第9話 追跡

 同じ頃、黒の森の東にある大都市シュトゥルムガルトに、小規模なガーリー機甲部隊の姿があった。

 カフェで朝のコーヒーを飲んでいた少将のもとに、副官のベルモン中佐が戻ってきた。

「聞き込みをしてきましたよ、閣下」

 プロイス語で書かれた新聞を脇へどけ、報告を促す。

「例の黒い戦車はやはり街道をずっと南へ向かっているようです」

「となると……やはり彼らの狙いは亡命か」

 地図を机に広げる。

「そうでしょうな。このまま南下を続ければ、スイス・アルペン共和国に入ります」

「あの永世中立国か……たとえ外務省が要求しても身柄は引き渡さないだろうな」

 ベルモン中佐が苦い顔でうなずく。

「何としても国境を越えられる前に、我々の手で捕まえなければならない。そうでないと、永遠に機会を逃すことになる」

「まさか中立国のスイス・アルペンに、機甲部隊で侵入するわけにはいきませんからな」

 考えたくもないことだ、と返すと、少将はすぐに立ち上がった。

「燃料の補給は済んだな?」

「もちろんです、閣下」

「それではすぐに出立だ」

Ouiウィ

 そう言って二人で店を出ようとする。ところが、一人の部下がカフェに転がり込んできて、慌てて上官らを押しとどめた。

「何だ、どうした?」

 ベルモン中佐が驚いてたずねる。

「最新の目撃情報です」

 肩で息をしながら、中佐にメモを手渡す。彼は少将と顔を見合わせた後、首を傾げてメモを開いた。

 それから眉間に皺を寄せた。

「閣下、どうやら目標が進路を変えたようです」

「どういうことだ?」

 メモを差し出しながら説明する。

「彼らは南下をやめ、西へ進路を取ったとのことです。黒の森南端をフロイデンヴァルト方面へ抜ける街道へ向かったとの情報です」

「そんな馬鹿な……そちらはガーリーだぞ」

 完全に意表をつかれ困惑する。

「欺瞞情報ではないのか?」

 しかし、情報をもたらした部下が首を左右に振る。

「一般市民が、それも一人や二人でなく、目撃した者は皆口をそろえて、南下などしていない、西へ、黒の森へ向かっていたと言っているのです」

 若き指揮官は考え込んだ。


 ――マンシュタイン将軍はプロイス陸軍最高の頭脳だ。身をもって、それを実感している。そんな男が追われているのを察した上で亡命を図るのに、素直に直進するだろうか? 確かに戦車の速度性能をうかがう限り、変に小細工に時間をかけるより、一切の偽装なしで目的地へ向かうほうが良いかもしれない。だが……これが偽の情報で、本当はスイス・アルペンへ向かっているとしたら、下手をすれば取り返しのつかないことになる。

 いずれにせよ、ガーリーに近付けばそこで彼らの逃避行は終わりだ。もちろんプロイス国内よりもはるかに多くの味方がいるのだから……。


 では、なぜそれを承知で西へ向かうのか――疑問を感じるが、今は熟考する時ではない。

「ベルモン中佐は中戦車中隊を率いて、引き続き南下してくれ。私は重戦車小隊とともにフロイデンヴァルトへ向かう」

「しかし閣下、それでは万一目標戦車と交戦状態になった際、危険ではありませんか?」

「ほう? 中戦車九両では不安かね」

「いえ私は問題ありません。しかし、閣下が……」

「三対一で負けると?」

 副官は一瞬黙る。だが、相手が相手ですので、と呟いた。少将は笑い飛ばした。

「仮に目標がプロイスの最新鋭重戦車であっても、我がガーリーの重戦車小隊が引けをとることなどない。こちらも時代を先駆ける最新鋭だ。プロイスがまだ戦車王国を名乗るなら、ガーリーは戦車帝国の旗を振るさ。さあ出発だ。時間との勝負だ!」

 ガーリー軍服の三人がカフェを出て行く。マスターが珍しく行儀が良かったと嘆息すると、カウンターで緊張していた初老の紳士が苦笑いする。その隣に座る金髪の女性がそっとサングラスを上げる。青い瞳は、窓の外、三人の軍人の姿を追っていた。






 アルフレッドは乱暴に部屋のドアを開けて入ってくるなり、くたびれてベッドに倒れこんだ。一人本を読みふけっていたシモンはびくりとし、静かに振り返る。戦友は前髪をかきあげてうめいた。

「駄目だ。てんで目撃情報がない」

「……何の?」

「フリッツ――こと、フリードリヒ・ヨアヒム・ピエヒ第551独立重戦車大隊指揮官殿のだ。彼の乗機は間違いなくこの宿の前、ちょうどそこで撃破された。背後から撃たれたのが致命打となって戦車は炎上。ハッチを開けてクルーは全員脱出。その後だ!」

 拳がベッドを殴りつける。車長の体が揺れた。

「誰も見たものがいない。ニメール含め、午前中ずっと聞き込みをしていたが、撃破の瞬間を見たものがいない……このままではお手上げだ」

 深々と嘆息する。シモンは本を閉じ、自分のベッドに腰掛けた。

「……ここで戦った将兵の遺体は?」

「回収できる遺体はすべて我々が回収しただろ。黒の森のはずれで丁重に葬ったのを覚えてないのか?」

「……遺体が回収不能の場合、先に遺留品が住民に持ち去られている可能性はある。特に携行武器類は」

「連合軍が持ち去った可能性もあるぞ?」

「……けれど、もしこの町にあれば、“遺留品”としてある可能性は高い」

「確かにな。脱出して自分の安全が危ういときに、気前よく拳銃を渡したりはしないしな」

「……この宿の武器庫はもう見たのか?」

「いや、まだだ。何となく、入る勇気がなくて」

「……無理もない」

 見に行くか? と戦友に声を掛ける。と、アルフレッドは頭を掻いて起き上がった。

「まずは亭主か、ニメールに許可を取らないと……」

 そうして二人は階下へ降りてゆく。ちょうど亭主の姿が見えた。呼びかけようとするが、こちらには気付かず慌ただしく玄関へと走ってゆく。二人の戦車兵は顔を見合わせると、後を追った。

 亭主がドアを押し開けた。すると、夏の日差しを受けて輝く真っ赤なビートルと、傍らに立つサングラスをかけた女性の姿が、二人の目に飛び込んできた。

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