第5話 ケピ帽

 アルフレッドらが首都を遠く離れた頃、ベルーン中心部に置かれたガーリー軍の占領軍司令部から、ケピ帽をかぶった一人の男がくたびれた様子で出てきた。夏の夜風に軍服の裾を揺らしながら正面の門へ向かってくる。

「閣下!」

 正門の目の前にとめられていた軍用ジープから声がかかる。彼は軽く敬礼すると、助手席へおさまった。

「長かったですな」

 車が出ると、ハンドルを握る副官のアンリ・ベルモンが労わるように言葉をかける。

「どうしますか、夕飯は。最近じゃあこちらでも、やっとまともなガーリー料理の店ができてますが」

「同士の乱痴気騒ぎを見物に行く気分ではないのでね。このまま部隊の駐留地まで行ってくれ」

 若き指揮官は静かにこたえると嘆息する。年配の副官は苦笑いしてハンドルをきった。

「やはり占領軍総司令官閣下もその点を気にしておいででしたか」

 少将は首を横へ振った。

「プロイスが悪い、ベルーン市民は民度が低い、そればかりだ。今回の暴動で少しは理解されたかと思ったが、むしろ頭が固くなっているようだ」

「もう年ですな」

 嫌なものです、と副官は笑ってみせる。

「このままでは根本的解決にならない。この暴動が一過性のものならまだしも……」

「違うのですか?」

「どうやら本当の嵐はこれから来るらしい」

 ベルモンの眉間に皺が寄る。

「台風の目は、ベルーン暴動の直接の引き金となったプロイスの超重戦車だ」

「ああ、何でも見たこともないような完全な最新型だとか……」

「その通りだ。詳細はまったく分からないが、観測された事実はあった。歩兵指揮装甲車を一撃で消し炭にする大火力と、全長10メートルを超す巨体でおよそ時速60キロという速力、そして傾斜装甲と球面装甲……おそらく防御力も申し分ないだろう」

「そいつは化物ですな」

「まったくだ。しかも、これにプロイス鉄騎の生みの親マリア・ピエヒ、そして――あの男が乗ってるらしい」

「誰です?」

「最後の第七装甲師団指揮官。アルフレッド・フリードリヒ・ヴィルヘルミーネ・マンシュタイン将軍」

 副官が息を飲む。

「それは本当ですか?」

 若き指揮官はうなずいた。

「暴動に先だって、逃走するマリア・ピエヒを追いかけた中尉が証言した。マンシュタイン少将らしき人物とともに逃げていた、と。彼女は二人の男を連れ立って屋敷に逃げ込み、そのままあの未知の超重戦車でベルーンを離れたようだ。もし本当にその中尉が見たのがマンシュタイン少将なら、あの戦車に乗っている可能性は高い」

「そうなると、ただの化物ではないですな」

「ああ。最高の頭脳を持った化物の出来上がりだ」

「……とは言え、もう戦争は終わったのですし、駐留期間が終われば我々もようやくバカンスですな。それまでゆっくりと過ごしましょうや」

 一転して軽口を叩くが、上司は首を横へ振った。

「残念ながら命令が下った。我々第二機甲師団にだ」

「耳をふさいでおきますので、その間にどうぞ内容をおっしゃってください」

「ハンドルから手を離すなよ」

 副官の口がへの字に曲がる。

「機甲師団の中から戦力を割いて、戦犯容疑者のマリア・ピエヒ、アルフレッド・マンシュタイン両名と戦車を追跡し、これらを捕らえろ、ということだ」

「まあそうなりますな。で、出す部隊は……?」

「一個中戦車中隊と、一個重戦車小隊だ」

「中戦車九両に重戦車三両ですか?! そんなに必要だとは思えませんが……」

「中佐。今は戦後だ。戦後、つまり、次の戦いの始まりだ」

「……オロシー社会主義連邦との、ですか?」

「それだけではない。合衆国や連合王国もだ。旧連合軍が次の時代の覇権をめぐって争い合う時代に突入している。その中ではむしろ非常に軽量な装備だ」

「――とすると、閣下は遠慮なさっているのですか?」

「……そのあたりは本国の外務省の管轄であって、軍人が考慮するところではない。単に大部隊では機動性が落ちるというだけだ。目標は高速の上単騎なのだし、それでは追いつくことができない」

 一息入れると副官に命令した。

「ベルモン中佐。中戦車中隊の指揮を任せたい。重戦車小隊は私が直接指揮をとる」

Ouiウィ, Généralジェネラール(了解であります、閣下)」

「出立は明朝七時とする。準備を整えさせておけ」

 軍用ジープがちょうど駐留基地へと入っていく。星明かりの下、ガーリー陸軍の精鋭機甲師団の戦車が浮かび上がってくる。

「……Enオナ avantヴォン(前進)」

 ガーリーの誇る戦車隊エースが一人呟く。

 勇猛な彼の心は、すでに戦場へと舞い戻っているかのようだった。






 X号試作戦車は、プロイス北東部の首都ベルーンから、ライプツィヒ、イェナ、エアフルトの近郊を経由し、街道に沿って国の中部にあたるテューリンゲン地方を横断すると、ヘッセン・フランクフルト地方を南進、プロイス南西部バーセン・ヴュルテンベルク地方へ入り、黒の森の東に位置するシュトュルムガルトを通過。街道がガーリー国境へ向かって西に折れるに従い、今度は黒の森の南部をかすめながら目的地付近まで突き進んだ。

 と言っても、700キロ以上の道のりで、ボイラーへの給水は十回以上、火を起こすための燃料現地調達も五回を超え、自動車なら精々数回の給油で十時間程度のところ、首都を飛び出してからすでに三十時間が経過していた。

「給油施設がなくても国を縦断できるのは利点かもしれないが、一々川や湖にポンプを下ろすのはあまりに手間だ。挙げ句の果てに木こりの真似事までする羽目になるとは……」

 疲労困憊といった様子でアルフレッドは車長席にうずくまる。その横で操縦棹を握るマリアがふふんと笑う。

「すごいでしょ」

「俺の発言を半分以上無視したな。しかも後半部分をだ」

「賛辞はよく聞こえるのよねー」

「批判にも耳を貸すのが賢人だ」

「貸したら利子がつくけどいいかしら」

「どんな利子だ……」

 呆れつつ、内心そのセリフどこかで使ってみたいと、元銀行家の軍人は頭をめぐらせる。

 X号試作戦車は煙でリズムを刻みながら森に囲まれた街道をひた進む。

「このまま真っ直ぐ行けばフロイデンヴァルトよね」

 真剣な声音がアルフレッドにかかる。彼は無駄事を考えるのを止め、ああ、とうなずいた。しばらく操縦手用の細い覗き穴を、斜め後ろから見ていたが、おもむろに立ち上がるとキューポラのハッチを開けて外へ顔を出す。

 煙突から噴き上げられる排気の独特な臭いが鼻をつく。思わず顔をしかめるが、それでも戦場で嗅ぐあらゆる臭いよりはるかにマシだ。思い切って上半身を乗り出し、道の左右に延々と続く黒の森を眺める。はるか昔人の手によって植えられた黒トウヒの森は、ひたすら同じような顔をしているように見えるが、アルフレッドは鋭く森の一点を見つめるとHaltハルト!(停止!) と叫んだ。

 慌ててマリアはブレーキを踏み込む。

「なになに、どうしたの? まだ給水は必要ないわよ?」

 水位計を確認して見上げる。

「森へ入る」

「え、どうして? このまま行けばフロイデンヴァルトなのに」

「最初にも言ったが我々は追われる身だ。出来るだけ目立たない方がいい。正体がばれるなどもっての他だ。だから、中でも極めつけに目立つぶつは置いていく」

 そう言いながらこんこんと戦車を叩く。

「森の中に放置するの? オオカミの巣になるわよ?」

「童話じゃあるまいし……そもそもプロイスのオオカミなんぞ一世紀以上前に絶滅してる。とにかく命令だ。Panzerパンツェル vorフォー! Nachナッハ rechtsレヒツ!(戦車前進! 右方向へ!)」

 マリアは唇を尖らせたまま左側の加減弁レバーを手前に引いた。履帯の裏から白い蒸気を勢いよく噴き上げつつ、X号試作戦車はゆっくりと回頭し森の中へと入っていった。

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