられているが、はっきり言ってお情けである。大戦中、勝っていた時間より、負けて国土を占領されていた時間の方がはるかに長い上、二度も首都を失陥したのだ。こんな国は大戦を通して他に一つもなく、国際的な発言力は無に等しい。そういう意味では、力づくで奪い取るという方法が、まだ彼らにとっては活路がある。老将は大尉を真っ直ぐ見つめた。

「大尉、この話は君にしかしていない。ボナパルト少将も詳しくは知らんじゃろう。……君をボナパルト少将の参謀に据えるのは、あの二人を、他国に先んじて、我々ガーリーが生け捕りにするためだ」

 大尉の背筋が伸びる。

「二人を軍に協力させたところで、我ら大陸軍グランダルメの栄光がすぐに取り戻せるというのは幻想だ。だが、二人の身柄を掌握することで、国際的に優位な立場を得ることが出来るのは真実だ。そこを足がかりに、ガーリーはかつての輝きを取り戻し、国際社会へ堂々と復帰する。恥じるところなき列強として、欧州の支配者として。――君ならば、その突破口を開けよう。目下ガーリー軍に、君以上に二人を理解している人物は、おらんのだからな。そうじゃろう、ルイ・ランヌ大尉」

「ガーリーの復権のため、微力を尽くします」

 平静な声音で謙虚にこたえると、起立して敬礼する。

「それでは、もう遅いですので、これにて失礼します」

「期待しておるぞ、大尉」

 ブーツのかかとを合わせ、カッと音を鳴らす。それから、大尉は足早に退室した。静かな夜の廊下に、心臓の拍動がうるさく響いた。






 フロイデンヴァルトの広場に、合衆国製戦車のエンジン音が鳴り響く。

 無傷で鹵獲された八両に加え、履帯をきれいに新調し直したマクドナルド少将の一号車も、黒い排気ガスを立ち上らせる。その横で、怪物的な試作戦車が白い蒸気を噴き上げた。

「蒸気圧安定! いつでも出れるわ!」

 作業着姿のマリーが、機関室から操縦席側へよじ登ってくる。

「こっちは涼しいわねえ」

 ふうっと息を吐きながら、つなぎの作業着の上部分を、肩から威勢よく脱ぎ捨てる。マンシュタインは思わずぎょっとした。

「涼しいならちゃんと着とけ」

「えー、着てるじゃない」

「ほとんど下着じゃないか」

 見れば、露わになったのは、汗だくのタンクトップ姿だ。困惑する車長を意に介さず、彼女はそのまま操縦席に座った。

「待て。そのまま操縦する気か?」

「別にいいじゃない、これくらい。暑くて汗だくなのよ」

 マンシュタインは目を覆って嘆息する。

「……ああその、風邪をひくぞ。汗をかいたあと、そんな格好をしていては」

 ちぇーと、マリーは舌を出し、仕方なく作業着に袖を通した。

『……まるでお父さん』

「やっとしゃべったと思ったら、何を言い出す」

『……久しぶりに話したら文句を言われた。誠に遺憾』

 そして、同じ車内通信のヘッドホン越しに、ニメールの苦笑いの声が聞こえてくる。

「ニメール。砲塔の居心地はどうだ?」

『思ったより悪くないです。意外と広いですし』

「そうか。仏頂面の隣は飽きるだろうが、そいつの弱点は脇腹だ」

 なるほどです、と小悪魔が応じる。同時に、戦友の抗議を感じたが、無言だから聞こえはしなかった。

「ニメールちゃん。大船に乗ったつもりでいてね。そのアーモンド形の砲塔も、この戦車が最強たる所以なんだから!」

『はい! マリアさん! しっかり守られますね!』

『こちらシャーク戦車中隊隊長車、ロベルト。全車、発進準備完了』

 わちゃわちゃした車内とは別の冷静な声が、マンシュタインの耳に届く。無線を口にあて応答した。

「こちらマンシュタイン。了解」

 そうして軍服の襟を正す。と、下から不満めいた声が聞こえた。

「折角戦車の名前決めたんだから、そっち使えばいいじゃない」

 あ、ああ、そうか、と思い出したように言って、頬をかく。

 黒一色に塗装されていたX号試作超重戦車に、白い点と線でS字状の模様が描き込まれていた。砲塔と後部席、それぞれの左右側面に誇らしく描かれた模様は――

「スコーピオン、Panzerパンツェル vorフォー! ロベルト中隊は、後に続け!」


 Skorpionスコーピオン――それは驕れる英雄オリオンを誅した、大サソリである。


 大切なひとのための戦いは、まだ始まったばかり。

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