第3話 出撃

 マリアの先導で三人は走っていく。

 着だるまだったのを、開き直ってコートを脱ぎ捨てる。整備技師のつなぎに汗が滝のようにしたたっている。戦車兵の真っ黒な軍服も重みを増す。職にあぶれた軍人の列にいてこそ迷彩として働いた軍装も、ただの道に出ては重いは目立つはでいいことがない。

 まだ三人の背後からは時折ガーリー語の怒声が響いてくる。

「こっち!」

 マリアがまた道を変える。

「あてずっぽうなのか?」

 走りながらフレッドが問いつめる。

「まいてるのよ。目的地はもうすぐよ! ほら!」

 途端、路地を抜け、視界が一気に開ける。

 眼前には白亜の壁が、雄大な幅でそそり立っていた。

「おいおい。壁じゃないか」

「違うわ。屋敷よ!」

 そうして黒い門らしきものを押し開ける。今一度よく見ると、緑の芝生の向こうに、巨大な白亜の邸宅が鎮座していた。

「こんなところに勝手に入っていいのか?」

 小走りするマリアをつつく。

「勝手にじゃないわよ?」

「何?」

「自宅に戻るのに勝手にだなんて言わないでしょ?」

 マリアは大きな木の扉を開け放つ。

「さあ来て! ここまで来れば安心よ!」

 ……戦車開発でこの豪邸とは、と呟くフレッドに、シモンがささやく。

「世界最強の戦車群を生み出した功績としては、小さな館だ」

 鼻を鳴らしてそんな館へ踏み入る。

「この広さならたしかに逃げられそうだがな」

 皮肉めいた口調が背の高い玄関ホールに響く。

「何言ってるの? こっちこっち!」

 マリアが奥の方で、一つのドアの前に立ち手招きする。二人は顔を見合わせると、急いでその後を追う。

 ドアの先の廊下を進み、また数枚の戸を押し開ける。そしてようやく部屋のドアめいたものを開けると、先には暗い螺旋階段があった。マリアの足音がすでに下の方から響いている。

 三階分は降りただろうか。目が回りだしたころ、巨大な地下空間に足をつけた。

 マリアが照明のスイッチを押す。大きな動作音で天井に並んだ巨大な工場灯がともる。

 瞬きしながらその空間を見回し、フレッドは声を漏らした。

「ここは……戦車工廠?」

「そう! 私の屋敷の地下のね。技術局の工廠はもう連合軍の占領下にあるから使えないのよ」

「それはどうでもいいが、なぜここに?」

「見て欲しいものがあるの」

 手招きして奥へと進む。巨大な製造ラインの間から、二人がよく見慣れたものが、ちらちらとのぞく。

 戦車の履帯。分厚い鋼鉄の装甲板。対歩兵用の機銃。整備用の工具。

 幾度となく連合軍の戦車を撃ち抜いてきた戦車砲。自分たちがおさまっていた砲塔に車体。

 戦争末期に開発された新型の重駆逐戦車が、組み立て途中で放棄されている。

 その横には、フレッドとシモンが終戦のそのときまで乗って戦っていた重戦車が見える。

「……ティーゲル・ドライ」

 シモンが思わず立ち止まって見上げる。

「……こいつの10.5センチ砲は最高だった」

「装甲もな。プロイス戦車初の球面装甲は伊達じゃなかった。安心感と優越感の塊だった。――いやそんなことどうでもいい。今は逃げるときだ」

「違うわ!」

 マリアが立ち止まって一喝する。

「戦うときよ!」

「お前さんが余計なことするから逃げなきゃならんのだぞ?」

 フレッドの眉間に皺が寄る。が、マリアはそんなこと気にも留めず、フレッドの手をとる。

「ねえ。お願いがあるの」

 思いっきり嫌そうな顔をしてみせる。と彼女は一層柔和な顔になる。

「報酬は弾むわ」

「え」

 途端口元がゆるんだ。

「……おい」

 戦友の言葉に正気を取り戻し、涎をすする。

「いくらなんだ?」

 背後でため息をつかれるが、気にしない。

「そうね。成功報酬100万ターラーでどうかしら?」

「それなら道路工を六年もやれば十分だろう」

「じゃあ……500万」

「プロイス最高の頭脳と呼ばれ恐れられた男に、たった500万とは」

「うぅ……800万!」

「聞こえんなあ」

「900万!」

「は? なんて?」

「分かった。1000万ターラー!」

「を前金で」

「はあ!? どんだけがめついのよ!」

「いや当然の対価だ。戦犯容疑者が敵軍に潜入して捕虜を連れ戻すんだぞ。成功するはずがないミッションだ。成功報酬など成り立つものではない」

「成功は私が保証するわ!」

「作戦の一つも練れん技術者が何を抜かすか。お前さんの首を売った方がよほど金になるかもしれん」

「ふん! まあいいわ。これを見たら納得せざるを得ないでしょうからね!」

 壊れかけのティーゲル・ドライの奥、巨大な塊にかけられた布をつかむ。

「ご覧なさい! これが、不憫な敗北者たちに与えられた、報復のきらめく剣よ!!」

 大きな布が宙に舞う。出てきたものを見て、二人の戦車兵は息をのんだ。

「こ、これは……」

「……」

「何だこれ」

 そこには実に珍妙な、戦車“らしき”ものがあった。

 マリアが熱を入れて語り出す。

「これこそが終戦間際に完成させたⅩ号戦車――もといⅩ号試作戦車よ。Ⅸ号戦車ティーゲル・ドライの後継主力戦車として連合軍を一掃する、予定だった超重戦車。重量150トン、車体上部の傾斜装甲と、無骨ながら美しい流線型の砲塔は、あらゆる連合軍戦車の砲弾をはじき返すわ! そして主砲は――」

「その前に一ついいか」

「何かしら?」

「車体後部のあの突起はなんだ。戦車の車体上には砲塔以外の突起部などないはずだが……」

 三人の目は、巨大な車体の一番後ろに集中する。まるで跳び箱のようなでっぱりが砲塔のはるか後ろ、車体最後部に高く聳え立っている。しかも、中に人が入るのか、覗き穴があいている。

「ああ、あれ? あれはね、その……」

 開発者は頭を掻いた。

「車長とか操縦手が乗り込むところよ」

「……砲手は?」

「それはもちろん前の砲塔内よ。装填手もね」

「普通、砲塔内に車長、砲手、装填手などがおさまり、操縦手が車体前方にいると思うのだが、なぜこの形に?」

「いや本当は砲塔も後ろが良かったんだけど、ちょっと色々あって……」

「色々? だが、これでは――」

 フレッドが腕を組むと、シモンが不服顔で言い放った。

「後部席が邪魔で、後方への射撃が不可能だ。360度撃てない戦車は戦車ではない」

「でも、私の弟探しに協力してくれたら、世界初の14センチの超大口径戦車砲を撃ち放題よ?」

「……のった」

「おい」

 今度はフレッドが突っ込む。

「14センチ砲とやらが撃てるなら何でもいい。フレッド、指揮は任せた」

「いや、お前さん……」

「少将さん?」

「何だ」

「約束の前金」

 マリアは聖母の微笑で小切手を握らせた。

「ほう……スイス・アルペン銀行の口座。本物か」

「もちろんよ。ちょっとオマケして、2000万ターラーにしといたわ」

「妙に準備がいいな……。まあいい。運がめぐってきた。これで斡旋所に並ぶ必要は皆無だな」

 いそいそと小切手を軍服へしまい込む。

「で、これからどうするのだ? このまま外に出て行っても、お縄になるだけだ」

「それはもちろん、この子で出るわ」

 マリアの目に火がともる。

「14センチ砲を突きつけてガーリー兵を尋問するの。私の弟はどこ? って」

 姉の笑顔は高揚感と恐怖と、固い決意の間で、酷く恐ろしげに見えた。

 が、不意にフレッドは目を細め、肩をすくめた。

「一応きくが、本気で生きてると思ってるのか?」

「もちろんよ。弟は今の私にとって、唯一の希望なの」

「希望ねえ。一体何の?」

「生きるためのよ! 弟は私にとって、生きる目的よ。何としても弟を探し出すの。そして助け出して、また前のように……。もしあなたがどうしても乗り気でないなら、悪魔にだって魂を売るわ」

「おいおい、あまり敬虔なクリスチャンが言っていいことじゃないぞ」

「冗談を言ってるわけじゃないもの。私は本気よ」

 その表情には、一部の揺るぎもない。

「それに、その証明の2000万ターラーのつもりだったんだけど?」

 元銀行家のフレッドは、それでようやくうなずいた。

「どうやら本気らしいな。――まあ、対価さえいただければ、顧客の腹の内などどうでもいい。シモン! 出撃だ!」

「……ようやく撃てる」

「せめて指示を待てよ?」

 三者三様の思いで乗り込む。実に珍妙な超重戦車に。

 そして秘密の発進口へと静かに進み出す――。

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