第7話 ビール! そして流れ出すワイン

 早速食堂に通されると、質素ながら温かいスープでもてなされる。

「ビールを一杯!」

 アルフレッドがエプロンを着けた宿の親父に頼む。厨房から、はいよ! と太い声がこたえる。

「あ。私、スプリッツァーがいい。お願いできるかしら?」

Jaヤー, natürlichナトゥーリッヒ(はい、もちろん!)」

 ちょうどポテトのマッシュを運んできた先ほどのトラック運転手が、少女らしい笑顔で応じる。それを聞いたアルフレッドが首を傾げる。

「ほう、スプリッツァーか。またどうして。たしかオーストライヒ発祥の白ワインカクテル、だったよな?」

 プロイス人なら黙ってビール、と言わんばかりの彼には違和感があるのだろう。下戸のシモンは黙って会話を聞いている。

「そうよ。私の故郷の味よ」

「そうか。技師……あ、女史はオーストライヒ人だったのか」

 一応身が割れることを警戒し言葉を選ぶ。

「そんなことも知らないの?」

「知らん」

 不満顔のマリアを軽くねめつけ、早速運ばれてきたジョッキのビールに口を付ける。

「やはり、じゃがいもとビールだな」

「さすがベルーン人は食が痩せてるわね」

 ここぞとばかりにやり返す。シモンは黙々と、ナイフとフォークを動かし続ける。

「オーストライヒだってそう変わらんだろ」

「甘いわね。ザッハトルテ並に甘いわ。プラフッタのターフェルシュピッツを食べて御覧なさい。または、ヴィンナー・シュニッツェルを」

「ヴィーン風カツレツか。ヴィーンを名乗ってはいるが、あんなの北イタリーを支配してた頃の輸入品じゃないか」

 むうっとマリアが頬を膨らます。彼女はあくまで技術屋であり、口八丁のやり合いは本来不得手だ。フレッドの切り返しにたちまち言葉を詰まらせた。

「お味はいかがで?」

 厨房から出てきた宿屋の主人が気さくに話しかけてきた。

Gutグートゥ(うまい)」

 言葉少なにアルフレッドは応じると、人懐っこい笑みを返された。

「それは良かった。何せ最近客が少ないもんですから、腕が鈍ってないか心配で」

「すっごく美味しいわ!」

 マリアが笑顔でこたえる。シモンはもう皿を空けていた。

 アルフレッドはビールジョッキを傾け、亭主に尋ねる。

「この宿屋は家族でやってるのか?」

「ええ、そうです。と言っても、今は娘のニメールと私の二人ですが」

「奥さんは?」

 マリアの愚かな質問に二人の軍人は目を逸らす。

「占領中、連合軍の兵士が押しかけてきて……野獣のように……」

 苦しそうに息を漏らす。技師は謝罪の言葉を口にして下を向いた。それに亭主は首を振る。

「いやいいんです。せめて娘が無事で本当に良かった……」

 厨房で鍋を火にかけている愛娘を見やる。シモンもじっと同じ方へ目をやる。

 その戦友はしばらく自分の皿をぼんやり見つめていたが、ふと顔を上げ親父にきいた。

「戦中は軍に?」

 しかし亭主は首を横へ振った。

「ずっとこの宿を守っていました。町のほかの男たちは軍に取られましたが、私のような老いぼれでは、総力戦と言っても足手まといだったようで」

「幸運だったな。家と、娘まで守れて。年の功かな?」

 思わず皮肉が口から滑り落ちる。が、すぐに肩を落として詫びた。

「いや、すまない。忘れてくれ。別に中傷しようと思ったわけじゃないんだ」

「いいえ、構いません。近所から言われすぎて、もう慣れましたから」

 主人はそう言うと奥へ戻っていった。シモンが戦友の横顔を黙って見つめる。

「一宿一飯の恩人に、なんてこと言うのよ」

 マリアが呆れて嘆息する。アルフレッドはちろと技師を睨んでからうつむいた。

「他人の不幸は蜜の味だが、自分の失った幸福は――ということさ。我ながら幼稚なことだが」

 え? と呟きさらに何か確かめようとしたそのとき、宿屋のドアが騒々しく叩かれた。

 厨房で並ぶ親子がぎょっとして目を見合わせる。少女が向かおうとするのを慌てて父が引きとめる。

「私が行くから」

 そう言うと、安心させるように娘の肩を軽く叩いてやる。三人と娘が緊張して見守る中、亭主が戸を開ける。

Bonjourボンジュール! Mademoiseeelleマドアモゼーール!!」

 アルコール臭にまみれたガーリー語が飛び込んでくる。同時に二人のガーリー兵が亭主に抱きついた。

Scheißeシャイセッ! Ichイッヒ binビン einアイン Mannマン!(チクショウめ! 俺は男だぞ!)」

 重機関銃のようなプロイス語の絶叫に、はとガーリー兵は目を覚ます。

「なんだ! 乳かと思ったらビールっ腹じゃねーか!」

「きたねえもの見せやがって!」

 唾を吐き捨て招かざる客は食堂へ上がりこむ。シモンは懐中の拳銃にそっと手を伸ばす。アルフレッドもうつむいてガーリー兵から顔を隠しつつ、テーブルの下で拳銃の撃鉄を起こした。

「自然に顔を伏せろ」

 唖然とし、酔っ払った二人を直視するマリアに小声で忠告する。我に返った技師は目線を下げた。

 だが、不自然な三人に向こうは見向きもしない。厨房に上玉の少女を発見したのだ。泥まみれの靴で遠慮なく調理場へ踏み込む。

「上玉だぜ」

 一人が呟くと、もう一人が下卑た笑みをうかべて少女に掴みかかる。が、それを寸でのところでかわす。

「こんにゃろ、生意気な!」

 酔っておぼつかない足取りで追いかける。少女は父の元へと駆け寄ろうとする。が、ガーリー兵の伸ばした手が二房のおさげをとらえた。

 シモンが拳銃を握り締め、軍服から引き抜こうとする。それをアルフレッドは眼光で制した。撃つな、と唇が動く。マリアが横からせがむような目で見てくるが、少将はそれを無視する。

「離してください!」

 ニメールの悲鳴があがる。父親も声の震えを押し殺して二人に叫ぶ。

「やめんか! この無礼者! ここはそういう宿じゃない!」

 娘から引き剥がそうとガーリー兵の背中にへばりついて立ち向かうが、ほかの一人が背後から銃底で脳天をぶっ叩いた。

「お父さま!」

 シモンが跳ねるように立ち上がり、振り返って銃を構える。父親はぐらついて倒れこむ。部屋のすみ、長く垂れたカーテンをその手が掴む。金切り声を上げて布が引き裂かれた。


 ――その奥に現れた光景に、場が凍りついた。


 ガーリー兵が一瞬で素面に戻る。

「宿屋に……なぜ、こんなものが」

 カーテンに隠されていたのは小部屋だった。だが、ただの小部屋ではない。

 壁一面に大量の拳銃と小銃が飾られ、微妙に開いている引き出しには手榴弾が溢れかえるほど押し込まれていた。さらに床には木箱が積み重なっている。その表には――Panzerfaustと書かれていた。

「パンツァーファウスト……なんで、対戦車兵器がこんなところに?」

 マリアが困惑して呟くが早いか、一発の銃声が轟いた。

 ガーリー兵が撃ったか――そう直感してアルフレッドは唇を噛む。それから、恐るおそる目を上げた。


 二人の酔ったガーリー兵は、ワインのような血を流し、床に伸びていた。


 眼前の景色に理解が追いつかず、目を瞬く。しかし、少女がふうっと息をついてショットガンを下ろしたのを見て……ますます混乱した。

「どういうわけだ、これは」

 一人でに呟く。民宿にはあまりに不自然な武器庫。そこに収まる正規軍並の装備。一発の散弾ショットガンで二人を薙ぎ倒す、熟練としか思えない射撃術の少女。

 亭主がうめきながら立ち上がる。

「久々にきいたなあ」

「お父さま、髪が薄いから、ヘルメットつけてないと直にきますものね」

「娘よ。追い討ちはやめてくれ。頭が死ぬほど痛いのに、心まで痛めつけないでくれないか」

「仕方ないですね。それに――」

 呆然とする三人の方を見る。

「追い討ちは、マンシュタイン将軍の専売特許ですからね」

 驚いてしばらくニメールを見つめる。が、少将は嘆息し頭をかいた。

「いつ気が付いた?」

「町に着いてからです。街灯に照らされた閣下の顔を見て思い出しました」

「え、何、知り合いだったの?」

「いいえ、そういうわけではありませんが……この国と、フロイデンヴァルトを救って下さった英雄の顔を、忘れるはずがありません」

 カウンターに静かにショットガンを置く。

「あの……ところで、訊いてもいいかしら」

 マリアが遠慮がちに言う。ニメールと亭主は一瞬顔を見合わせてから笑った。

「分かっています。こう訊きたいんでしょう? “あなた達は本当にただの宿屋ですか?” って」

 主人が先回りしてこたえを言う。

「もちろん違います。本来はただの宿屋でしたが、今やそれは一面に過ぎません。我々は――フロイデンヴァルト・レジスタンス。ここはその本拠を兼ねているんです」


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