第8話 痕跡

「ねえ、フロイデンヴァルト・レジスタンスって、そんなに強いの?」

 翌朝、簡素な食事に舌鼓をうっていると、マリアが不意に尋ねてきた。

 町を連合軍から救った少将が、わざとらしく呆れて見せる。

「“そんなことも知らないの?”」

 技師は頬を膨らませる。その悔しそうな表情を、唇の端をねじ上げ、ニヤニヤ顔で一しきり楽しんだ後、アルフレッドは口を開いた。

「敵のすねを正確に、かつ何度も執拗に、ばれないように蹴り続ける――そんな戦い方だったな」

 シモンが同意してうなずく。

「すっごく痛そうね」

「だろうな。44年の初夏、連合軍はここフロイデンヴァルトを橋頭堡の一つにして、対プロイス戦略を練っていた。ここはガーリーとの国境沿いだからな。ガーリー軍と、あと合衆国の軍隊が大挙してこの町に攻め込み、あっという間に占領した」

「……数的には合衆国軍が主力だった」

「そうだな。何の考えも無しの物量戦だ。まあ、我々は成す術なく退却を強いられたわけだから、負け犬の遠吠えだが」

 当時、マンシュタインの指揮する第七装甲師団は黒の森の東まで後退を余儀なくされた。国境から100キロ奥まったその地点が、国土防衛の最前線となっていた。

「連合軍はフロイデンヴァルト占領後、すぐにここを要塞化し始めた。橋頭堡を確固たるものとして、プロイス領内への侵攻を安心して行えるようにしようとしたんだ」

 もし連合軍が後方を軽視し、そのまま勢いに乗ってプロイスの領内深くまで進攻するようなら、フロイデンヴァルトを奪還してガーリー本国と進軍してくる連合軍との補給路を閉ざし、袋叩きにする計画も存在した。

 が、連合軍は想像以上に丹念に後方の拠点を築こうとしていた。

「もしや連合軍のフロイデンヴァルト要塞が完成したら、容易には攻め落とせなくなるのではないか……? もしここの奪取に時間がかかったら、国内を進撃する連合軍が先にベルーンに到達するかもしれない。首脳部はそれを心配し出したんだ。だから、待ちの姿勢でまず敵を国内に引きずり込む機動防御ではなく、先手必勝で敵がフロイデンヴァルトに留まっている内に攻勢を仕掛け追い返すことになった」

 だが、当時そんな一大攻勢を仕掛けられる部隊はすでに数少なくなっていた。マンシュタインの第七装甲師団が最も近くにいるまとまった兵力だったが、それでも繰り返される退却戦の中で消耗は激しくなっており、防衛はともかく攻勢に出られるほどの規模ではなかった。一般的に、攻勢時は防衛時より多くの戦力が必要とされるのだ。

「でも、戦力が不足してた分は、開発したてだったティーゲル・ドライを配備したじゃない」

 マリアが突っ込む。

「あれは、まさにその黒の森作戦で使うためだったでしょ?」

「そうだ。だが、十分な数行き渡るには時間がかかるし、新車両での訓練もしなきゃならん。その間にも連合軍の要塞化工事は進んでいた。空襲しようにも制空権は失われていたし、せめてもと自走砲部隊が連日連夜、黒の森を飛び越える超長距離砲撃を行っていたが、それを上回るスピードで建設が進んでいた。が――それがあるタイミングから、如実に遅れを見せるようになったんだ」

 そして、師団長は部下にその訳を探らせた。

「すぐにあることが分かった。要塞建設の現場や資材庫で、事故が不自然なほど多発していたんだ。完成間近だった監視塔が次々崩落して塵と化したり、弾薬庫を含めたありとあらゆる倉庫で連日不審火騒ぎが起こったり――突貫工事とか占領軍が大規模すぎて秩序維持が行き届いていないとか、そういう次元ではなかった。そう、もはや事故に見せかけた故意であると、考えざるを得ないほどだった」

 その“犯人”の正体が知れたのは、秋口になってからだった。

「数ヶ月間の完全犯罪の果てに、ついに現場を押さえられ連合軍に犯人は捕まった。尋問の結果、フロイデンヴァルトの住民により構成されたレジスタンスの活動であったことが判明した。それまで建設作業や周辺雑事の手伝いとして占領地の住民が奴隷のように酷使されていたが、それが仇となったんだ」

「どうやって部下はそのことを知ったの?」

 マリアが尋ねると、アルフレッドは顔を伏せた。そして別のところからこたえがあった。

「――連合軍はレジスタンスに対する見せしめとして、わたしたちフロイデンヴァルトの住民を大量に処刑したのです。教会のある町の広場に一列に並ばせて、一人ひとり頭を……」

 はっとして振り向くとニメールがコーヒーのポットを持って立っていた。

「食後にコーヒーはいかがですか? と言っても、代用コーヒーですけれど」

「いただこう」

 少将がカップを差し出す。ニメールはにっこり笑って注ぎ出した。

「まあ、実際、部下はそれを見て報告してきた。レジスタンスの奮戦の結果、要塞建設は大幅に遅れ、その間に第七装甲師団は一大反撃に十分な戦力を蓄えることができたんだ。だからこそ、黒の森作戦は成功した……だが――」

 言葉を切り嘆息する。マリアはじっと次の言葉を待ったが、アルフレッドはそれをコーヒーで押し流してしまった。技師は唇を尖らせると、仕方なく興味を別のほうへ向けた。

「でもニメール、あなたは無事だったのね」

「……卑怯だと思いますか?」

「Nein! 生きていることが罪なことだって言うの?」

「聖書はそう言っているが」

「ちょっと黙ってて」

 軽口を叱られ戦車長は軽く肩をすくめる。

「どんなことがあっても、生は希望よ。死んだら何にもならないわ。私も変な嫌疑をかけられてるけど、生きて逃げ延びるつもりよ」

「変な嫌疑? 何のことですか?」

「こちらの戦車開発責任者マリア・F・ピエヒ技師は、非人道的実験を行ったとして連合軍から一級戦犯に指定されているんだ」

 アルフレッドが説明する。

「そんな――国際軍事裁判は、正しく裁いてくれないのですか?」

 ニメールの純粋な問いにマリアは肩をすくめた。

「ベルーンではすでに無罪の人が何人も、処刑されたわ」

「いやまあ原初的には、無罪ではなかろう。軍人は等しく犯罪者だ。不合理なのは、一方しか裁かれないということさ」

「私は戦車作ってただけよ。直接殺したことはないわ!」

「……お前さんに関してはな」

 呆れたように呟く。

 ニメールは目を伏せて嘆息した。

「そもそもどうしてプロイスの法廷に、プロイス人の裁判官がいないんでしょう……。それがもう、おかしいですよね」

 負けたからさ、と少将が返す。

 と、そこへ亭主の声が重なった。

「ニメール! 昨晩の死体を片付けてくれ! 邪魔でしょうがない」

 風穴のあいたガーリー兵の亡骸を足蹴にしながら食材を厨房へ運び込む。

「はい、お父さま」

 コーヒーポットを片手に慌てて駆けて行く。

「まだ庭に埋められるよな?」

「ええ。ただ、そろそろお隣の空き地を買い取った方がいいかもしれません」

「戦後の方がペースが早いな」

「そうですねえ」

 和やかに親子で会話をしつつ、少女は死体をかついで庭へ出て行く。しばらくして土を掘り返す音が聞こえてきた。

 コーヒーの余りをぐいと飲み干すと、アルフレッドは苦笑した。

「この親子にはどんな法廷も黙っておれまい」

 シモンがつられて口角をあげた。

「お味はいかがでしたか?」

 亭主が微笑んで尋ねてくる。いつの間にか背後にいたことに少々驚きつつGutとうなずいてみせる。

「それは良かった。ところで、マンシュタイン閣下にぜひ見てもらいたいものがあるんです。お時間いかがですか?」

「どうせやることなんてないさ。いいだろう」

「私もいい?」

 マリアが手の甲で口をふきつつ立ち上がる。シモンは黙って朝刊を開いた。

「もちろんです、フロイライン」

 亭主は笑顔で首肯すると二人を宿の表へと案内した。正面の玄関を出ると、目の前の道の真ん中に、連合軍が建設したトーチカがあった。分厚いコンクリートで覆われたそれは、取り除き難い戦争の傷跡として、朝の日の光を吸収していた。

「中へどうぞ」

 亭主が裏に回って二人をトーチカ内へと誘う。意外に広い中はしかし夜かと思うほどに暗かった。主人がランタンに火を灯す。と、暗闇の中に、二人にとって見覚えのあるシルエットが浮かび上がってきた。

 巨体は半分近く焼け焦げており、かろうじて残った丸頭には無数の線が走っている。すべて敵弾を弾き返した跡だ。誇らしくかかげていたであろう砲は傍らに落ち、あまり原型を留めているとは言い難い。それでも二人には分かった。

「ティーゲル・ドライね」

「ああ……」

 重量90トンの威容を誇り、無敵の装甲と10.5センチ砲でプロイス国内に入り込んできた連合軍を蹴散らした救国戦車。果てるまで戦い続けた鉄騎には、未だに闘志が燃えているように思えた。

「閣下の第七装甲師団で戦っていた戦車です。連合軍支配下にあったこの町を奪還するために、戦ってくださった一両です」

「このトーチカ内で撃破されたのか?」

「いえ違います。撃破されたのは宿屋の前の路上です。それをレジスタンス皆でここへ運び込んだんです。重くて大変でしたが、当時はとにかく武器をかき集めていましたから。使えるかは問題じゃありませんでした。必死だったんです。解放されたとは言え、それで戦争が終わるわけではありませんでしたし、もしもう一度連合軍が来ていたなら、やはり必ずここは戦場になったでしょうから」

 なるほどな、と呟くと、残骸の周囲を回る。マリアも固唾をのんで後に続く。

 戦車は車体後部が特に激しく燃えていた。おそらく背後から撃たれたのだろう。それが燃料に引火して鋼鉄を焼いたのだ。乗員ハッチはすべて開け放されていた。無事火の塊からは逃げられたようだが、その後どうなったのだろうか……。火災を起こした戦車から脱出した部下の話は複数聞いている。そのまま上手く逃げ延びたものもいたが、敵の機銃斉射の餌食になったものもいる。この戦車のクルーは、どちらだったのだろうか――嘆息しながら前を周り、反対側へ回り込む。すると、燃えカスがついた砲塔に薄っすらと三桁の数字が見えた。師団長ははっとして煤を払う。

「233号車……」

 思わず目を大きく見開いた。

「ご主人。この戦車に乗っていたクルーは脱出後、どうなったか分かるか?」

 が、肩をすくめ首を横へ振った。

「Nein. 直接戦車が撃破されたところは見ませんでした。正規軍同士の戦闘中は、情けないことに腰が抜けてしまって、家の真ん中で震えてましたから」

「娘さんは?」

「あの子は外でレジスタンスを率いて戦っていました。撃破の瞬間を目撃したかまでは分かりませんが……」

 そうか、と呟くと今一度車体番号を見つめる。それから隣に立つマリアに言った。

「ティーゲル・ドライ233号車は、第551独立重戦車大隊の指揮車だった。44年の秋まで」

 ぽかんとする技師の顔をちらと見やる。と、今度は、真っ直ぐ正面から見つめ、はっきり告げた。

「44年の秋、黒の森作戦開始時の第551独立重戦車大隊大隊長の名は――フリードリヒ・ヨアヒム・ピエヒ大尉。お前さんの弟だ、この戦車に最後に乗っていたのは」

 早速見つかった尋ね人の痕跡に、二人の心臓は騒々しく鳴った。

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