第10話 狼煙

 モデルのような長身のその女性が、長い金髪をなびかせながらサングラスを取る。思わずアルフレッドらは足を止めた。

「ロマーヌ!」

 主人が手を振って駆け寄る。

「久しいな、ロマーヌ。怪我や病気はしてないか?」

 モデルのような美人は少し恥ずかしそうに微笑む。

「ええ、大丈夫よ。父さん」

「「父さん……?」」

 思わず野郎二人の声が重なったとき、不意に階段裏からニメールが激しく汚れたスコップを持って現れる。そして、玄関に立つ女性を見るなり、歓声をあげて走り寄った。

「姉さま!」

「「スコップ……」」

「いや、そっちじゃないでしょ」

 いつの間にか背後に来ていたマリアがつっこむ。

「ニメールって、妹さんだったのね」

 夏の日差しの中、笑顔で手を取り合う二人を見つめる。赤く汚れたスコップは脇に放られ、姉妹の愛しい平和な時が流れている――

「でも、姉さまが急に帰られるなんて、良くない報せですか?」

「人を北風みたいに言わないで。まあそうなんだけれど……」

 三人が首を傾げる。どうも風向きが怪しい。

 姉妹と父親が入ってくる。戸は閉じられ、玄関に闇が戻る。

「実はね……あら? こちらの方々は?」

 初めてロマーヌと三人の客人の目線が交わった。妹が得意げに紹介する。

「昨晩いらっしゃったスペシャルゲストです。あのときフロイデンヴァルトを守ってくださった、英雄たちです」

「やだな、照れるなあ」

「たぶんお前さんじゃないと思うぞ」

 え? と固まるマリアをよそに、ロマーヌはやはり、アルフレッドの方に駆け寄った。

「もしかして……本当にマンシュタイン将軍ですか? 第七装甲師団の?」

「――そうだったこともある。今は、行き倒れそうな“戦争犯罪人”だ」

「戦争犯罪人……いえ、たとえそうだとしても、私たちは閣下に助けられたのです」

「正確には俺じゃない。町を奪還したのは部下たちだ。彼らが奮闘している頃、俺は森の中で合衆国とガーリーの戦車隊を袋叩きにしていたからな。それと、一応そこの作業着を着た淑女にも礼を言ってやってくれ。彼女なくして第七装甲師団はなかったんだからな」

「Danke」

 ロマーヌは言われるがままそう口にしたが、当然相手が誰か見当はついていなかった。そして、それより……という言葉を飲み込み、ニメールと父親の方に向き直る。

「ガーリーの重戦車小隊がこの町目指して進軍中なの」

 一同息をのんだ。ニメールが真っ先に叫ぶ。

「どうして!? 戦車なんて……また戦争を始める気なのです?」

「ニメール。胸に手を当てて、よく考えて御覧なさい。心当たりがあるでしょう」

 姉に諭され、目を閉じ考える。

「……今週だけでも、九体埋めました」

「え、何を?」

「ガーリー兵の死体です、姉さま」

「多過ぎではないかしら?」

「いえ、少ない方なのです。先週は豊作で三十体ほど――」

「三個小隊やったのね」

 大戦果だな、とアルフレッドが呟くと、マリアに脇腹を小突かれた。ロマーヌは眉間に手を当てて嘆息する。

「違うの、ニメール。いえ、それもあるかもしれないけれど、目を開けてちょうだい」

 青目が現れ、姉の顔を見る。

「私ではなく、私の後ろを御覧なさい」

 嫌な予感がしてアルフレッドは柱の影に隠れようとする。が、マリアに押し戻された。

「英雄が見えます」

「そうね。私も同意する。けれど、敵からすると、逮捕拘束の対象でしかないの」

 シモンが気まずそうに下を向く。それからふと戦友の横顔を見やる。

「でも、姉さま。それは敵とは言えあんまりなのです。武器も持ってらっしゃらないお三方を、戦車で追いかけますなんて――」

 アルフレッドが襟元をなで出す。目は落ち着きなく宙を漂う。

「武器を持っていないなんて……持っていないのですか?」

 ロマーヌが少将を見上げる。

「いや……ある。拳銃が」

「戦車で来たのではないのですか?」

 ニメールと父親が、えっと声を漏らす。ロマーヌはその反応を見て、何かの間違いだったのかと思ったが、アルフレッドはついにため息をついた。

「Ja. お嬢さんの言うとおりだ。俺たちは戦車に乗ってベルーンから逃げてきた。一応こっそり来たつもりだったんだが、あのデカブツを隠し切るのは到底不可能だったみたいだな」

 三人が手助けを得るかヒッチハイクの要領でここまで来たと思っていた親子は、驚いて顔を見合わせた。

「そ、それじゃあ、戦車は今どこに……?」

「森の中に隠してある。人目につくと騒ぎになるからな。今回のように」

 亭主は肩を落とした。

「これまで悪運強く生き残ってきたが、それも今日限りかな……」

 お父さま、とニメールが手を取る。勇気付けようと必死に握るが、その小さな手はかすかに震えていた。

 それを見たマリアは唇を噛むと、車長に食いついた。

「私たちがいるから、ガーリーの戦車は来るのよね?」

 ああだろうな、とうなずく。

「なら――今すぐこの町を、戦車ごと離れるべきよ! 何も関係ないここの人たちを巻き込んだら――本当に悪い人になっちゃうわ!」

「フロイデンヴァルトへ来た目的は逃避行のためではない。むしろお前さんの弟のことがあって来たんだぞ? それはどうする」

「い、今はしょうがないでしょう! 一旦離れて、落ち着いた頃に戻ってきたらいいじゃない」

「……だが、離れようにも、すでにほとんど八方ふさがりだ」

 シモンが静かに言い、近隣の地図を広げた。

「……ここから戦車で離れるなら、選択肢は二つ。東の街道、来た道を戻って国内の別の都市へ行くか、西に逃げてライン川を越えるかだ」

「ライン川を渡ったら、ガーリーじゃない!」

「事実上、選択肢は一つだな。だが、結局他の町に逃げても根本的解決にはならない。いたちごっこになるだけだ。ここはやはり森の中でやり過ごすのが一番だろう」

「……近隣の森なら、間違いなく捜索が入ると思う。黒の森作戦の事例から、敵も警戒しているだろう。あのバンカーも今度ばかりは見付からずに済むとは限らない」

「黒の森は深いぞ」

「そんな奥まで行ったら、逆に私たちが遭難しちゃうわ!」

「或いは、あの戦車を置いて逃げれば、成功確立はぐっとあがる。人間三人なら変装で何とかなるだろう」

「そ、それは論外よ! あれは私の子供よ!」

 マリアが頑固に拒否する。戦車なら複製がきくだろう……とアルフレッドが説得を試みても、聞く耳を持たない。

 喧々諤々の作戦会議が展開されるが、そこにニメールが一声差し込んだ。

「あの……マンシュタイン将軍! それに、マリアさん、シモンさん」

 三人は口の端に泡を残したまま振り向く。

「お願いがあります」

 父と二人の娘も、ともに考え結論を出していた。

「どうか、この町を離れてください」

 アルフレッドがその気であるとうなずく。が、続く言葉に目を見開いた。

「私たちレジスタンスもお供します」

「どういうことだ?」

 この町を守るため戦ってきたのだろうに、と返すと、ニメールは微笑んだ。

「ご安心を。この町を薄汚いガーリーどもに渡すつもりはありません。ただ、協力していただきたいのです。憎い敵が出向いてくれるのです。自分たちの庭に」

 天使のような少女から、悪魔のひらめきが顔を出す。アルフレッドは目を見張った。それから不敵な笑みを浮かべる。

「なるほど。絶好の機会ということか」

「はい。戦後、他国で幅を利かせる寄生虫どもに、正義の鉄槌をくれてやるのです。毎日、不届き者の死体をこそこそ埋めるのにも疲れてきましたから、ここで一度驕れる勝者に、はっきりと警告を与えたいのです。プロイスの人々がいつまでも犬のように無抵抗だと思わないでください、と」

 アルフレッドは笑った。

「そうだな。仮にもし連合軍を国内から蹴り出せたら、身に覚えのない容疑から逃げ回る必要もなくなるかもしれん」

「ちょっと、フリッツの件はどうなるのよ」

「その過程でガーリーの将兵を捕まえて尋問すれば良かろう」

 これで万事解決、と胸を張る。短絡的すぎないか、と戦友は眉をひそめるが、相変わらず口は動かなかった。

「ニメール。善は急げだ。早速始めよう」


 緊急呼集に応じレジスタンスの面々が続々宿に集まってくるころ、街道を西へ急ぐガーリーの重戦車小隊は、フロイデンヴァルトまで50キロの地点を通過していた。

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