第4話 怪物の産声

 このときすでに、邸宅の表はガーリー軍に包囲されていた。

 が、地下の秘密工廠の出入口など対策のしようがなく、ひとまず安全に外へ出ることができた。

「2000万ターラーはフリッツ、もとい弟探しの前金だったな?」

「部下を愛称で呼ぶなんて、溺愛してるじゃない」

「――前金を増やそうか」

「ええ、その通りよ。まったく油断も隙もないわね」

 操縦棹を握りながら不満めく。

「ならひとまず南へ向かおう」

「南?」

「そうだ。彼が最後に戦った地、すなわち、ガーリー軍に捕縛された可能性のある場所だ」

「――フロイデンヴァルト、ね」

「黒の森作戦で、彼はあの街の奪還部隊にいた。もしかしたら目撃証言を得られるかもしれん……」

『……だが、その前に目前の敵をどうするかだ』

 有線ヘッドホン越しに、一人砲塔内にいるシモンの声が届く。

 フレッドはHaltハルト(停止)と命じると、跳び箱のような後部席の中で立ち上がり、キューポラのペリスコープを通して周囲の様子を確認する。


 生垣の向こうにガーリー陸軍がずらりと並び、待ち構えている。


「こっちに気付いてないみたいだな」

 息を殺して敵の規模を確認する。

「歩兵部隊はまあいいとして、装甲車が不安だな。車体下部や履帯を撃ち抜かれたらここで終了だ。おい」

 フレッドが操縦手を呼ぶ。

「おい、じゃないわよ。マリアよ、マリア」

「この戦車は時速何キロまで出せる?」

「70キロ」

「冗談言うな。100トン以上ある超重戦車がそんな速いはずないだろ。90トン超のティーゲル・ドライでも時速32キロが限界なんだぞ?」

「とにかく出るものは出るわ」

 開発者に強く言い切られてはそれを信じるしかない。フレッドは頭を掻くと、咽喉マイクをつまんで叫んだ。

「シモン。早速やってもらおう」

『待ち侘びていた。どれからにする』

「一時の方向の装甲車だ。あの集団の指揮車と見た」

 砲塔がゆっくりと旋回する。

「砲撃したらすぐに全速前進。一気に突破する」

「分かったわ」

 久しぶりの感覚に手に汗が滲む。深く呼吸すると今一度敵を見定め、号令を発した。

Feuerフォイエル(撃て)!」

 轟音とともに14センチ砲が火を噴く。その衝撃は後部席にも伝わってくる。刹那、覗き穴の向こうに一撃で爆発四散する敵装甲車が見えた。

「全速前進!」

 大声を張り上げると、がくんと体が折れ曲がる。

 信じ難いことに150トンの車体は津波のように走り出した。急加速してガーリーの歩兵集団へ真っ直ぐ突っ込んでいく。

 走りながら再び14センチ砲が咆哮をあげる。別の装甲車から火の手があがる。ガーリー兵は何が起きたのかと右往左往する。

「行っけええ!」

 マリアが叫ぶ。すでに時速は60キロ。そのまま勢いを殺さず、敵歩兵を踏み潰して街道を南へ急ぐ。

 足元から、舗装したてのアスファルトが剥がれていく音がする。超重戦車が首都の大通りを突風のように通り過ぎていく。

 街の市民が唖然と漆黒の戦車の突進を眺めている。そしてこれをガーリーの装甲車が必死になって追いかけている様を見て、一斉に歓呼した。

「やれ! やっちまえ!!」

「そうだ! これこそプロイスだ!」

「プロイスよ、不屈たれ!」

 男たちが口々に叫び、応援に向かうガーリー兵に殴りかかる。

 主婦は家の二階から顔を出し、やだ! 私の旦那が殴り合いに! と叫ぶと、即座に窓から桶に入った汚物を汚らわしい戦勝国兵士に浴びせかける。子供は石を拾って投げ付け、老婆は自分のステッキを投擲する。

 試作戦車が豪速で駆け抜けると、その沿道で威勢よくガーリー兵が打ち据えられる。漆黒の風は反旗となってベルーンを縦断し、郊外を抜けて、平原へ出た。人がいなくなれば、静かになるものだ。X号試作戦車は速度を落とし、道のない草原をただ南へと走り続けることにした。

「奇怪な形と、この馬鹿デカイ図体のおかげで目だってしょうがない」

「いいじゃない。あんなに活気付いてるベルーン久々に見たわ」

「……まあ正直な」

 苦々しく呟くと、頭上のハッチを押し上げ、スライドさせる。さっと夏の日の光が、真っ暗な車内に差し込む。一瞬目を細め、キューポラから顔を出す。ここは車長の特等席だ。気持ちの良い風を受けながら、遮るもののない行く末を見つめる。

「フロイデンヴァルトか……」

『辺りに敵戦車はいないのか』

「いないさ。もう戦争は終わってるんだ。……一応な」

『そうか……残念だ』

「砲弾ならたくさん積んであるわよ」

「いらないって――それより燃料がもたないだろう」

「そうねえ。どこかで川を見つけなきゃ」

「はあ? なんで川なんだ。中東ならいざ知らず、プロイスには石油が流れる川なんてないぞ」

「石油? そんなものいらないわよ」

「まあそりゃ正確には、それを精製したガソリンだろうが……」

「違うわ。砲塔のすぐ後ろを見なさい少将」

 ごついアーモンド型の砲塔と高くそびえる後部席の間に目を凝らす。と、漆黒の背中から一筋の白煙がうっすらあがっているのが見えた。一瞬機器の不調かと疑ったが、すぐに、その煙が二本の細いパイプから規則的に吐き出されていることに気が付いた。

「なんだあのパイプは」

「煙突よ」

「は? 煙突?」

 驚いてキューポラの上に上半身を乗り上げてよく見る。

 すると確かにそれは、横に並んだ細い煙突であった。そして、後部席の麓あたりに、別のより細い管を一本発見した。

「あの手前のは?」

「吸気口よ」

「吸気? どこに空気を入れるんだ」

「火室よ。知らないの? 火室に燃料を放り込んで火をたいて、ボイラーに積載した水を沸騰、そこから生じる水蒸気圧でピストンを動かし動力を得る――」

「その説明は蒸気機関だろう。それくらいは分かる。ただどうして――どうして今時、蒸気力機関がエンジンの戦車なんかが最新式なんだ! 蒸気力自動車だってもう古代の遺物だぞ」

「仕方ないじゃない。ティーゲルシリーズの燃費が高すぎるから、次期戦車はそこんとこよく考えろって上層部に言われちゃったんだもん。あと終戦直前で、実際、ガソリン全然なかったし」

「だからって二十世紀も半ばのときに、スチーム・タンクとは……」

「蒸気力機関は偉大よ! 可燃物と水さえあれば動くもの! あと静粛性がガソリンエンジンの比じゃないし、黒煙がもうもうとあがることもない。意外と隠蔽性が高くなるのよ」

「だが、蒸気機関の命たるボイラーは、通常のガソリンエンジンに比べて、はるかに大きく場所をとる。結果として、車体が巨大化しているわけだ」

「ま、まあね。多少ね」

「多少か? 何メートルあるんだ?」

「車体だけで10.5メートル」

 長いな……と呟き嘆息する。

「砲身を含めた全長なら、19.44メートルよ」

「20メートルに迫るのか! それにしても長い砲身だ……」

 はるか行く手に伸びる14センチ砲を見やる。

 X号試作戦車の砲は、連合軍のどの戦車砲よりも強力であることを絶対条件に開発された。強力無比な71口径14センチ砲は砲身長が9.94メートルもあり、試験段階から4~5キロ以上離れた硬目標を正確に撃破する精度と威力が証明されている。これは敵国どころか、地球上に存在する全ての戦車砲を、圧倒的に上回る性能であった。

 しかし、車体とあまり変わらない長さの超長砲身は設計面で別の問題を生じた。

「蒸気機関の配置上、操縦手が初めからどうしても後ろになる設計だったのよ。だから砲塔も後ろ側に乗せようと思ってたんだけど、想像以上に14センチ砲が重くて……」

 ようやく見つけた小川からポンプで水をくみ上げながら、マリアは苦笑する。

「そんな砲を後ろに乗っけたら重心が車体後部に寄りすぎて危険だってことが分かってね、それで仕方なく砲塔を前側にしたのよ」

「つまり、砲塔を軸に長砲身と車体のバランスをとっているのか」

「クルーが隔離されちゃうけど、物理的にそうするしかなかったのよねえ。まあそもそも、あまりに砲が重過ぎて、全周旋回できるか技術的に微妙だったんだけど」

 シモンが砲塔に背を預け、満足そうに10メートル近くある逞しい砲身を眺めている。

「それにね、結構がんばったのよ? 普通の蒸気力機関では起動までに時間がかかるから、ボイラー内に電熱線を走らせて始動時にはこれで瞬間的に沸騰させるの。エンジン起動まで三分、全力発揮は五分で可能よ! これはこの規模の蒸気力機関としては世界に類を見ないスピードなんだから!」

「最前線で三分とは、死ぬのに十分すぎる時間だ」

「そ、それに、蒸気機関だけでなく、なんと補助に電動モーターを組み合わせてるのよ! 世界初のハイブリッドエンジンなんだから!」

 マリアが興奮気味に飛び跳ねる。きつねの尻尾のようなポニーテールがぴょんこぴょんことジャンプする。

 フレッドはそれに呆れながら給水作業をせかす。

「まだ先は長いんだ。あまりゆっくりしてると、追っ手が来るぞ。何せ賞金首が逃げ出したんだからな、未知の超重戦車とともに」

「何だかすっごいスキャンダラスね!」

「火の元がよく言うわ」

 後部席の上に腰掛け足を組む。

「寝る場所も考えなきゃならん……」

「あ。私、お風呂入りたいんだけど」

「ボイラーの中に詰めてやろうか」

 イラついて毒づくと、マリーは肩をすくめた。この女史はとことん自由人だ。或いは、生粋の変人か……。

 ――変人だな。間違いなく。

 変人らしい奇抜な造形の戦車を見下ろし嘆息する。かつて乗っていたティーゲル戦車などは極めて合理的で美しかったのだが、若き天才技術者に戦争末期何があってこうなってしまったのか――。全周撃てない、機関が前世紀、車体があまりに巨大で格好の的、欠陥ばかりが目につく。

 ――いや、これはやはり人というより、戦況の悪化による苦肉の策、か。

「給水終了よ。今、沸騰させるからちょっと待っててね」

 フレッドの脇をすり抜け、後部席の中へと下りていく。

「分かってるよ。三分だろ」

 そう! 鉄の部屋から声があがってくる。シモンが立ち上がって伸びをする。そして再び自分の車長となった戦友のほうを見て呟いた。

「……撃つものがない」

 フレッドは苦笑いした。

「何。いずれ来るさ。こちらがどれだけ逃げようともな。必ず追ってくる」

 シモンはかすかにうなずくと、ゆっくり砲塔内へ戻ってゆく。完全に体が収まる寸前、盛大にため息をついたことを、フレッドが気付かないはずがなかった。

「機関始動まであと一分!」

 マリーの声が戦車の底から聞こえてくる。Jawohlヤヴォール(了解)と返事をするとフレッドも戦車内へ入ろうとする。

 視界の端で漆黒の砲塔が夕日を受けて鈍く輝く。あっと声を漏らし、今一度新しい自分の乗機を眺める。長大な砲を前方に低く構え、尻には後部席が高々とそり立っている。そして、その全てが重々しい漆黒に包まれている。

 そのときフレッドの脳裏に不思議なイメージが飛来した。

 鈍い黒色で、頭の先に凶悪な武器を構え、尻尾を高々とあげて獲物を捕食する獰猛な生き物――。一度旅行先のホテルで出くわして、随分慌てた思い出がある。


「こいつの見た目は、まるでSkorpionスコーピオン(サソリ)だな」


 一人苦笑いすると、後部席内へと入る。程なくして煙突から白煙がたなびき、重量150トンの怪物は静かに走り出す。


 向かう先、南の空の下では、驕れるオリオンが死してなお恐れ続ける大サソリが、眠りから覚めようとしていた。

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