第20話 第三の敵
ボナパルト少将率いるガーリーの戦車隊は、果たしてフレッドの予想したとおり、合衆国軍の登っていった高台を遠巻きに、森の中のわずかな平原に集合し聞き耳を立てていた。
「中佐。砲声がやんで、どれくらいになる?」
マレンゴ重戦車にもたれかかりながら、副官に問いかける。木々に囲まれた野原に小鳥のさえずりが明るい。穏やかな夏の午前に蝶が舞う。ベルモン中佐は重戦車の影に入り、眉をしかめて腕時計を見る。
「もう四十分ほどです」
「あの高台からここまで、一直線で来れば三十分という想定だったな……。索敵を含めれば、そろそろ現れてもおかしくないか」
「あの超重戦車の機動力がどれ程のものか、正直疑問がありますがな」
「それも道理だ」
爽やかな風が吹く。敵が迫っているのは間違いないはずだが、どうにも緊張感を削ぐ陽気である。
しばらく腕を組んで風を感じていた少将は、首を振って目を見開いた。
「頃合だろう。総員、乗車。戦闘準備」
「総員、乗車! 戦闘準備! 警戒を厳にせよ!」
中佐が自身の乗機に走りながら号令を発する。と、野原で寝転がっていた隊員たちが飛び起き、個性的なフォルムの戦車へ乗り込んでいく。ガーリー軍の陣容は昨夜の戦闘で大きく減らされたとは言え、マレンゴ重戦車一両とパリス中戦車四両が健在である。しかも、合衆国のM4戦車と異なり、武装はパリスでも重戦車並の105ミリ砲、マレンゴに至っては世界最高水準の攻撃力を誇る120ミリ砲である。その上、機動力も抜群であり、鈍重なX号試作戦車では回り込まれたらひとたまりもない。かと言って、レジスタンスには、パンツァーファウストなど、その敵の突撃を阻止する手立てがもはやないのも事実である。
ボナパルト少将はキューポラから上半身を出し、双眼鏡で木々の間を覗き込む。そして、やや距離をおいて同じように周囲を見張る中佐に叫んだ。
「よく見ろと伝えろ! 真の敵は超重戦車でなく、見付けづらい民兵だ! 木の幹とパンツァーファウストを見間違えるなよ!」
副官が復唱して伝達する。そうしてまた静寂が訪れ、総出で索敵を続ける。――致命的な勘違いに誰一人思い至ることもなく。
不意に一人が大声をあげた。
「七時方向、戦車らしき影!」
少将が背後を振り向く。
「距離は!?」
「およそ30メートルです!」
驚いて野原の端を見つめる。たしかに木々が不自然に揺れている。エンジン音も響いてくる。ボナパルト少将は反射的に真逆を、正面の森を覗き込んだ。一秒足らずで背後の動きを陽動と疑い、歩兵の放つ対戦車兵器の不意打ちを警戒したのだ。
ところが、その勘は幸運にもはずれた。
「七時方向、25メートル! シャーク中戦車です!」
安堵の息が漏れる。
「敵ではなかったか……」
安心して振り返ると、合衆国自慢の戦車はぼこぼこで、走るのがやっとという有様であった。しかも、一両しか姿がない。
「一体何両で出撃したんだ? 中佐、分かるか?」
「存じませんなあ。私は今朝から合衆国側とは一切連絡をとっておりませんで……」
「そうだったな。まあ、予想通り、壊滅的な被害だったようだし、唯一逃げ延びた一両なのかもしれないな」
呆れ混じりに嘲笑を浮かべた。
そして、ほぼ同時に、少将は激しく頭を揺さぶられた。
脳みそを鷲掴みにされ、かき回されるような揺れに吐きそうになる。
目眩を感じながら前方を向き直ると、そこに一両いたはずのパリス中戦車がいなくなっていた。目をこする。さっと影が大地をなで、風を鋭く切る音が頭上を通り越す。それを思わず追って後ろを見ると、大きなパリスの砲塔が火をまといながら野原に落下した。草地が鋼鉄の残骸を優しく受け止める。
そこでようやく、真っ白に散った少将の頭に、血が返ってきた。
「敵重戦車だ! 十二時の方向、距離50メートル!
師団長の怒号に慌てるように、全ての戦車砲が一斉に火を噴いた。砲弾は木々を薙ぎ倒し、推力を失って山肌に突っ込んでいく。真っ黒の奇怪な超重戦車には全く攻撃が届いていない。
白い蒸気を履帯裏から噴き上げ、漆黒の怪物が斜面を一歩一歩おりてくる。巨大な砲塔がゆっくりと旋回し、凶悪な14センチ砲が次の獲物を品定めする。そして轟音とともに巨大な砲弾が発射される。徹甲弾はわずかに下にそれ、マレンゴ重戦車の目前の地面に突き刺さった。
ボナパルト少将は総毛立った。だが、反射的に彼は張り叫ぼうとした。撃ち返せ! と――。しかし、新たな砲声に遮られた。
「
代わりに出た言葉は驚愕であった。顔面を引き攣らせ、背後を振り返る。
――M4シャーク中戦車の砲が、真っ直ぐ自分の方を狙っていた。
煙がうっすらと砲口からたなびいている。
「何のつもりだ、ヤンキーめ! 同士討ちするつもりか!?」
怒鳴ると、シャーク中戦車のキューポラが開いた。どの面下げて謝罪するのかと息を荒くして睨みつける。それから、出てきた顔を見て、呆気にとられた。
脂ぎった少将はそこにいなかった。
まだ幼い顔の少女が、金髪のお下げ髪の女の子が、姿を現したのだ。
もちもちとした桜色の唇が動いた。
「
ボナパルト少将はようやく状況を飲み込む。全身から汗がふき出る。
しかし、名将の決断力は、これしきでは揺るがなかった。
「後退。森の中だ!」
「所属を偽って不意打ちするとは、立派な陸戦条約違反だ……」
木々を踏み倒しながら斜面を滑り降りていく試作重戦車の中で、フレッドはため息をついた。
「律儀な石人間様が良かったの? そんな作戦を了承して」
「生きるためだ。仕方ない。神も法も、我の味方である限り、だ」
マリアの問いに胸を張ってそう答えると、都合のいいことで、と毒づかれた。
『装填完了。今度は車体を完全に停止させてくれ』
「そう言われても無理よ! こんな急斜面で止まるわけないじゃない! 100トン以上あるのよ?!」
「自然に落ちる分だけ、後退すればいいんだ」
「そんな無茶言われても!」
「何を言ってる。俺の指揮した第七装甲師団では、それくらい基本技能だった」
「私、ただの技師だからあ!」
抗議しながらマリアは逆進に切り替え、速度を調節する。
『そのまま……そのまま……』
シモンが手動ハンドルを回し、退いて行くガーリー戦車に対し照準を微調整する。
『用意よし』
「
発射の震動が後部席を襲う。マリアはすぐさま前進に切り替え、坂を駆け下って行く。
14センチの砲弾はパリス中戦車一両の脇をかすめて地面に落ちた。狙われていた中戦車が思わず足を止める。この隙をついて、ニメールのシャーク中戦車がこの戦車を撃った。装甲の薄い側面に合衆国製の砲弾が突き刺さり、重戦車並みの巨体から火が吹き零れる。――斜面の上にいる三人の耳に、静かな蒸気機関の駆動音の狭間から、燃え盛る人間の断末魔が聞こえてくる。だが、それも数十秒と持たず、完全な静寂が草地に戻るころには、ガーリー軍の残存車両は、すでに森の中へと逃げ去ってしまっていた。
「やっかいなことになったな……」
終わったーと、操縦席で脱力しかけたマリアが、半端な姿勢で固まる。そのまま首を回して、車長を仰ぎ見た。
「どういうこと?」
「マレンゴ重戦車とパリス中戦車が一両ずつ森へ逃げ込んだ。だが、敗走したわけではない。この開けた草地より、鬱蒼とした山の斜面の方が、戦いやすいと判断したんだ」
「えーと、つまりは戦略的撤退、ってやつ?」
マリアが首を傾げる頃、シャーク中戦車も困惑した様子で立ち尽くす。
「戦略と言うほど長期ではない。せいぜい戦術的撤退……まあ、誘引と表現するのが最も的確だろう」
「誘き寄せてる、ってこと?」
そうだ、と首肯した。
「彼らにはまだ戦う意志がある。手段もある。機動力の差を考えると、あまり乗り気にはなれないが、ヤル気満々な敵を、町の近くに野放しにしておくわけにはいくまい。それに――」
次の句を言いかけるが、無線が車外にも通じていたことに気付き、慌てて口を閉ざす。
『やるからには徹底的に叩きましょう、将軍。大してお力にはなれないかもしれませんが、わたしたちも全力を尽くします』
ニメールの意気込んだ声が届く。フレッドは密かに嘆息すると、喉元のマイクを摘まんだ。
「互いの距離を30メートル以内に保て。相互に支援できる位置のまま森の中を索敵する。シャーク中戦車は我々の後に続いてくれ」
マリアがハンドブレーキを解除し、加減弁レバーを握る。
「もういい?」
「ああ……あいや、待て。お前さん、今更だが、拳銃は持ってるんだろうな?」
「拳銃? 持ってないわよ?」
きょとんと首をかしげる。その純粋な瞳に、アルフレッドは苛ついた様子で頭を掻き、自分の腰から一丁抜くと手渡した。
「持っておけ。いざ撃破されたとき、そいつで身を守るんだ」
「え、そんな……。それに、自分のは?」
「俺のはある。今渡したのは、昨日、民宿の武器庫から拝借したものだ。お前さん、何となく持ってない気がしたからな」
深くため息をつく。マリアは慣れない手つきでピストルを触り、つなぎのポケットに粗雑に押し込んだ。
「なんで今、渡すのよ……」
「怖くなったか?」
「舐めないでちょうだい。この子の装甲は、世界一よ」
自身に満ち溢れた表情で、将軍を見上げる。しかし、実戦指揮官はそれだけでないことを、よく承知していた。
「どうだかな」
唇を意地悪くゆがめ、肩をすくめる。
「まあいい。行こう。
重量150トンの怪物は白い蒸気を足元より噴き上げながら、小振りな同伴者を連れて、恐るおそる木々生い茂る斜面へと滑り込んでいった。
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