第21話(後半) 決闘! 絶望と希望と……

 シモンが一人砲塔内で、照準器を覗き込みながら引き金に指をかける。そして、左手でハンドルを回し、移動し続けるマレンゴをレンズの中心にとらえ直す。すぐさま、わずかに頬を紅潮させて指を引いた。腹に響く砲撃の衝撃。と同時に、張り手されたような揺れが砲手を襲い、驚いて照準器から目を離した。

「……何があった?」

『9メートルの長砲身が大木に引っかかった。狙いがずれて命中せず』

『9.94メートルよ!』

『なお悪いな』

「……木はどうなった?」

『薙ぎ倒された。今の衝突で』

「……照準に影響がないと良いが」

 子どもほどの重さがある弾頭を押し込む。

『ああ、まったくだ』

 そのとき、別の方角からも砲声が聞こえてきた。

「ちょっと、今のは!?」

 マレンゴに合わせて旋回を続けながら、マリアが声をあげる。

「パリスの105ミリ砲だ。やはり挟撃が狙いか」

『将軍! パリスは、わたしたちが足止めします!』

「無茶だ! シャークではパリスを相手どれん!」

『ですけど……!』

「ニメールちゃん、大丈夫! このX号試作超重戦車の装甲なら、105ミリ砲なんて完封よ!」

 マリアが笑顔で言い放つと、フレッドはうなずいて咽喉マイクを掴む。

「だ、そうだ。敵の狙いは、あくまで我々だ。シャーク中戦車は目立たないように、支援に徹して欲しい。撃破できなくてもいい。奴らの動きを少しでも鈍らせてくれればそれで――」

Jawohlヤヴォール!』

 元気な少女の声が、車長を奮い立たせる。その間にも105ミリ砲がぽかぽかと叩き込まれるが、何も脅威は感じない――深呼吸を繰り返し、鉄の床に踏ん張る。

「マレンゴを最優先に撃破する! パリスは好きにやらせておけ」

 頭上のハッチを閉じ、車内のペリスコープからガーリーの重戦車を追う。距離は20メートルまで迫っていた。

「シモン! 装填まだか?!」

『あと十秒』

 左側に張り付いていたマレンゴが、急速に背後へ回り込む。車体を全力で旋回させるが、もう間に合わない。

『装填完了』

「狙えるか!?」

『……敵が見えない』

 砲塔は限界まで左へ振り切っていた。しかし、すでにマレンゴは超重戦車の真後ろへ差し掛かっている。120ミリ砲がアルフレッドとマリアの乗る後部席を真っ直ぐ狙う。

「後ろはダメえええ!」

 開発者の絶叫が響く。だが、もはや車体の旋回でも振り切れない。

 彼我の距離10メートルという間近で、大口径の弾丸が吐き出される。

 が、別の砲撃音が重なり、致命打はかすかに脇へ逸れて飛んでいった。

Wunderbarヴンダーバー! よくやった、ニメール!」

「シャークの砲弾でマレンゴの砲塔を平手打ちね! Superスゥッパー!」

『やりました!』

 ニメールが明るく応答する最中、マレンゴがよろめきつつも、さらに前進してくる。

「あれ、マレンゴどこ?」

 左旋回を続けながらマリーが、正面の小窓を覗きこむ。

「まずい! 右旋回! 右旋回だ、急げ!」

 キューポラの後ろ側のペリスコープを覗いたフレッドが張り叫ぶ。

 左から接近してきたマレンゴは、X号の背後を抜け、そのまま右へ出ようとしていた。車体は無防備に側背をさらし、砲塔は左へ――真逆へ振り切ったままだ。

 マリアが必死の形相で左右の逆転を入れ替える。マレンゴとの距離が一気に縮まってくる。シモンもペダルを踏み込み、砲塔を右へみぎへ旋回させる。120ミリ砲が轟音を鳴らす。弾丸が初速のまま車体の真上を通過していく。

「この距離――車体側面で弾けるか……?」

 浅く息をしながらフレッドが呟く。すると、開発者はあはは……と笑った。

「それは……難しいかなあ」

『将軍、マレンゴとX号の距離が近すぎて撃てません!』

「相打ちになってはかなわん。無理に撃つな」

『分かりました! 申し訳ないのです!』

「構わん。できることをやってくれ!」

 一拍置いて聞こえてきたJaという短い返事に――フレッドの足が震え始めた。

 車体も砲塔も、到底旋回が追いつかない。次弾が車体側面に命中すれば、この超重戦車もさすがに終わりだろう。マリアやシモン、フレッド自身も――。ニメールたちも未来は暗いだろう。あまりの絶望感……足元が抜けて、底なしの穴に落ちてゆくようだ。絶望の中に、何とか活路を見出そうとするが、それは撃破後の逃走の可能性や、無謀な法廷闘争のことだ。

 ――短い生涯だった。その終わりに、他人を巻き込みたくなかったが……。許してくれ、エミーリエ。情けない夫が、すぐ会いに行くぞ。

 下を向き、固い表情でお祈りを済ませる。そして、“その時”を待った。


 その絶望的な静止を、希望という信念の声が叩き起こした。


「右って斜面よね?」

 フレッドははっとして、振り向いた操縦手を見つめる。金髪の短いポニーテールを揺らし、青い炎を宿した目が自分を見ていた。

「フレッド? 聞いてる?」

 眉間に皺が寄る。

「あ、ああ」

「右って斜面?」

「そうだ。だが、もう打つ手が……」

「あるわよ!」

 マリーがぐっと拳に力をこめて、左右のレバーを握る。揺らぎない瞳で前へ向き直る。

「ちょっと揺れるから、掴まってて!」

 すぐさま左履帯の逆転レバーを引く。巨大な車体が旋回をやめ、全速で後退し始める。血管の浮き出たマリーの右拳が加減レバーを押し、右履帯の速度を落とす。超重戦車はゆるやかにカーブし、右後方へ突進していく。この予想外の動きにマレンゴの反応が遅れた。超重戦車の巨体がバックで、自分たち目掛けて猛スピードで突っ込んでくるのだ。あらん限りの全速力に、斜面の重力を乗せて!

「マレンゴどっち?!」

 叫ばれ、フレッドは慌てて後ろのペリスコープに目を押し当てる。

「目標敵戦車、六時方向!」

 突撃コースに、動揺する敵を完全にとらえた。マリーは舌なめずりし、左右履帯を全速いっぱいにする。

「いっけえええええええ!」

 金属同士が金切り声を上げて衝突する。脳を揺さぶる激しい衝突に、思わずフレッドはうずくまる。X号の角ばった車体後部が、マレンゴに斜め前から激突した。左の履帯に接触し、断末魔をあげさせる。長大な120ミリ砲を力に任せてへし折り、優美な砲塔を陥没させ、勢い良く明後日の方向へ捻じ曲げる。下り坂で150トンの超重量を1500馬力の全速力でぶち当て、衝突後もごりごりと押し続ける。そのまま斜面半ばまで押しやると、ようやくブレーキをかけた。100トン以上の重量差に、速度と重力を乗せた完璧な突撃で、マレンゴの砲塔は完全にイカれていた。

「どう? やったでしょ?」

 フレッドが車内で呆然と立ち上がり、敵戦車を確認する。憐れなマレンゴ重戦車は、車体より上が全て無惨に破壊されていた。

「目標敵戦車、大破。攻撃能力を完全に喪失……」

「ほらね! 希望を捨てたらダメよ! どんなときも、やりようはあるわ!」

 しばらく無言で外を見つめていたが、車長は一つ息をつくと、ぎこちなく苦笑した。

「そう、だな。バックで体当たりとは、想像もしなかったが」

『……大口径榴弾よりも酷い被害だ』

 シモンが不服そうにコメントする。

「砲手あがったりだな」

『……』

「冗談だ」

 そう言って、ようやくフレッドはいつも通り笑った。唇の端をねじ上げて。

 残されたパリス中戦車が、車長の視界の端で右往左往している。冷静な瞳がしばらく無力な敵を見つめる。無言で深呼吸を繰り返す。が、最後には意を決し命令した。

「目標敵戦車、七時方向、距離80メートル」

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