2章 怪物の東征
第1話 台風の目
1945年8月15日。
プロイスの同胞として、太平洋戦域にて無謀な戦いを続けてきた極東の島国、皇国大和が、ついに無条件降伏を受諾。第二次世界戦争は、全ての戦線において終結を見た。
しかし、時を同じくして、欧州において波が沸き立つ。不本意な敗戦を強いられ、連合軍の傍若無人な戦後の占領統治に耐えかねたプロイス市民が、首都ベルーンにて、大規模な騒乱を起こす。一局のつむじ風は、次第に嵐となり、全国をたちまちに席巻した。
その台風の目は――スコーピオンと名付けられた、一両の試作超重戦車である。
プロイス南部の大都市、ミュンヒェルン近郊に設置された合衆国占領部隊の指揮所は、非常に慌ただしくなっていた。
長机に所狭しと並べられた黒電話は鳴り続け、ずらりと座った将兵が次々と取ってはメモを走り書きする。置くと、またすぐに鳴って取る。メモが切れても、それを言いに行く暇がない。終いには机に書き出し、それもなくなると、着てるワイシャツを破って書き付ける。そんな喧騒の最中、男たちが走り回って、片っ端からメモや布切れを回収していく。
「机に書かれたメモはどうする!!」
「表面だけ引っぺがせ!!!」
そんなジョークみたいな怒号が飛び交う。
その光景を一段高いところに置かれた席から見下ろしつつ、マクドナルド少将はタバコを吹かしていた。もちろん机には、メモの山が築かれている。
頭を振って、睨み付けるように目を通してみる。
〈目標の超重戦車らしき巨大物体をトゥットリンゲンにて捕捉。潜伏中の観測兵〉
〈戦車の一団が東進するのを、近隣住民が目撃。シュトュルムガルト西地点〉
〈目標の超重戦車は未だフロイデンヴァルトにあり。偵察兵〉
〈黒の森にて、巨大な戦車らしき影を確認。付近在住の猟師〉
〈戦車部隊をボーデン湖畔の林にて目撃。近隣の店員〉
〈マンシュタイン将軍らしき男を路上で目撃。ミュンヒェルン市内〉
〈金髪の女をダッハウブルクで目撃。マリア技師では? 住民談〉
頭を抱え、メモの山を脇にどける。しばらく目を閉じて、深呼吸する。それから突然がばっと顔を上げると、新しいタバコに火をつけた。たっぷり吸い込み、めいっぱい吐き出す。白い煙がドラゴンの尾のように、どこまでも伸びていく。
新しいメモの山が置かれる。それに手を伸ばすと、その上からまたメモの束を置かれた。手の甲を何かに刺され、驚いて引き抜くと、机の切れ端が紛れていた……。何か書いてはあるが、正直読めそうにない。
タバコを吸い込み、嘆息する。
――どこだ、どこにいる……。
今や連合軍各国が、目をぎらつかせて探している獲物。
――怪物め、羽でも生やしてるのか。
錯綜する情報は、敵の工作か、或いは、注目度の高さ故の事故か。
――必ず見つけ出して、この手で捕まえてやる! 小汚いテロリストもまとめて!!
わずか一夜で八十名名近くの部下を失った怒りが、さらに彼を追い立てていた。
幾重にも張り巡らされた連合軍の哨戒網を突っ走る一団は、その頃、すでに黒の森を抜け、プロイス南端の町に立ち寄っていた。
大きな納屋の中に、漆黒の戦車がおさまる。白い蒸気を噴き出して、停車した。高く聳え立つ後部席のキューポラのハッチがかすかに持ち上がり、静かにスライドして開く。少ししてから、薄汚れたパンツァージャケットの男が顔を覗かせる。周囲を素早く見回すと、咽喉マイクを片手で押さえて囁く。すると、前方のごつい砲塔のハッチが二つ開き、細面な男と、お下げ髪の少女が現れた。
「やっと休めるのね……」
車長の横のハッチが勢いよく開く。狐の尾のようにふさふさしたポニーテールを揺らして、作業着の女が現れた。
「もう腕ぱんぱんなんだけど!」
「……まあ、通常、戦車で移動する距離ではないからな」
「今、何キロ走ったのです?」
「フロイデンヴァルトからすでに220キロだ」
そ、そんなに……と、ニメール・エローが驚嘆する。自身の立案に基づく大移動ではあるが、実際やるとなると想像を絶する行軍であった。
「オーバーホールとは言わないけど、一度全部点検したいわね。ねえ、できるかしら?」
作業着の技師、マリア・フェルディナン・ピエヒが車長に尋ねる。眠たそうな顔で、シモン・ヴォルは戦友を仰ぎ見た。
「そうだな。すぐにでも出たいところだが、人も戦車も休憩が必要そうだ。ロベルトたちもしんどいだろう」
他の納屋を間借りしているシャーク中戦車の一団を思う。
「そうとなったら決まりね!」
ハッチの上から軽快に飛び出すと、車体にくくりつけていた工具箱を引き剥がす。
「ほら、みんな降りて! 今からこの子の面倒を見るんだから!」
他の三人はゾンビのような動きで這い降り、めいめい納屋の床に倒れこむようにして眠ってしまった。
大きくて寂しい納屋には、三人の寝息と、工具の小気味よい金属音と、鼻歌のワルツが響いていた。
ボーデン湖畔の都市、フリードリヒスハーフェンは、すっかり夜闇に包まれていた。マリーはスコーピオンのみならず、九両あるシャーク中戦車の点検も一通り終え、一番大きな納屋へあくびをしながら戻ってきた。
裏の戸口を押し開けて入ると、相変わらず寝息が聞こえてくる。戦車の前方の床から、細い寝息が二つ……マリーは、ほとんど閉じかけた目でもう一人を探す。
「フレッドぉ……?」
壁際で手を挙げる人がいる。手の平がひらひらと揺れていた。導かれるようにマリーは近付いていく。そして、どさっと側にしゃがみこんだ。握り締めていた工具箱が床に投げ出され、派手な音を立てる。
「おいおい、商売道具が壊れるぞ」
優しい声音が笑う。同時に、刺激的な臭いが鼻先に漂ってきた。
「う、何飲んでるの?」
ちょっと眠気飛んだわよ……と、眉間に皺を寄せて抗議する。が、フレッドは慌てた様子で手にしていた物を隠し、ナイトキャップ代わりのクラッシュキャップを目深に被り直す。
「いや何も? 夢でも見てるんじゃないか?」
「そんな夢見ないわよ。危ないものじゃないでしょうね?」
「危ないもの? いや、それはないな」
「毒性は?」
「ある訳がない」
「中毒性」
「なくはない」
「発火性」
「あるにはある」
「危ないじゃない」
「モロトフカクテルじゃあるまいし、もったいないだろう。わざわざ手配して仕入れた高級品なんだぞ、これ」
「だから、何よそれ」
「いやあ、その……水だ」
ふーん、と鼻を鳴らす。闇の中で、安堵したようにアルコール臭いため息が漏れる。マリーは意地悪く笑うと、素早く彼の隠した瓶を取り上げた。
「お、おい!」
「どれどれー? 何よ、ウィスキーじゃない。どこの?」
「スコッチだ。いいから返してくれ」
「ダーメ。まだ調査中よ。それにしても、臭いがきついわねえ。ウィスキーって、こんな異臭したかしら?」
「それは、ラフロイグだからだ。ピート独特のスモーキーな香りが特徴なんだ」
「ふーん」
瓶の口に鼻を突っ込み、くんくん嗅ぐ。と、すぐに顔を離して咳き込んだ。
「まるで薬ね」
「まあな。事実、俺の睡眠薬であり、精神安定剤だ。だから、返してくれ」
早くも飽きたのか、今度は簡単に戻ってきた。大事そうに瓶を抱えると、金属製のコップにつぎ足す。
琥珀の液体をぼうっと見つめる。飲むことなく、香りを楽しむでもなく、ただ時を忘れたように、漏れ入る月灯りの中、静かに揺れる黄金の水面を見つめている。
マリーはその様子を不思議そうに眺めていた。再び眠気が襲ってくる。まぶたが自然と落ちてきた。それでも、薄目から、愁いを帯びた戦車兵の横顔が離せない。髭の伸びた青白い顎に、金色の波紋が揺れ映る。
「……どうしたの?」
ぼうっとした瞳が、技師をとらえる。それから、ふっと笑うと、がさがさした手が、手入れを忘れた髪をなでた。
「疲れたろう、マリー。ゆっくり休んでくれ。
……私、年上なんだけど。
若干の不満を抱き抗議しようとするも、一定のリズムで撫でられるのは案外心地よく、痩せた年下の将軍の肩を枕に、すぐに眠りの世界へ落ちてしまった。
「こう見ると……そっくりだな。あいつに」
嘆息すると撫でるのをやめ、ぐっとラフロイグを流し込んだ。
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